ヒトコトへの回答㊹:何者問題

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94通目:何者問題

はじめまして。 「何者かになりたい」ってなんぞやと探していたらここに辿り着きました。 30歳を目前に学友と集まったのですが、私はどうやら彼らの言う「何者か」になれる(?)らしく、彼らはもうなれないと嘆くのです。訳がわからない。 有名人でもプロでもなくSNSも興味がなければ仕事も今や辞めてしまって、他人との差異はやりたい放題生きてることでしょうか。しかしそれもレールに「乗れない身体」だからと開き直っている些細な事ばかりな上、経済的には身を削る一方です。
ふと「でもいつだってできることだよ」と返した時の「何者にもなれなかった俺には無理なんだよ」と言ったあんなに頼もしかった友人の顔が忘れられません。病気を差し引いても私に対して彼は充分に立派な働くお父さんです。何が不満なのか。彼はその健康な体と社会人として培った信頼、金銭を持ってしていつでももっと大きなパイに噛み付ける。
どうしたら自分の足元は意外と道があると気づいてもらえるのだろう。外れても大丈夫とわかってもらえるのだろう。様々なサイトに記載された単純な上昇志向や憧れでは足りない何かを求めているのかとウンウン唸っていた最中、散々例を挙げ検証した上で「わからん」と投げ捨てたこのエントリーに救われました。

多分、これを読んだのかな。

その学友は、可能性が閉じたという話をしたかったのだろう。実際に「何者か」になれるかどうかは別として、可能性が開かれているか閉じているか。彼はレールに乗ってしまい、レールの外に憧れをいだきつつも、現状維持のほうが気持ちとしては勝っている。

例えば、既婚の人が未婚の人に対して「若い彼女がいてうらやましい」とか「俺も遊びたい、遊べてうらやましい」とか口では言ったとしても、普通はやらない。本心で思っていてもやらない。本当にそれをやってしまうと不倫になって家庭崩壊だ。でも願望はある、という状態かな。本心では現状を肯定している、もしくは肯定せざるを得ない何かがある。

レールに乗れなかった人は、そういう守るものがない。不確かであるということが、可能性がある、すなわち「何者か」になれる(かもしれない)と言っているのだろう。

本題から逸れましたが、「何者か問題」の答えは今も変わらずでしょうか。 いつかまたここに訪れた時に今どう思っているか教えて頂けたらとても嬉しいです。

「何者か問題」の答え?なんだっけ。「何者問題」は誇大妄想かな。「何者かにならないといけない」という強迫観念に囚われているだけ。僕は今が良ければそれでいいと思う。先のことも含めて、今が大事。何者かどうかよりも。

p.s.奥様のお話、海外の行方知らずな友人のお話の2つはなんだかきらきらとした記事で、読んでいて楽しかったです。

どれのことだろう。

これまでのヒトコト、回答をまとめました。