絡みにくいと言われる

今に始まったことではないけれど、よく「絡みにくい」とか「怖い」とか言われることが多い。先日ブログを見た人に会った時も「女の人嫌いそう」って言われた。僕はブログに恋愛やセックスに関する話題を書くことがあるものの、それでも女好きには見えないのだろう。本当のところは、女どうこうという話ではない。女であるかどうか、というのはあまり関係ない。僕はストレートだけど、男だから、とか女だから、っていうのは結果論であり、原因ではない。それはさておき、僕なんかどうでもいい人はまだしも内心で僕と何らかの接点を持ちたいと思う人までが僕に対して「絡みにくい」とか「怖い」って印象を抱く理由はおそらく、不満ばかりを口にしているとか何かを攻撃ばかりしているように見えたり、あとは基本的に暗いこととか、なんかこう自分を構成する要素が負の塊であったりするところに起因すると思う。つまり嫌な人間なのだ。

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さて、実際僕はどう思っているのだろう。女嫌いで、人が嫌いで、誰と関わることも嫌で、一人で孤独に人生を終えたいのだろうか。いや、そんな人がブログなりTwitterを公開することはないと思う。ただその、横だったり縦の繋がりを浅く広くまんべんなく強固なネットワークを持ちたいかというと、確かにそういうことはない。僕は決して社交的ではなく、人当たりも悪く、優しくも親切でもなければ、誰かのために何かしてあげたいなどと思うこともなく、自分のために人との繋がりを広げたいというわけでもない。自分の内と外、本音と建前を使い分けることも苦手だ。自分を演じることができない。
つまり僕の能力の無さが原因だと思う。それに加え、極度の怠惰と不安定な気分が余計に人を遠ざけ、悪い印象を与えてしまうのだろう。

そんな人間に対して人は寄ってこない。基本的に人はそういう人を嫌いだ。関わりたくないと思う。むしろ蔑んで、なるべくなら避けて通るだろう。僕だったらそうする。でも中には極稀に奇特な人がいて、僅かながらでも自分に関心を持ってくれる人がいたことを知っている。僕はそういう人の僅かな好意、というか自分に対する有り難い神の恩恵であるような良心、天使の微笑みを叩き潰してしまう傾向がある。いや、そんなことはない。僕は人にどう接していいのかわからないのだ。なんだろう、自分の領域というのがあり、細胞同士の組織が隔てられているように、もしくは自我という膜がありその内側に入り込まれると免疫が作用して相手を打ち砕いてしまうことがある。ごめんなさい。

だからなるべく、人と接するときは自分をあまり見せず、自分を出さず、当たり障りなく接するように心がけているつもりだ。しかし、それだとやはり相手はつまらないんだ。味気なく、まるでプラスチックを相手にしているみたいに感じる。そうやって表面上の硬い層を撫でたところで、温度を感じることもできず「期待はずれ」という感想だけを与え、速やかにその場を立ち去ることになる。かと言ってその表層を越えてしまうと、それはまさに毒の沼に陥り、臭く痛く、とげとげに傷つき、ひどく不快な思いをさせてしまう。

実際僕自身がそういうことを駆使して、無用な関わりというのを遠ざけてきたということも否定はできない。そうでなければ自分は怒りと不安とストレスですぐに吹っ飛んでしまうことを知っている。全てに対し全力投球していれば僕の心体は瞬く間に灰と化してしまう。だから、なるべく人に好かれないように、人が遠ざかるように、人に関心を抱かれないように、自分を守るために、自分の色を薄く、存在感がなるべく出ないように努めてきた。しかし、全くの孤独で、人と関わりなく生きていけるか、生きてきたかと言えば当然そんなわけもなく、どうも欲が出て、関わっては薙ぎ倒し、薙ぎ倒され、何も築くことができないまま荒れ果ててしまった大地を跡に、後に、もう決して再生することが望めないまま、僕もその場も人も過ぎ去っていってしまった。

結局そういう過程を少年時代から経て、僕は人生というもの、人というものにどうやって向き合えばいいのかわからないまま生きてきた。何が正解なのだろうか。そんなものはない。僕はよく、寂しい人だと言われるが、その寂しさというのがいまいちよくわかっていないから余計に寂しい人間なのだろう。「寂しい」と言われた時に僕がよく口にする言葉は「寂しいって、ヒマとはまた違うの?」という言葉だ。本質的には同じなんじゃないだろうか。違うの?ヒマを持て余しているという状態と、寂しいという状態。

僕自身はそのヒマな状態を謳歌する時もあれば、逆にヒマで退屈でどうしようもない時もある。そういう時に僕は、人と関わりたいと思う。暇つぶし、というわけではなく、面白い何かを求めて。ただそこで、僕の日頃の行いのせいもあり、なかなか人と関わる事ができない。人が僕との関わりを求めることなんて基本的にあるわけなく、やはり人は僕に対して「絡みにくい」という印象を持っており、どうしても「関わりたくない」。自分の望むタイミングで都合のいいことだけが起こるような、世界はそんな風にはできていない。

僕の要素、大きく占める要素の一つとして、無関心がある。僕は無関心なんだ。人にも、それ以外にも。決して嫌いなわけでも、蔑んでいるわけでもない。無関心である。何事にも無関心な人を相手にしたいかというと、まあつまらないだろう。何を話しても相手は上の空で、何を考えているかといえばこういう自分の内側の世界のことだけを延々とぐるぐる頭の中でかき回している。そんなつまらない人間に関わったところで何がおもしろいというのか。さらにその中に歩み寄ろうとすれば水をぶっかけられる。いったいコイツはどうしたいのだろうと。そして、僅かながらに自分に対して関心を持ってくれた人までその場を立ち去ってしまう。いやほんと、申し訳ないと思う。

そういうわけで人との繋がりが極端に希薄なわたくしでございますが、これまで勇気を出してわたくしに声をかけてくれた人をことごとく蹴散らしてしまったことを反省しております。わたくしが心を入れ替えるということは決してございませんが、なるべく柔らかく、せめて自分となんらかの関わりを持ちたいという人に対しては、暖かく接しようと心がける次第でございます。

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