連絡する方か、来る方か

僕はもともと自分から連絡する方だったけど、最近は全然しなくなった。単純に人と会わなくなったということもあるが、自分から声を掛けるほど都合がつかなくなった。暇な時間が少ない。一つ例外があるとすれば、連絡は取りたいけど話題がないから連絡しない相手がいる。かつてはよく話していたけれど、疎遠になってしまって共通の話題がなくなった。相手のことは気になるけど、会ったところで話すことがないから連絡する気にならない。そういう人は何人かいる。

というわけで最近はどちらかというと連絡が来て、それに応えることが多くなった。それも滅多にあることではなく、年に数人程度。自分から連絡していなかった相手でも、向こうからくれるってことはきっと何か話すことがあるだろう。こちらに用意がなくても、都合さえつけば全部受けている。会いたくない人から連絡くることはそうそうない。

受けの姿勢みたいになってるけど、待っているわけではなく、連絡を欲しがってるわけではない。自分が会いたいとか話したいと思っている相手には、自分から連絡するようにしているから。ただ今はあまりその余裕がないだけで。

かつては圧倒的に連絡する側だった。なんなら飲み会とか主催していた。自分から連絡しなければ何も始まらなかった。連絡する側と来る側って、分かれると思う。一対一だと相手によると思うけど、何人かのとき、誘いやすい人は連絡来る側になる。誘いやすい人とは、何でも気軽に受けてくれる人、断らない人、居てくれると助かる人とか。僕は誘いにくい相手だったと思う。断ることもあった。

誘いにくい人は、自分から声をかけて連絡したり誘ったりしないと、何も始まらない。そういう自覚もあって、割と自ら連絡する側に居たように思う。ただ僕のように誘いにくい人から誘いが来たところで、困る人も多かったんじゃないかな。断られることも多かった。断られたら「また誘って」と言われない限り、次から声をかけないようにしていた。迷惑だろうから。「また誘って」が続くと、やはり声をかけないようになった。社交辞令だから。

この手の社交辞令は本当に意味がわからなくて、いまだにわからない。何がしたいのか。僕は誘わない相手やその気がない相手に「また誘って」とか「今度ご飯でも行きましょう」なんて嘘をわざわざつかない。「今度ご飯でも行きましょう」と言われて「そうですね」と答えておきながら「都合が悪くて」と断る社交辞令は百歩譲ってわかるとしても、自分から「今度ご飯でも行きましょうよ」と言っておきながら誘わなかったり断ったりする人は一体何がしたいのか。なぜそんな嘘をわざわざつくのか理解できない。

とにかく僕はだいたい声をかける側だったのが、今は年に数人と言えど声をかけられることのほうが多くなった。そして最近は、疎遠になったと思っていた人から立て続けに連絡が来た。数年来にぶりに。理由というかきっかけは全然わからないが、この人たちもかつては僕が声をかける側だったと思う。でもいつの間にか返事が来なくなり、連絡が途絶えた。

一つの返答がなければ、それ以降はもうこちらから連絡することはなくなる。しかしそういう返事をしてこない人が、時間を空けて何事もなかったかのように声をかけてきた。彼らはきっと、僕が連絡をして返事を待っていたことを知らない。返事がないことから、もう疎遠になったと思っていたことも知らない。何事もなかったかのように、自分の都合だけで平気な顔をして連絡してくる。

僕は僕で、文句があるなら無視すればいいだけの話なんだけど、実際そこまででもないから、同じように何事なかったかのような顔をして受け答えする。ただそれでも、心のなかではある種の見限りと言うか、侮りと言うか、線引きが行われている。こいつは気分次第で人の連絡を無視するぞ、という前提が出来上がってしまっている。