「夜遊び映画」に求めるもの

夜遊びはあまりしないほうだ。夜遊びと言えばなんだろうか。夜遊びなんとかっていうサイトは確か風俗情報サイトだったと思う。そういう夜遊びはほとんど滅多にしない。会社員のときに2回あっただけ。もっと広く、夜遊びと言うと、ただ夜飲み歩いたりすることも夜遊びだろう。クラブに行ったりするのもそうかもしれない。僕が求める夜遊びにも、そういうのは含まれる。厳密に言えばイコールではないにしても。

定型化してしまった夜遊びには、あまり魅力を感じない。例えば、風俗に行くとかクラブに行くとか、何が起こるか予想のつくこと、予想の範囲内で遊ぶ夜遊びをやりたいとは思わない。だから、ロスト・イン・トランスレーションの夜遊びはそんなに好みじゃなかった。予想の枠を超えない。

スプリング・ブレイカーズも、定型化された夜遊び像を求めに行っている感じが、自分のやりたい夜遊びと違った。単純にこういうノリを受け付けないっていうのもある。

もっと地味なやつ。だけど涼宮ハルヒのエンドレスエイトも、夏祭りとか花火とか、イベントがあまりに定型化され過ぎていて物足りなかった。

僕が夜遊びに求める本質は、「何が起こるかわからない感じ」にある。予想ができないもの。結果的に何も起こらなかったとしても、先に何が待っているかわからない状態を望んでいる。

夜遊び映画①「アイズ・ワイド・シャット」

アイズ・ワイド・シャットにおける、トム・クルーズが夜の街を歩く流れが好きなのは、その「予想だにしない何か」という僕が求める夜遊びの本質を突いている点にある。

アイズ・ワイド・シャットが名作かどうかは知らないけれど、僕はすごく好きな映画だ。どんな映画かというと、夫婦喧嘩をして家を飛び出し、夜の街を歩く男が、街娼に誘われ家の中までついていく。その後ピアニストの友人に聞かされた、目隠しでピアノを弾かなければならないアルバイトの話に興味を持ち、「フィデリオ」という合言葉と衣装をもってその現場に潜入する、という映画。これが実に夜遊び映画なんです。

夜遊び映画②「ミッドナイト・イン・パリ」

他にはどんな映画があったか。ミッドナイト・イン・パリもある意味夜遊び映画と言える。こちらはちょっとファンタジー過ぎて、夜遊び特有のスリリングに欠けるが、本質的には夜遊び映画だろう。こちらも、旅行先のパリで夫婦仲が悪くなり、旦那が一人で夜の街に出かけるという始まり方だった。夫婦喧嘩と夜の街はセットなのだろうか。

夜遊び映画③「アメリカン・スリープオーバー」

さらにライトになるけれど、アメリカン・スリープオーバーが好きなのも、単に青春映画っていうよりはその夜遊び感にある。アメリカン・スリープオーバーは夏休みの学生の、様々な夜の過ごし方を描いた青春群像映画で、これまで挙げた映画とは違い、何も特別なことは起こらない。そこには「何かが起こりそうな空気」だけがある。夏休みの夜、スリープオーバーとは夜通しである。学生たちは何かが起こることを期待して、各々の行きたい場所へ向かう。

僕は大人になってからもそういう、何が起こるかわからない夜遊び感を追い求め、旅行者の集まるシェアハウスを始め、会社を辞め、海外に出ては夜の街を歩き回り、バックパックで移動していた。「何かが起こること」を待っていたのではなく、「何が起こるかわからない状態」を求めていた。日本に帰ってきてからも、非日常的な人々との付き合いが続いている。自分はこれからも非社会的、非日常的で、予想できない状態が望ましい。それがアメリカン・スリープオーバーのように、ごく平凡で中身であってもいい。