「愛がなんだ」ネタバレ・感想・評価

「愛がなんだ」を見てきた。ものすごく混んでいるというネットの記事を見て、見に行った人にTwitter上で「混んでましたか?」と聞いたら「15人ぐらいしかいなかった」と言われた。どっちだろうと思いながら、日曜の夕方、四条烏丸の京都シネマに足を運んだ。満席でした(Twitterの人は別の映画館で見た)。さいわい一緒に行った人が朝にチケットを買ってくれていたおかげで、3番目ぐらいに入場でき良い席を確保できた。

映画館の様子

客層はほとんど若い女性。普段映画を見ないような人が多かったんじゃないだろうか。というのは、映画が始まってから入場する人や、上映中に出入りする人もちらほら見かけたからそう思った。普段の映画館ではあまりない、というかむしろあり得ないようなマナーの悪さ、と言ってしまえば僕がまるで映画館マナー発狂自治厨みたいだが、僕自身はどちらかというとそういうのあまり気にしないほうで、人が集まっているんだからしょうがない、周りの人が気になるんだったら全席貸し切って一人で見るか、家で見れるまでソフト化を待てと思う方で、せいぜい「いつもと違うな」程度に思っていた。カップルも多かったが、中にはいかにも映画好きなメガネ天パネルシャツ男性二人組も見に来ていた。彼らがどのような感想を持ったのか非常に興味深い。

予告動画はネタバレ満載なので、本編を見る前に見てしまうと興が冷めるかも知れない。あとこの感想も言うまでもなくネタバレしています。

あらすじ

あらすじを簡単にまとめると、主人公テルコ、28歳女性は、知り合いの結婚式で知り合った田中守と仲良くなる。毎週末に一緒に出かけるが、デートとは呼べず、飲み仲間という間柄が続く。二人はある日を境に急接近し、半同棲のような形になる。それでもまだ彼氏彼女とは呼び合っていない関係のまま。テルコは結婚まで意識し一人で突っ走るが、その重さに嫌気がさした田中守は急にテルコと距離を置くようになる。

テルコの友達の葉子には、仲原くんという男友達がいつも近くにいる。仲原くんは葉子の言うことを聞き、葉子が寂しいと感じたときにいつでも駆けつけられる存在として彼女の近くにいる、都合のいい男。テルコと仲原くんは同じような立場であり、シンパシーを感じつつも互いに興味はなく、友達の友達という距離感。その4人、主にその4人を巡る映画。

ストーカー同盟の二人

僕から見て、仲原くんは非常に好感を持つ人だった。テルコは「そんなやつおらんやろ」というような行き過ぎた存在だった。二人は大晦日の夜、葉子がいない葉子の家で「これじゃストーカー同盟の反省会だね」と言い合うが、仲原くんのストーカーぶりはただ健気な態度であるのに対し、テルコのそれは狂気じみたものを感じる。

というのも、テルコの田中守に対する執着には根拠が見当たらない。結婚式の二次会でたまたま会った男性。それからよく飲みに誘ってくれただけで好きになった相手。田中守がもともとテルコのタイプだったというわけでもない。むしろテルコには好きなタイプというのが存在せず、好きになった人がタイプと言う人。テルコ自身も田中守を好きになる要素がないことは認めており、ただ好きになってしまっただけで狂気じみた執着を見せる。どの程度狂気じみているかは本編を見てください。

「好きになった人がタイプ」とは

僕はこの「好きになった人がタイプ」という言葉にいつも違和感を覚える。それはタイプとは言わないだろうって。「好きになった人がタイプ」と言うタイプは二つに分かれる。ひとつは単に、「好きなタイプ」を言語化できない人。フィーリングが合うなんて言う人もこのタイプだ。どういう人とフィーリングが合うのか、それこそがタイプなのに自分のタイプをうまく言葉に言い表せないだけ。選ぶ相手はいつもどこかが似通っている。

もうひとつはタイプなんて無く「誰でもいい」人。自分のことを構ってくれたり好きになってくれそうな人なら誰でもいいっていう人は、世の中には結構いる。見た目が良くなかったり、あまり人から愛されてこなかった人には特に多い。よく言われる「優しい人がタイプ」もここに該当する。その優しさは相手を都合よく利用するための餌でしかないチープな優しさというやつ。もしくは本人の無意識から自然に出てくる優しさであり、決して相手を思っての優しさではないパターン。

「愛がなんだ」の主人公テルコが「好きなタイプを言語化できない人」なのか、「誰でもいい人」なのか。僕は後者に見えたが、田中守は全然優しくなくただの連絡くれる人。あなたはテルコをどう見るだろう?

ついでに言うと仲原くんはどうか。彼自身の「葉子さんは優しい」というセリフから、自分を構ってくれる人なら誰でもいいような気もするが、仲原くんは別に「好きになった人がタイプ」とも「優しい人がタイプ」とも言っていない。仲原くんは僕から見ておそらく、葉子の見た目の良さと、気さくな態度に惹かれたんじゃないだろうか。この映画に出てくるモテ女の葉子もすみれも、共通しているのはフランクさである。「フランクな女性はモテ、重い女がモテない」という事実は人間界の自然定理と言ってもいいぐらい定型化している。

田中守問題

テルコの話に戻る。テルコが狂気じみていると思う理由は、田中守に対する執着に挙げられる。その行動もそうだが、執着に根拠が無いこと、根拠が曖昧なことも理由に加わる。田中守が自分のことを構ってくれなくなると、縁が切れてもおかしくない。しかしテルコはあくまで田中守に執着し続ける。これは環境も悪かった。田中守はテルコを重い存在だと煙たがりつつも、ときどき連絡をよこしては都合よく「やらせて」とねだる。田中守からの連絡がスッパリ切れていれば、また次の仕事や恋愛に足を踏み出せそうな雰囲気があった。テルコは報われない環境に身を置きながら「これでいいのか」と自己問答を続ける。やがて自ら「田中守に愛されなくても縁が切れない」という狂気の環境構築に乗り出す。

田中守は世間で言うところの、雰囲気がカッコいいだけで何もできない、頭が悪く自分勝手で主張も薄いダメな男。なんというか一言で言うなら「味が薄い」。雰囲気良くて付き合ってみたら、ただのつまらない男だったという経験がある方は、その人をイメージしてもらえればわかりやすい。普通のおもしろくない人。そういう人は世の中において、けっこうモテる。むしろモテる人の中心はそういうただ無難なだけで中身スカスカの、薄っぺらい人じゃないだろうか。

なんで田中守みたいな人がモテるのだろうか。見た目がいいことを除けば、多分、人の扱いを心得ているからなのだろう。ウケがいい。コミュニケーション能力至上主義の世の中において、微妙にコミュニケーション強者なのだと思う。田中守のような人と一緒にいると、なんとなく心地良いと感じやすい。なんとなくかっこいいと感じる。

僕が一番好きなのは…

仲原くんです。この映画を見て持った一番の感想は「仲原くんと友達になりたい」だった。仲原くんには一部共感するようなところがある。仲原くんと僕の違うところは、葉子のような人を好きになったりしないところや、葉子にあんなふうに扱われて我慢しつつひたむきに応え続けたりできないところ、単純な幸せを求めたりしないところなど、多々ある。それでも仲原くんが良いと思うのは、僕が彼のように振る舞えないからこそだ。彼は僕にできないことをやってのける。仲原くんの喋り方や挙動もいい。バーベキューですみれさんとカメラについて話すやりとりも素晴らしかった。

僕があの映画の中で、仲原くんの友達だったらと妄想する。僕はきっとすみれさんのように仲原くんの話を聞き、「なんでそんな女に付き従うんだ?」と追求するだろう。仲原くんと葉子の関係はおかしいし、都合よく利用されているだけだぞと。彼はもちろんそのことを自覚しており、その上で葉子に愛されなくても、そばにいられるだけで幸せだという態度を崩さないだろう。葉子の良さを僕が理解できないことも承知している。

僕はテルコのように、葉子と話をつけにいくだろう。仲原くんが「葉子さんのことを好きでいるのを辞めます」と言う前に、葉子に会いに行く。もしかすると仲原くんと3人で飲む場を設け、そこで言うかも知れない。葉子に「お前は仲原をどう思ってるんだ?テルコに田中守のこととか言う資格あんのか?人のこと言えんのか?」とか「お前は一体何がしたいんだ?」と。

葉子に「お前別に仲原じゃなくてもいいだろ。これ以上仲原を傷つけるのはやめろ」と言い、葉子の話を聞く。僕は葉子と親しくなり、葉子の寂しさを埋める。そして仲原くんから葉子を遠ざける。葉子が相手をしてくれなくなった仲原くんに対して「お前は葉子にとってその程度の人間だぞ」と話す。お前のことはなんとも思っておらず、お前は代わりの効く存在で、葉子は特別じゃないぞって。そんなことをわかっていた仲原くんも、他人から事実を突きつけられ、さらに葉子とも連絡が取れず落ち込む。「でも僕は違う」と仲原くんに言う。「お前は僕にとって特別なんだ」って。

ネット上で仲原くんに言及した記事があまりないと聞き、今回こんな形で仲原くんに対する好意を綴ってみました。僕にとって「愛がなんだ」は、テルコよりも仲原くんの映画だった。みんな田中守より仲原くんを好きになればいいと思います。しかし仲原くんに好意を寄せるタイプの人間に、仲原くんが興味を示さないというのもまた現実なんだなあ。仲原くんみたいな人は、誰からも好かれるわかりやすいタイプが好きだから。

愛がなんだ (角川文庫)

愛がなんだ (角川文庫)

原作は読んでないです。「愛がなんだ」は 「底辺文化系トークラジオ 二九歳までの地図」の愛がなんだ回を聞いて見に行きました。こちらもネタバレしてます。