自分の幸せ

自分の幸せという発想は、昔からなかった。苦しい思いをしたくない、つらい思いをしたくないという気持ちはあるけれど、幸せになりたいというのとは違う。自分の幸せのため、幸せになるために何かしようとかって思ったことがない。幸せについて、あまり考えたことがなかったのだろう。自分にとっての幸せとは何か、という像がない。どうしたいのか。希望というか、理想がなかったから、あえて考えるまでもなかった。

僕は今、人生で最良の時間を過ごしている。予想もしていなかった生活であり、目指してもいなかった。たまたま転がり込んできたラッキーだった。だから、自分の幸せは今ここにある。それまでにもあった気がする。一人のときも、不安も大きかったがそれはそれで好き勝手やっていたから、良かった。自分にとって、自分の幸せは理想を描いたり目標を定めて勝ち取っていくものではなかった。身近に存在して、実感するかしないか曖昧なもの。あまり考えなくていいもの。

「闇金ウシジマくん」で、借金した友達を助けるために、事故のあった原発で除染処理の仕事をするという話があった。おそらく、つらく苦しい思いをして、命まで失うだろう。そこに自分の幸せはあるのだろうか。自分だったらやるだろうか。誰のためだったらやるだろうか。「やる」と答える人は意外と多いと思う。そして「やる」と答える人は、自分の幸せを見つけている人じゃないだろうか。