2010年代との邂逅:ニート、ノマド、シェアハウス、ブログ、海外移住

(ミニマリストを足してもいい。僕はそんなに乗っからなかった。)

今日、文学フリマ京都があった。そういう催しがあることは知っていたけれど、これまで行ったことがなかった。会場が家から近いのと、一緒に行く人がいたことで、今回初めて足を運んでみた。京都もオミクロン株が確認され、感染者数は過去最大となり、ギリギリまで行くかどうか迷った。けれど飲食をするわけじゃないし、混んでいれば撤退しようと思って足を運んだら、けっこう空いていたから安心した。

行こうと思っていたところが3つあった。一つは最近読んだ「パリのガイドブックで東京の町を闊歩する」の友田とんさんが、東京から来ているということで「『百年の孤独』を代わりに読む」を買った。もう一つは、2014年頃にブログをよく見ていた真夜中の波ちゃん(この名義で固定されたんだな)。僕が日本に帰国してからいろんな人に会ったうちの一人で、それ以来、実に5年ぶりだった。最後に、エリーツ、phaさん。phaさんは僕が一方的に知っているだけ。面識はない。今回売り手と買い手という立場で、初めて会話をした。ほとんど僕が一方的に話すだけの、他愛のない雑談。

話終わりに僕はつい、「遠いところまで来てしまいましたね」などと口にした。相手には聞こえなかったかもしれないし、聞こえたとして何のことかわからないだろう。僕がphaさんを知ったのは2011年、およそ10年前。当時phaさんは「日本一のニート」と名乗っていた。最近は毎年本が出たり、バンド活動をされたり、ジェーン・スーなどとイベントを行ったりされている。ずいぶん前からニートは名乗らなくなり、ギークハウスも解散した。もうプログラムも書いてないんじゃないだろうか。僕が知った頃のphaさんと今とでは、やってらっしゃることが大きく違う。僕も10年前と今とでは全然違う。

この10年にいろいろあった。去年読んだ記事で、ギークハウスが当時からそんなに順調じゃなかったことを初めて知った。

日本一有名なニートだったphaさんが、シェアハウスという青春から卒業して一人暮らしを選んだ理由【いろんな街で捕まえて食べる】 - SUUMOタウン

メディアへの露出が増え、活躍の場も増え、どんどんスケールアップしていくように見えるphaさんも、実は意外と思い通りにはいかなかったのかもしれない。当初思い描いていた方向とは全然違う形で、現在ある種の成功というか、落ち着きに至っているのかもしれない。

phaさんは、僕の2010年代のロールモデルだった。2010年代の新しい生き方を象徴する人だった。そして今年2022年になり、初めて本物を目の前にして、当時と邂逅してしまった。

2010年代。震災以降などとも呼ばれたから、正確には2011年以降かもしれない。2012年初頭にはこういう記事があった。当時空気感がよくわかる。

佐々木俊尚が5人の若者に聞く『21世紀の生き方』第1回「ノマド、シェア、そして家もいらないーー私たちはこんな生活をしています」(佐々木 俊尚) | 現代ビジネス | 講談社(1/7)

ホリエモンですら、出所したらノマドになりたいなどと言っていた。ノマドと言っても昨年アカデミー賞を獲った「ノマドランド」みたいな話ではない。テクノロジーを駆使して場所に縛られない生き方を、10年ほど前にノマドと呼んだ。この言葉は早々に廃れた気がする。

折しも2020年よりコロナ禍となり、リモートワークが進んだことで当時言われたノマド的な生き方がより進んだ人もいると思う。リモートワークという言葉は当時からあった。海外のサービスでリモートイヤーというサービスがあり、それは1年を通して世界各国を回りながらリモートワークするというもので、ちょうど京都も拠点に含まれていたため紹介されたことがあった。それは2016年だった。

「リモートワークと旅を同時に」Remote Yearが1200万ドルを調達 | TechCrunch Japan

「会社を辞め、ブログやWebサービスなどネットから生活の糧を得て、シェアハウスに暮らす。もしくは手に職つけて、海外に移住する。もしくは二拠点生活」

そういう生き方ができるかもしれないと夢を見たのが、2010年代だった。プログラミングに手を出したこともあったが、あまりにもピンとこず楽しくなかったので早々にあきらめた。ブログはもともと書いていたけれど、当時は広告を貼って即物的なエントリーを書き、注目されることを狙ったりもしたが、性に合わなかった。シェアハウスは、コネでもないとハードルが高すぎた。普通に家を借りてシェアをしてみたが、思い通りには行かなかった。

唯一やったのが、会社を辞めること。そのついでに海外へ行った。海外へ行ったところで具体的にやりたいことはなく、できることもない。ずっとその場しのぎ、時間つぶしだった。これからもその場しのぎ(その日暮らし)の生活をするんだろうなと、ぼんやり思うようになった。それはそれで良かったと思うし、現実の自分にはそれ以外の道がなかった。2010年代に思い描いていた暮らしは、途中から絵に描いた餅だった。

「遠いところまで来てしまいましたね」という言葉は、phaさんに向けて出た言葉であり、自分に向けた言葉でもあった。僕自身の今の生活は、スリルや冒険はなくなったけれど、これまででもっとも落ちついている。決して今が悪いというわけではない。けれどあの頃思い描いていた、理想とした未来とは、全然違う形になった。それはひょっとすると、phaさんとて同じなんじゃないだろうか。そんなことを勝手に思った。

僕の会社員の頃の同期で、phaさんと友達だと言っている男がいた。もう15年以上前の話。ふとそのことを思い出して、phaさんに聞いてしまった。そんな男のことは覚えているはずもないのに。しまいには、はてな創業者の近藤さんの名前まで出してしまった。2017年に初めて近藤さんとお会いしたとき、舞い上がって「アンテナから使ってます」などとはてな古参ユーザーっぷりをまくしたてたのと同じ。ダイアリーやブックマーク、匿名ダイアリーの話をしているうちに「はてな界隈」の話になり、「ユーザー同士のことはよくわからない」と言われ、そりゃそうかと思った。

憧れていたphaさんを目の前にして、何か接点を持ちたかった。そんな困った質問をしてしまったのに、なんというか、当たり障りのない受け答えをしてもらった。なんかほんと、すみません。

僕が言いたかったのは、2010年代に理想の生き方として憧れていた人が、2022年になって初めてお会いできて、今はもう自分も向こうも当時とはすっかり変わっており、遠いところに来てしまったなと思いつつ、その瞬間に当時と邂逅したというお話でした(曖昧日記を買いました)。

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特別お題「わたしの推し