「本の読める場所を求めて」を読んだ

読みやすく、おもしろい本だった。内容を一言で言えば「本を読むのに適した場所がない!」と嘆く著者が、自ら試行錯誤を重ねて理想の店を作った話。理想の店とはどんな店か。渋谷と下北沢にある「本の読める店」だそうだ。

前半は、本を読むのに適した場所がなくて困り果てる著者が、ここでもないあそこでもないと街をさまよう姿を延々と描いている。自宅、ブックカフェ、図書館、喫茶店、一見読書しやすそうなところはいくらでもあるのに、どれもこれも全部、何かが違う。場所を変え変え行けども行けども、それらがいかに本を読むことに適していないか、そしていかに読書をする人が世間で冷遇されているか、体験談を踏まえて語っている。その体験の恨みつらみは、声高な煽り芸で主張されている。

その内容は「言われてみれば」と思うこともあれば、「神経質すぎるだろ」と思うこともある。同意できる点、できない点は人によって違うと思う。この内容をおもしろく読める人もいれば、このスタイルに苦手意識を感じる人もいるだろう。僕は単純に読みやすいと思った。ブログ的な文章だなと。

後半は、著者が「本の読める店を作りました!」という内容。この本を書かれた阿久津隆さんは、fuzkue(文机のことかな)という「本の読める店」を渋谷と下北沢で経営されている。2014年から始められて、今年2021年には3店舗目ができる予定みたいだ。うまく行ってるようですね。では「本の読める店」とは一体どういう店なのか?どうすることで「本の読める店」を実現することができたのか?その採算性も含め、コンセプトからルール作り、店を始めてからの具体的なエピソードと、方針の調整に基づく成功体験が記されている。

前半:本を読むのに適した場所が全然ない!

前半に書かれていることは、僕は正直言って全く乗れない。著者がありとあらゆる場所を巡り、読書失敗体験談を語っていくんだけど、僕自身は本を読む場所に困ったことがないから、全く共感できなかった。でも文章はおもしろい。最初の掴みである自宅と、特にブックカフェのくだりにはめちゃくちゃ気合が入っており、この本全体を最後まで読ませるかどうか、ここで明確に勝負をかけている。

その店のスタッフは、どの人もなんというか強そうだな、というのが僕の受けた印象で、(中略)まったくただの偏見でしかないのだが、「この人たちは、自分たちが働いている空間にたくさんの本が並んでいるということに対して、どんな興味もないんじゃないか」とも思った。憶測というのは実になめらかに進む。「この場で本を読んで過ごす客に対しても、冷笑以外の気分を持っていないのではないか」
バックヤードでは「A5卓?あのなんか読んでる客?」と言っている。
「読書家の高尚な御仁?」
「ゴジンてw 言う人初めて聞いたwww ゴジンてwww」
せせら笑う声が聞こえてくるようだ。 P37-38

ブックカフェ嫌いすぎでしょ!このあとにブックカフェが決してリーディング(Reading)カフェではなかったことに気づき、思い違いによる挫折、ではブックカフェとは一体誰による誰のための店か、という考察がなされている。

これらの情報によって利益を得る層があって、それは「カフェ好き」の人たちだ。彼らは別に、読めなくても構わない。「読書の時間を味わえそう」という空気を味わえればそれでいい。インスタにアップするときに使い勝手のいい語句とストーリーを提供してもらえればそれでいい。そして、「ブックカフェに行ってきました。ゆっくり本を味わうのにぴったり!」と言えればそれでいい。その投稿文をぽちぽちつくりながら、一緒に行った友だちと「雰囲気いいね〜」と言えれば、本当にもう、それでいい…。 P63

僕は好きですよ!こういう炎上覚悟の切込み、煽り芸。ただまあ寒いと思う人もいるだろうし、敵も多いだろうなと思う。でもその姿勢は、後に語られる店作り「本の読める店」の徹底した姿勢に反映されている。「本の読める店」とは、「本を読みたい人のためだけに作られた店」であり、つまり店側が客を選ぶ。客層は厳密なルールのもとで選別され、ルールにそぐわない客を寄せ付けない、もしくは出ていってもらう仕組みになっている。(これ、実際に痛い客がゴネたらどうするんだろう…警察を呼べばどうにかなるのかな?)

後半:本の読める店を作りました!

「本の読める店」fuzkueとはどういう店か。本店は渋谷の初台にあり、席数は10席、カウンターとソファー席がある。ドリンクやフード、アルコールも提供しており、写真を見るとすごく利用しやすそうな、感じのいい店だ。店主である著者は、もともと岡山でカフェをやっていたということで、そのノウハウが活かされているのだろう。

客は来店したらまず席を選び、スタッフから水(白湯だったかな)と店のマニュアルが渡される。そのボリュームが、16ページ、1万2000字。この本にもマニュアルの全文が記載されている。これはどう考えても驚く。

fuzkueについて知れば知るほど、「そんな店成り立つの??」と思ってしまう。この店では飲食やアルコールが提供されているけれど、ただのカフェバーではない。「本の読める店」と銘打っている。どちらかというと「本を読むための店」ではないだろうか?(何故そう謳わないのだろう)

マニュアルを読んで飲み込むまで、料金体系は一見複雑だ。この店は、長時間に渡って本を読む人のために設計されている。だから、4時間で2,000円前後という料金になっている。何も注文しなくても1,500円、5分の利用でコーヒー1杯頼めば1,600円になる。でもコーヒー2杯とケーキを頼んで4時間利用しても1,900円、定食とビールを頼んで4時間利用しても2,100円だ。初めからガッツリ読書をするために、長時間利用を想定している。

また、基本的にはお一人様を優遇している。二人連れでも、店内の会話が認められないルールだ。パソコンの使用も認められない。それらは全て、ノイズという形で読書をする人の妨げになるから、店外もしくは別の店で行うことを推奨されている。すごいね本当に。

著者の言う通り、映画館では映画を見ることに集中できるように、私語やスマートフォンの利用が禁止されている。そのルールは不文律というか、当たり前のマナーとして多くの映画館利用者に通用している。だから読書のための店で、読書が快適にできるようなルールが敷かれていても、決しておかしくはないという理屈だ。他にそういう店がないだけで。

この徹底した店作りの姿勢は、けっこう目からウロコだった。めちゃくちゃよく考え、試行錯誤され、改良されている。はっきりとしたコンセプト、企業理念、目的意識がどれだけ重要かよくわかる。誰が経営する、誰のための、どういう店なのか、ゴールは何なのか。本来の目的。それは決して、数字(利益)ではなかったはずだ。

カフェや飲食店だけでなく、コワーキングスペースといったコミュニティを運営する人にとっても、もしくは何らかの形で顧客にサービスを提供する企業にとっても、この本で書かれていることと、著者が行ってきたことは、大きなヒントになるのではないか。

「本の読める店」に行きたいか?

この本に書かれていることは、全体的に思いもよらない視点だらけだった。僕自身は結構いつでもどこでも本を読んできたから、本を読む場所に困ったことがない。自宅で読むことがほとんどだけど、コワーキングスペースで読んでいたこともあり、シェアハウスの共有スペースで延々と本を読むこともあった。電車ではもちろん読むし、屋外で読むこともある。鴨川を歩きながら読んでいることもあった(Kindleだが)。周りの目を気にせず、どこでも読む。むしろ本を読むためにどこかの場所を選んだり、出かけたりすることがなかった。だから著者の気持ちというのは全くわからない。

僕から見ると、著者やfuzkueの想定客は、ちょっとセンシティブ過ぎる。そして著者やfuzkueからすると、僕は大雑把でがさつ過ぎるだろう。招かれざる客だ。この本で散々敵視されているような、店や周りの客に敬意の払えない客ではないと思う(と願う)。しかし、それにしてもミスマッチではある。店に行ったとして、ルールに従うことはできるだろう。けれど、こういうセンシティブな人が作ったセンシティブな人のためのセンシティブな店は、きっと僕にとって窮屈だ。

どうだろうか?悪く言うつもりはなかった。正直行ってみたいとは思う。メニューが豊富で、中でも酒。酒を飲みながら読書に専念した経験は、実は自宅でもあまりないかもしれない。fuzkueに行ってみると、意外とはまるんじゃないだろうか。でも自分はやはり大雑把な人間だから、僕なんかがこの店に居ると邪魔で、やっぱりこういうところは向いてないと思う。

本の読める場所を求めて

本の読める場所を求めて

  • 作者:阿久津隆
  • 発売日: 2020/07/16
  • メディア: Kindle版