21日目、ドゥブロヴニク、夜の写真

前回の続き

やはりこのホステルでは夜ろくに眠れず、僕はこの日も朝起きるのが遅くなりダラダラとしていた。ドゥブロヴニクはもう端から端まで歩き、山にも登り海にも、ああそうだ海はまだ見ただけだった。今日は海に入ろうと思い、午後から再び海パンで外へ出た。海の行き先にはいくつか候補があった。まず一つ目は、旧市街の東側に位置するおそらくドゥブロヴニクで最もメジャーであろうBanje Beachというところへ向かった。しかし、やはりあまりにも人が多く、隙間がなかった。これはやはり窮屈で、次はまた旧市街から近くの西側に位置するやや小さめのビーチへ向かった。

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そしてこちらにも先客がいた。狭いビーチに先客の団体がいると、入りづらい。そんなことを考えていたらどこにも行けないんだけど、結局僕はまた、リゾートホテルの近くにあったトレイルへ向かった。おとといに目をつけていたところだ。あそこなら空いているだろう。

 

形だけの海水浴

そんな期待は甘かった。何故かその日に限って、小さく泳げるようになったスペースにどこもかしこも先客がいた。僕は端から端まで一つずつ見て回ったけれど、先日はあんなにガラガラだったにも関わらず見事に満員だった。なんて運が悪い。このまま帰るというのはあまりにも癪だった。かと言ってこのあたりのビーチというのは本当に貸し切りのような一人か二人用であり、横から入る隙はない。そこで僕は、本来なら泳げるように整備されていない岩場を降り、無理矢理そこで泳ごうと思った。通常であれば泳げるようになっている場所は階段があったり手すりが設置されている。そういう場所をあえて外してみた。なんとか海に入れそうな隙間を探し、僕は岩場を降りていった。もちろんそんなところには誰もいない。そしていざ、水に入ろうと思い靴を脱いだら足が痛い。僕はビーサンもスリッパも持っていなかったから靴で来ていた。裸足ではとても立てないぐらい岩が鋭い。これは凡ミスだ。しかし、せっかくここまで来たからなんとか無理して入った。水は入る前は冷たかったものの、入ってしまえばそれほどでもなかった。そして怪我しないうちに岩場へ戻り、またKindleで本を読んでいた。肌がすぐに限界に達し、これ以上焼けると危険を感じたため僕は形だけの海水浴を達成して海を離れた。結局歩いた時間のほうが長かった。

旧市街の周りで時間を潰す

あと他にやることといえば、夜間の写真を撮ることだった。クラクフでは撮り忘れたものの、ワルシャワで撮った写真が思った以上に良かったため、その後は夜の写真を撮るようにしていた。ドゥブロヴニクは明日の午前中に発つため、夜の写真を撮る機会は今日で最後となる。海から旧市街へと戻った時はまだ明るかった。6月のドゥブロヴニクは夜9時半ぐらいまで明るい。僕はまた周辺を歩き回って時間を潰した。

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旧市街の付近を歩いていると、落書きを見つけた。

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「welcome to hell」

ここドゥブロヴニクもユーゴスラビア紛争にて被害があった地の一つだった。この落書きが紛争中に書かれたものか、それとも最近書かれたただのイタズラか、それはわからない。僕はただこの先へと進みたくなった。

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特に何もなかった。

夜の写真を撮る

その後は旧市街の中でまたKindleを読んだりして暗くなるのを待った。1時間ほど待っただろうか。僕は旧市街を歩き、写真を撮り始めた。

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これで、4泊5日のドゥブロヴニクも終わりか。ドゥブロヴニクは正直なところ、バカンスでもなければ2泊3日でよかった。1日目に旧市街を見て、2日目は山と海で十分だろう。でもゆっくりするにはいいと思う。旧市街を除けば人も少なく穏やかな街だった。

次回、22日目ドゥブロヴニクからモロッコへ