「家族を想うとき」感想・評価

京都みなみ会館で、「家族を想うとき」を見てきた。怒りを込めて社会問題を見せつけるケン・ローチ監督の最新作。アトロクでも29tizuでも話題になっていたからずっと見たかった。ケン・ローチ映画で描かれている世界=現実はひどすぎて目を背けたくなると聞いていた。映画館に行く数日前にダニエル・ブレイクを見て、確かにとてもつらく、いろいろと考えてしまうものだった。

しかし、この「家族を想うとき」はダニエル・ブレイク以上だった。何がダニエル・ブレイク以上なのか。少なくとも僕にとってはダニエル・ブレイク以上に深く突き刺さる映画だった。どちらも希望がない、救いがないという点では同じ。ただダニエル・ブレイクにおいては良くなる兆しのようなものがあった。今回の「家族を想うとき」に全く無いです。つらさ、苦しみのスパイラル。生き地獄。

物語はイギリス、ニューカッスルで新たに宅配便のドライバーとして働く一家の父親と、その家族の生活を描いている。リーマンショックの時期に勤めていた建設会社が倒産して以来、仕事を転々としてきた父親。「生活保護は?」と聞かれると「俺にもプライドがある」と答え、自らにできる仕事を探し行き着いた先が宅配会社のドライバーだった。しかし、雇用関係はない。あくまでフランチャイズと個人事業主の業務提携であり、日本でいうところのコンビニ店長やUberEats、Amazonの配達をしているデリバリーパートナーズが同じ形態で仕事を提供している。

この会社のフランチャイズ契約のルールは非常に厳しいもので、1日14時間、週6日が勤務時間として拘束される。GPSで位置情報が管理され、トラックを2分離れるとアラームが鳴る。ドライバーはトイレに行く暇もなく、1Lのペットボトルをトイレ代わりに車に積んでいる。業務に穴を開けることはできず、与えられたノルマをこなせなければ罰金、保険のかかっていない荷物を紛失しても罰金、荷物を管理する端末を壊しても罰金という下手すると罰金地獄が待っている。

僕はこの映画の冒頭から既につらかった。新しい仕事を始めるつらさ。勝手がわからないところに飛び込んでいき、ベテランたちと同じ仕事を何もわからないところからスタートする不安。いたらなさ。逃げ出したくなる。それでも家族を養うために、なんとか頑張る父親。おかげで自宅に帰るのは毎日遅く、家族との接点は次第に失われていく。母親も介護の仕事で朝から夜まで拘束されており、自宅に帰ってくるのは夜9時以降。息子は両親を見て将来への希望を失い、学校に行かなくなる。娘は家族みんなを心配する余り不眠症に。

つらく、厳しいことがあってもこの家族は支え合い、力を合わせて現状を乗り越えようとする。それをことごとく打ち砕いていく社会の構造、システム。最低限の賃金で最大の労働力を得えようと、効率を最優先した資本主義社会。家庭の幸せ、国民の幸せと企業の利益は相反する。共存できるわけがない。こんな世の中はおかしい。間違っている。けれどそんな世界のルールの中で僕らが生きている。そのことを自覚しているか?というような警鐘を鳴らす映画だった。既に問題は起こっている。多くの家庭がグローバル企業に蹂躙されている。このままでいいのか?とこの映画は我々に問いを投げかける。

社会の搾取構造や貧困について考える上で、とても大切な映画であると同時に、もう一度見ろと言われると非常につらい、つらいだけの映画でもあった。こんなにもつらい映画があるのか。この映画を見るにあたっては、それなりの覚悟を持って映画館に挑んでほしい。そうでないともらい事故のように、強烈なダメージを食らって立ち直れなくなる。ケン・ローチ映画を見たのは「わたしは、ダニエル・ブレイク」に続いて2作目。過去にもカンヌ映画祭パルム・ドールを獲った作品などがあり、いくつか目を通したいと思うが、今回ばかりはさすがにちょっと時間を空けないと苦しい。