シン・エヴァンゲリオン見た

やっと見た。見たかった多くの人はもう既に鑑賞済みだと思うけれど、いちおうネタバレを含みます。

この映画を見終わった直後に思ったことは、「あまり感想がない」。あれこれ語りたいとか、話し合いたいとかっていう気持ちがそんなに出てこなかった。実は、エヴァを映画館で見たのはこれが初めてだった。新劇場版は全部DVDで見た。旧劇場版はレンタルのVHSで(ちなみにソフトを持っていたのは「破」のみ)。だから、映画が始まってすぐに、映画館でエヴァの新作を見ているという事実に少し感動を覚えた。「ああ、俺は今新しいエヴァを映画館で見てるぞ」って。

いったいエヴァに対する思い入れが強いのか弱いのか、よくわからない。初めてエヴァを見たのは高校1年生の頃だった。TV放送は既に終了していた。劇場版Airまごころを君にも終わっていた。放映当時は、存在は知っていたという程度。全く関心を持っていなかった。それから何年か経って、近所のレンタルビデオでVHSを借りて立て続けに全部見た。なんじゃこりゃ、と思いながら。理不尽だらけ、物語の起伏ありすぎ、わけのわからない用語、癖の強い登場人物、ギリギリにエロい描写、見終わっても「エヴァンゲリオンとはなんだったのか?」という気持ちしか残らない。呆気にとられた。

僕が見た当時、15才か16の頃は、綾波レイの印象が強かった。ああいう人物描写に惹かれる。芯が強く、自己主張がない。物静かで、関心を示さない。僕自身があーいう人物を目指していたのか、似たところがあるのか、いずれにせよ綾波レイというキャラクターの印象が強かったのは覚えている。だから僕にとっての「破」は、15年ぶりのトラウマ成仏映画だった。

旧劇エヴァ熱は、見た直後にものすごく高まった。考察サイトなどを片っ端からハシゴしていった。参考文献などは、完結から時間が経っていたため的確なものだけを読み漁っていた。その時に思っていたことはやはり、「エヴァってなんだったんだろう?」だった。何もわからないまま、次第にエヴァ熱も落ち着いた。ロボット大戦にエヴァが参戦したりして、「おー」ぐらいには思っていた。なんだマゴロクソードって。

新劇が始まってから、序はいちおう見た程度。ほぼ同じだったから、結局一回しか見ていないんじゃないかな。破は本当に驚いた。今さらエヴァがこんなことになるなんて全く思っていなかった。繰り返し何度も見た。「これからどうするんだ?」と思っていた。そしてQ、噂のQ。Qを見た感想は「?」。これも一回しか見ていない。この時期にアオイホノオを読んだり、庵野秀明のインタビューとか映像をたくさん見て、庵野秀明がどういう人なのかっていうことをいろいろ知った。

エヴァは物語とかそういうものではなく、庵野秀明なんだなと思うようになった。それは旧劇の頃からずっと言われていたことだった。エヴァは娯楽の体をした私小説、文学に近い。だから物語としての整合性なんかを真面目に考えると混乱する。あれだけ疑問に思っていたことに、具体的な答えなんてなかった。物語中で意味深に語られていたことも、さして重要でなかったことは大人になってからわかった。

今回シン・エヴァンゲリオンを見ていても、ずっと庵野秀明のことがちらついた。ストーリーではなく庵野秀明。庵野秀明の声がどうしても届いてしまう。エヴァを見慣れている人はきっとみんなそうだろう。映画を見る人がいつも監督を意識しているのと同じで、目の前の映像の世界に入りながらも、作品世界、展開が全部庵野秀明に見えてしまう。庵野秀明の作った世界、語る世界ではなく、=庵野秀明。庵野秀明を表現する上で映画という形式は、TVアニメより向いていたと思う。

シン・エヴァンゲリオンの感想は、見れてよかった。映画館で見れてよかった。卒業式を見ている気分だった。おめでとう。ありがとう。さようなら。

帰ってからプロフェッショナル仕事の流儀を見て、庵野監督が「何を作ってもエヴァになってしまう」「エヴァの二番煎じになってしまう」と言っていた。「エヴァを終わらせる」と。お疲れさまでした。でも漫画版ナウシカの劇場版を庵野監督が撮ったらエヴァになってしまいそうですね。

「庵野秀明スペシャル」

「庵野秀明スペシャル」

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