「日本を降りる若者たち」を読んだ

2007年に出た新書。一年の大半をタイ、バンコク、カオサンロードの日本人宿で過ごし、残り数ヶ月だけ日本で働いて生活費を貯めるという、当時一部で流行った「外こもり(海外で引きこもり)」というライフスタイルを調査した本。どういう人が「外こもり」の生活スタイルを行っており、どういう背景でそこに至ったか。年齢は、きっかけは、収入源は、10数人インタビューしていくなかで、その分類と傾向が見えてくる。また、外こもりの現場としては主にタイを取材しているが、カンボジアや沖縄の話も少し登場する。

著者は旅行ライターの下川裕治。もともとは格安航空券を紹介する本で有名になった人。ガイドブックや紀行文、旅コラムのような本もたくさん出ている。この「日本を降りる若者たち」のような、ある種ジャーナリスティックというか、ノンフィクションめいた著作は、旅行本界隈では珍しいんじゃないか。楽しさや冒険、波乱万丈を描く旅行本が多い中で、「日本を降りる若者たち」では旅の裏側、現実、ダークサイドの実態調査を行っている。

ここに出てくる人、書かれていることは、ほぼ自分に当てはまると思った。全部が全部思い当たる。同時に、全部が全部自分ではない。例えば、第三章「ワーキングホリデーの果てに」に書かれていることは、ワーキングホリデーに行った人の半分ぐらいは当てはまると思う。

漠然と海外で暮らしたいと願っている若者は少なくない。そんな若者にとっても、ワーキングホリデーは都合のいい手段なのだろう。働くこともできるし、仕事がなければ英語学校に通えばいい。しかしそこで味わう生活には寂しさがつきまとうことが多い。自分から輪のなかに入っていかないと友だちもできないスタイルが欧米型の社会だ。日本人のなかにはそれが苦手な人が多い。
「前にがつがつ出ていくタイプじゃないんです。妙なところでは我が強いけど。オーストラリアでも、うまく溶け込んでいく人を見ていると、そういうこと、自分にはできないなって思っちゃうんです」
こういうタイプはやはりアジアなのだろうか。控えめが美徳であるという風土…。その言葉は肩の力が抜けるように響くのかもしれない。 P76-77

前半は、自分もそういう思惑でカナダへ行った。なんとなく海外の生活を体験したいというのが、一番の目的だった。学校も行ったし、アルバイトもした。ただまあ自分はその生活が寂しいとは全然思わなかった。話す人も、遊びに行く人もいた。現地のカナダ人、他の国から来ている人、自分と同じ立場の日本人、まんべんなく付き合いがあった。一人でも楽しかった。特に自分から前に出ていく方ではないけれど、住んだ家とかたまたま周りの環境がよかった。あと英語がある程度わかったのも大きい。

ワーキングホリデーでカナダやオーストラリアに来ている人は、半分以上が英語が全然ダメだった。僕も現地の語学学校に半年通ったから、そこそこになっただけ。ほとんどの日本人は3ヶ月とか、短い期間しか学校へ行かない。しかも最初のレベルが低い。英語が全然ダメでも、外国人と仲良くなる人はたくさんいる。そのあたりは性格に左右される。引っ込み思案で言葉もダメとなるとなかなか難しい。向こうへ行っても結局日本人とばかり一緒にいる人は、そういう人だったのかな。

ワーキングホリデーに行く人は、よくも悪くもこの本を先に読んでおいていいと思う。 #ワーキングホリデー #オススメ #ガイドブック #日本を降りる若者たち ぐらいで考えてもいい。ワーキングホリデーの前向きな情報を紹介する本やサイトはいくらでもある。この本でネガティブな側面、決してネガティブとも言い切れない側面を、まとめて読めるのは都合がいい。

他にも、自分には当てはまらないけれど留学リベンジ組や、シニアロングステイ組、鬱病回避型など、幅広い事例が紹介されている。この本が出てから10年以上経った今のバンコクでは、もう成り立たないかもしれない。ここに書かれているカオサンロードは、かつての桃源郷の姿かもしれない。旅行の文化史として読んでもおもしろいと思う。ただ僕は正直、ここに出てくる人たちのそれぞれが全く他人事ではない。

自分もこうだった、自分もこうなっていたかもしれないという身近な事例が満載で、心穏やかに読み進めることができなかった。自身が逃避先として外国に出たのは全く同じ。以前に感想を書いた本で「アジアンジャパニーズ」というものがある。「日本を降りる若者たち」は、言うならば「エモくないアジアンジャパニーズ」、「アジアンジャパニーズのなれの果て」。あの本を興味深く読めた人も、読みやすいとは思う。一見してやはり、暗いことばかり書かれている。

中には、あまり共感できなかった点もある。僕はそもそもタイやカオサンにそれほど魅力を感じなかった。僕が初めて行ったのが2011年だから、2007年当時とは様相が違うのかもしれない。東南アジアの大都市で、娯楽も観光地もある。コンビニ、スーパー、屋台、ショッピングモール、電気街、クラブ、ゴーゴーバー、なんでもある。少し移動すればタイ人だけが暮らす地域もあり、バスや電車で田舎にも行ける。便利だと思う。

でも、行ってもやることがないなーと思った。僕は観光旅行で行ったからそう思っただけで、生活の場となるとそもそもやることなんて求めないだろう。トロントもやることはなかった。単純に、タイにもタイ語にもタイ人にも特別な魅力を見出していないだけかもしれない。タイ語を学んで現地就職を目指す人のことも書かれていたが、全然やりたいと思わなかった。

もう一つ。僕は日本人宿に行ったことがない。外国へ行ってまで、あえて日本人ばかりのゲストハウスに泊まる意味がわからなかった。日本人宿のメリットは、旅行者だと情報交換ができたり旅の仲間を探せたりする、と言う。これは別に、日本人宿じゃなくてもできる。宿泊客が日本人同士で、生活習慣の違いを気にしなくていいとかもあるそうだが、僕はそういう日本らしさからの逃避で外国に行っていた。外国へ行ってまで日本の習慣なんて、まったく求めていなかった。

だから、これらカオサンの日本人宿を中心とした「外こもり文化」とは、基本的に相容れない部分も大きい。その源流となるバックパッカー文化も、乗れないところがたくさんある。それでもなお、彼らの話は一部僕の話であり、僕が憧れた部分もあり、自分がこうなったかもしれない姿だった。特に精神を患って、日本社会から脱するために「外こもり」をしている人の話では、日本で無視され続けた人間の行き着いた先にカオサンがあり、国内における社会病理の逃げ場として機能しているところなど、自分や身の回りの現実とめちゃくちゃリアリティを持って重ね合わせ、考えることができる。この本を読んでいると、思い浮かぶ顔がいくつもある。彼は、彼女は元気でやっているだろうか?同様に、僕の顔を思い浮かべる人もいるかもしれない。