「Distance わたしの #stayhome 日記」はなんとも言えない感情が込み上げてくる

「Distance わたしの #stayhome 日記」を買った。今日マチ子というイラストレーターの人が、去年の緊急事態宣言からTwitterに上げていたイラストと文をまとめた本。Twitter上では見たことなかったから、本が出るまで存在を知らなかった。購入に至ったいきさつは、本屋のTwitterアカウントで入荷の告知を見て、気になったから。

イラストと文を見て、すごく若い視点のように思えた。今日マチ子さん、学生ぐらいの人かな?と思ったら、自分と同じぐらいの歳の人だった。実際に若い人が見たらどう思うのかはわからないけれど、いろんな年代の人が見て、それぞれの視点から思うところがあるんじゃないだろうか。

2009年の新型インフルエンザについても触れられていた。"あのときよりも今のほうが悲観的ではある"と書かれている。新型インフルエンザが流行したとき、日本にはなかなか入ってこなかったけれど、当時、海外から迫りくる恐怖のような悲壮感がすごかった覚えがある。メキシコかどっかだっけ。何も対策できなくて、人がどんどん死んでいくニュースを見ていた。

去年の4月ごろ、コロナ初期にもそういう、海外から迫りくる未知の恐怖、みたいな感覚が強かった。2021年の今のほうが変異株も蔓延して、感染者数も死者数も病床使用率もよほどひどいんだけど、どこか恐怖に慣れてしまったところがある。ワクチンという希望も大きい。去年の春のあの感じは、あの当時にしかなかった。当時の感覚が、イラストと文から蘇ってくる。あの頃の心情、考えていたこと。

来年(2022年)にはおそらくワクチン接種も拡がっていて、コロナ終息宣言が出て浮かれ倒して飛行機にだって乗っているかもしれない。それまでにも多くの人が亡くなる(自分もその一人になるかもしれない)。けれど一度過ぎ去ってしまえば、去年とか、今年のこのコロナ禍を過ごしたときの気持ちは、きれいサッパリ忘れてしまいそうだ。既に忘れている去年の感覚を、このステイホーム日記を読んで思い出しているぐらい。

だからきっと、来年にこの本を読むと、また違った気持ちになるんじゃないか。5年後10年後に読むと、また全然違うだろう。あんなことあったね、なんて言ってると思う。その頃にはもう誰もマスクをしていないだろうし。ましてや来年以降に生まれた人は、コロナ禍を知らずに育つ。このステイホーム日記に書かれている多くのことが、意味わからないだろう。彼らにとってリアリティのない、歴史上の資料になるんじゃないか。

東北地震や原発もそうだった。騒いでいたのはあのときだけ。僕は当事者じゃなかったから、教訓もなにもない。あれから世の中は、少なくとも僕にとっては何も変わっていない。コロナには今のところ感染していないけれど、今回は世界中の誰もが、同時期に、当事者だった。経験したこと、思ったことがたくさんあったはずだ。きれいサッパリ忘れてしまいたくない。

僕は戦争も体験していないから、戦時体験を自分のリアルとして受け取れない。いくら重要だと言われても、歴史上の資料としてしか見ることができない。でもコロナ禍は、今を生きる誰もが当事者だから、この先も当事者性を持って向き合えるはずだ。「Distance わたしの #stayhome 日記」は、それぞれの今を未来に残す、当時の気持ちをこの先もずっと呼び起こしてくれる、貴重な一冊になると思う。

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