目標を立てずに、候補を立てる

なにか一つの仕事なり決まりきった物事を達成するために、計画を立てたり目標を立てたりすることはある。けれど、個人的なことついては、そういうことをやらない。やったことがない。いつもなんとなくやってきた。

たとえば、去年に禁煙を始めた。今11ヶ月続いており、もうすぐ丸1年になる。きっかけは健康診断を受けるためだったかな。もう少し込み入った事情はあったけれど、大したことではない。禁煙を始めるにあたり、少しずつ減らしていったり、禁煙するための本を読んだりセラピーに通ったり、代替嗜好品を用意したりするわけでもなく、ある日突然やめた。それが今まで続いている。

どうしてもやめないといけない事情はなく、いつ再開してもおかしくない状況だった。タバコを吸っている夢を何度も見た。タバコ吸いたいと思うことは何度もあり、その都度どうするか考えた。最初のうちは、お酒を飲むと喫煙を誘発するためお酒を控えた。そしてタバコを吸わない分、食べて気を紛らわすことが多くなった。喫煙の機会がある場所や、喫煙者と会うことを避けた。禁煙がつらいことを意識しないでいい環境を作るよう心がけた。そういう場当たり的な対応を続け、今のところうまく行ってる。

今となってはお酒も飲むし、人が隣でタバコを吸っていても平気だ。レコードを仕入れている市場はおじさんばかりで、喫煙率90%ぐらい。常に誰かがタバコを吸っている。禁煙を始めた当初にここへ来ていたら、きっともたなかった。すぐ喫煙を再開していたに違いない。でも禁煙が数ヶ月続いた後に通い始めたおかげで、喫煙が誘発されることなく今に至っている。

これはもう意志の力とか、習慣の力ではない。場当たり的な対応のみ。まあ、スケジュールを決めて禁煙する人なんていないと思うけど、とにかく計画や目標みたいなものを意識せずに何かするほうが、自分には向いている。アレをやろうって決めて取り掛かるのは、僕には無理だ。勉強や筋トレ、ダイエットとかもそう。目標を立てて計画的にやろうとすると失敗する。

人生計画も、今まで全く考えたことがなかった。受験の半年前に理系から文系へ移った。就職は、やりたいことがないから年間休日が多い会社を選び、片っ端から受けた。業界も職種もバラバラだった。12月頃から始めて6月頃に終わった。それらがうまくいったかというと、必ずしもそうではない。

ただ自分は人生において、およそ夢らしきものを持ったことがないから、現実として目標を立てることもかなわない。仕事のように人に与えられた目標だったら、もしかすると計画を立て、実行できたかもしれない。けれどそんなものはやりたくないし、人に与えられた目標を追いかける人生なんて、自分の人生とは言えない。よく、人の喜ぶ顔が見たいとか、人に喜ばれるのが好きっていう人がいて、そういう人は誰かが喜んでくれるだけで頑張れるのかもしれない。僕はそうじゃない。誰が喜ぼうと自分には関係ない。

年間の目標、今年の目標といったものも、多分立てたことがない。気の向くままに、思いついたことがしたい、場当たり的に過ごしたい。準備に時間がかかることって、あんまりやってこなかったな。何年も勉強して資格を取るとか、そういうことに興味が持てなかった。目標設定をせず、計画も立てないまま何年も続けることはあり、そっちのほうが向いている。効率悪いけど。

計画的に物事こなして目標をクリアしていく楽しさ、っていうのがあるんだろう。そういうの楽しめる人はやればいいと思う。僕は時間が経つと飽きる。あと共同作業だったり、自分一人で行わない場合において計画や目標があったほうがお互いやりやすいと思う。情報の同期がしやすくなる。でも僕はそういことはやらない。

サラリーマンを辞めてから今まで、30歳で退職したから6年になる。その間、計画や目標というよりは、候補を立てて過ごしてきた。何をするかの候補。辞める時点でカナダ、オーストラリアへ行くこと、ボランティアへ行くことは候補にあった。とりあえずビザを取ってカナダへ行き、途中で延長して次のオーストラリアのビザを取り、帰国してからはボランティアを受けたけど落ちて、受かって、帰ってきたら6年過ぎていた。ボランティア中、帰国してから店を始めることを候補に入れていた。今やっている店だ。

他にいくつか考えた候補もあった。

  • カナダで進学する→勉強が嫌すぎてパス
  • オーストラリアで長く働く→やりたくなくてパス
  • 日本で就職する→やりたくなくてパス
  • 日本でシェアハウス兼ゲストハウス→糸口が掴めず保留
  • 東京に引っ越し→アテがなくてパス

残った候補を選んで今に至る。基準は興味があるかどうか、実現性があるか。去年の11月に、オーストラリアで知り合った子が店に来てくれた。彼女はもともと日本で働いていたが、今はシドニーの大学で学んでいる。僕と知り合った頃は、大学入学へ向けてお金を貯めていた。彼女は向こうの大学で学ぶことがめちゃくちゃ楽しいと言っている。勉強も海外生活も、何一つ負担とは思っていない。

僕はオーストラリアが好きになれず、勉強が嫌だからそういう候補を立てなかった。もし彼女のような心持ちであれば、向こうの大学へ進学することも可能だったのかな。興味がない難しい。それだけでなく、現実として楽な方へ楽な方へ行っていることは否めない。さして努力が必要ない候補を選んでいる。

結婚についても、僕は全く目標も計画性もなかった。結婚するっていう選択がもともと自分にはなかったから当然なんだけど、まさに場当たり的に結婚したと言える。1年経ったが、特に何も変わっていない。

言いにくいんだけど、知り合いに人生プランを全部考えている人がいる。20歳で何をして、30歳で何をして、っていうのを死ぬまで全部計画を立てるやつ。あれは昔孫正義がやってたことで話題になり、飛びついた人たちがこぞって真似をした。孫正義なら80歳までの自分が考えたプランに沿って行動したり、計画を修正しながら実行できるかもしれないが、他の人はどうだろうか。というか、今でもやってる人はいるのだろうか。

計画を立てることが無意味だとは思わない。有用性はこの文章の中にもいくつか挙げた。ただ自分は、自分の人生において、目標も計画もうまく扱えないという自覚がある。自分にとっては無意味どころか、やりもしない出来もしない目標・計画を立てることが、かえって妨げになることのほうが多い。そういう僕みたいな人間は、早く目標・計画型の手法から外れたほうがいいのではないか。

世の中において、目標を立て、計画的に行動することが、絶対正義のように扱われている。というか、やって当然、アタリマエのこととして。世の中全体を良くするためには最も効率的であり、汎用性も高く、必要なことなのだろう。ただ僕にとってこの手法は功を奏したことがない。合わない手法だ。だから僕は、目標を立て、計画的に行動することが善とされる環境で生きていけない。僕は目標や計画ではなく、候補を立てて場当たり的に過ごしてきた。

目標を立てても達成できず、計画を立てても実行できないまま、失敗の感情や、無力感、無能感をつのらせ、ストレスで自棄になるぐらいだったら、始めから立てないほうがいい。目標も計画も、絶対正義などではない。