「街とその不確かな壁」ネタバレ有りの感想・書評

2023年4月13日に出た、村上春樹の新刊です。これまで村上春樹の新刊を、リアルタイムで読んだことはなかった。初めて同時代の波に乗っかる。ただ今回は、前回『騎士団長殺し』や前々回『1Q84』の時ように大々的に騒がれていない。一冊だけど650ページ超えで、長編のはずなのに。世間はもう村上春樹に飽きたのか。ノーベル賞も獲れなさそうだしね。

そもそも騒がれだしたのが、『海辺のカフカ』でノーベル賞の前哨戦と言われるフランツ・カフカ賞を獲ったあたりからだった。「大江健三郎以来か」とにわかに沸き立ったがその後何度も逃し、「どうやら見込みがなさそうだ」というところで落ち着いたのかもしれない。

なぜ村上春樹作品を読むか

僕は、というか多くの村上春樹読者は、そういう世の中の流れにあまり関心を示さず、横目で傍観していた。賞レースで騒ぐのは一過性の戯れであり、時代の流れとは密接に関わっているかもしれないけれど、作品の本質は別のところにある。

同じ作家の本を数多く読むと、どうしても作品の奥にいる作家のことを思い浮かべるようになる。この人が何を書こうとしているのか、何を言わんとしているのか、この表現は何を現しているのか。物語はただ物語として単体で愉しめばいいんだけど、やはり他の作品との、果ては作者との繋がりが気になる。村上春樹はどうやら、同じテーマで、同じモチーフで何度も別の物語を書いているようだ。

それは村上春樹読者にとって自明のことだったけれど、今作の作者あとがきにはっきりと記されていた。『街とその不確かな壁』は、単に『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の元になった物語の書き直し、というだけではなく、いつもの村上春樹の話だった。つまり、「僕と君」の物語であり、「あちら側とこちら側」の物語だった。今回村上春樹は、自らのテーマにどう向き合ったのか。それを読むのが、僕の村上春樹作品を読むときの姿勢になっている。

ネタバレ有りのあらすじと感想

第一部は、村上春樹の実に象徴的なエピソードを寓話化したような話になっている。若い頃、子供の頃の思い出を振り返るところから始まるこの冒頭は、他の作品でもよく村上春樹のトラウマ的扱いとして用いられている(例えば『国境の南、太陽の西』の島本さん)。村上春樹は何度も、こうやって老成してからも、過去の思い出に向き合っていると思われる。ということはつまり、この第一部で描かれてるテーマが、村上春樹小説の根源なのではないか。老いてもまだこのテーマを振り返るということは、ある意味最後までやり切れていない、生涯をかけてのテーマになっているということなのか。

こちら側にいたたまれず、あちら側に行ってしまう女の子。それを追いかける主人公。そういうテーマのif物語を、村上春樹はこれまでにも書いてきた。今回の主人公は、そのまま大学生になり、社会人になり、ずっとそのテーマを抱えたまま孤独に生きている。そして45歳になり、その壁の向こう側へと旅立つ。壁の向こう側では、年齢という概念はあまり気にされない。当時のままの、主人公の記憶を持たない女の子を見つける。そこでの平穏な、満ち足りた、理想的な暮らしを見つける。時間の止まった、永遠の世界。主人公はそのまま虚構の世界に生きるか、現実に戻るかの帰路に立つ。

第二部からは、これまでにない新しい試みかもしれない。主人公は分離し、虚構と現実を並行して生きることになる。第二部は現実に戻った主人公の物語。言うならば、後日談。なぜ戻ったのかは、よくわからない。虚構に取り込まれて自我を失うから?無に帰すから、死んでしまうから?昏睡状態の三途の川みたいなものか。とにかく虚構から逃げ出してきた45歳の主人公が、現実で人生を再スタートする。そこで同じく、現実の痛みを伴った人たちと出会い、痛みを分かち合う。孤独に生きるのではなく、人と出会い、助け合う。虚構の影は見え隠れするけれど、飽くまで現実的な生活を営む。

主人公はやがて、再び現実の不完全さと、そこにいる自分のやりきれなさに囚われる。ただ時間が過ぎて、朽ち果てていくだけの人生。失った後に残された、出がらしのような生活に戸惑いを覚え始めたように見える。そして主人公は再び、今度は自分が思い描いた理想、壁の向こう側を垣間見る。

第三部では、全く逆のことが起こる。このあたり、本当にこれで完結しているのか?話が抽象的で曖昧になってくる。具体的で現実的な帰結というのが見えない。観念として、二重で間逆な結末を迎える。結局どうなったん?結局どうなん?と考えるのは野暮なのだろうか。

物語としては、第二部に最もページが割かれている。第一部は振り返りで、第二部は物語で、第三部は第二部と対になっている。僕が最もおもしろく読んだのは、40年ぶりに書き直された第一部だった。後書きによると、第二部以降が今回付け足された部分らしい。村上春樹の最近の本で一番面白かったのが『猫を棄てる』だと感じたように、作者のモノローグ的なものを求めてしまっているのかもしれない。僕はこの小説から、あちら側に行ってしまった彼女を追いかけて、現実と虚構を行き来する村上春樹の姿が思い浮かぶ。老いてもなお、物語を通じてあの手この手で。

結局第二部と第三部の結末をどう読み取ればいいのか、一読しただけであまりよくわかっていないから、そこだけもう一度読んでおきたい。後で追記するかもしれない。

読書メモ

ここからは、細かいところで気になったメモを走り書き。リアルタイム実況ツイート的な。上の感想と被っている内容あり

第一部

第一部では、主人公の思い出語りと、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』で言うところの「世界の終わり」編が並行して始まる

P15 主人公のが女の子に性欲を抱く描写。村上春樹小説では定番の表現だけど、今回の小説では、性欲に対する罪悪感みたいなのが通して書かれていた

P16 「世界の終わり」の誕生エピソードが今作で語られる。それは女の子と主人公による合作とされているが、主人公が書き記したというだけで中身はほぼ女の子の創作。第二部で主人公は「世界の終わり」に行くわけだけど、それは主人公が話に聞いていた世界であって、女の子が本当にいるわけではない。後に、第二部の終わりに主人公が思い描く、主人公にとっての「世界の終わり」に到達することになる

この「世界の終わり」編は、けっこう同じ。どれだけ書き直されているのか気になる。現実編の、万年筆で手紙を書く描写は、真似したくなる。アナログの極み。生、リアル、実在感の象徴

P115 読んでいると、ときどき「世界の終わり」が実在する場所なのか、想像の産物なのかわからなくなる

P160 現実編の主人公が大学生になる。このあたりからやっと物語っぽくなってきた

P162 主人公が社会人になる。村上春樹本人の人生のifっぽく読めてしまう。自分も10代の頃に厳しい恋愛を経験していて、まかり間違えばこうなっていたんじゃないか。彼女が消えて、以降は虚無の人生を過ごすといった

P166 そのまま45歳になり、壁のある街へ。現実とファンタジーが繋がる

第二部

第二部では、「世界の終わり」以降の物語が描かれる。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』で渦に飛び込んだ影が、その後どうなったのか。

P190 「初期中年クライシス」ってなんだ

P207 図書館の職を求め、東京から福島へ。かなり具体的な物語になってきた

P222 「森の樹木のように?」子易さんの言葉にそんなひっかかるか?

この小説には、かつて村上春樹小説の定番だった、酒と音楽とセックスが全然出てこない。終盤の方に行くとちょっと出てくるようになった。

P245 「SNS」の文字が出てきた。この小説で今まで描かれてきた世界観に全然合わない。現実の今の時代であることが示唆される

子易老人は妖精のようだ。後にその過去が語られる

P276 「行く手を遮る壁」現実らしく描かれていたこの第二部も、思いっきりファンタジーになる

山奥の生活への憧れは、『騎士団長殺し』でも理想的に描かれていた

P365 この小説で初めてジャズが出てきた。音楽うんちくはもうないのかと思っていたのにあった

P379 「百パーセントの恋愛」これはみんな『ノルウェイの森』の帯を思い浮かべただろう。そういう話です

P441 「怠りない」という言葉が作中やたらと出てくる

P447 「疫病」という文字が出てきた。壁は疫病を街に持ち込まないためにあるそうだ

P480 「八分三十秒」スパゲッティを茹でる時間を厳守。このへんは完全にいつもの村上春樹が戻ってきている

P483 「同窓会」自分も行ったことないなー

P541 急にセックスの話。『ノルウェイの森』に似た話があった。コーヒーショップの女は、どこまでも昭和バブルを匂わす

P586 待つということ。待つことに何かしら意味があるのか、わからない

第三部

P600 現実に戻っていたのが、やはり影だけだったことがここで明らかになる。もう一人は「世界の終わり」にとどまったままだった

P634 「常に現在しかない」という時間観。さらっと語られているけれど、個人的にもっと掘り下げたいテーマ

主人公と少年は、ピッコロとネイルのようだ。主人公と影は、ピッコロと神様。分離して一体化する

P636 やってこない春を連想するほどの、長い冬。個人的にカナダにいた頃の体験を思い出す

P639 ヤシの木の例え。受け止めてくれることを信じれば突き進めるという話は、社会福祉や仕事における理想的な上司や、勉強における親や教師の存在みたいだ

P651 全然わからない。「世界の終わり」に来たのはそもそも彼女に会うためで、なぜ立ちされるのか

P655 終わってから、川を昇っていた主人公とどう繋がるのか全然わからない

名前のある登場人物とない人物。名前があるのは子易さんと添田さんと、大木と、ぐらいか。主人公周りには名前がない