グレッグ・イーガン著「ディアスポラ」が難しすぎた

グレッグ・イーガン、SF界では他の追随を許さない人気のような噂を耳にして、昨年のハヤカワセール時に購入した。古いSFばかり読んでいて現代のSF小説を全く読んでいなかったから、SF小説は時代を経てどのような変容を遂げているのか気になり「ディアスポラ」に手を出した。

ハードSF

とんでもなく読みづらいハードSFだった。古典、現代にかかわらず、ハードSFを読んだことなかったため戸惑った。これどうやって読み進めていくの?よくわからない言葉が満載で、何が書いてあるのか全く頭に入ってこない。用語と設定だらけ。最初のうちは「ヤチマ」が誕生するまでの過程が延々と羅列されており、これがずっと続くなら読むの無理だと思った。しばらくしてやっと人物が物語に登場するようになり、かろうじて文面をとらえることができるようになった。

「ディアスポラ」の物語をまともに把握したければ、最低でも高卒レベルの物理化学の知識は持っていたほうがいい。もっと必要かな。それ以外に物語の概念を形作る要素としてあったほうがいいのは、コンピューターの知識だろう。プログラミング、ネットワークに長けている人ならもっと読みやすかったと思う。僕はそのへん全部持ち合わせていなかったためしんどかった。しんどかったが全部ただの文字の羅列として読み進められないこともなく、それでも一応は楽しめた。

どういう話か

物語全体を超簡略化してまとめれば、人類の危機を逃れるヒントを得るために、人類よりも高度な知的生命体を探しに行く話。その探索船団みたいなのが「ディアスポラ」だと思っていいんじゃないか。ハードSF的用語や設定に惑わされてわけわからなかったら、もう一度読むか、ありとあらゆる解説を読んだほうがいい。巻末に用語集もある。

最初の方を読んでいて何かに似てるなーと思ったら、アニメ映画の「楽園追放」だった。検索してみたら案の定、「楽園追放」はイーガンの小説を元ネタにしていた。ただそれもほんの障りの簡単な部分だけで、「ディアスポラ」みたいに難解ではなく誰でもわかる物語として描かれている。

現代SFとしての形

SF小説の役割は、あり得る未来を想像して夢や刺激を与え、科学の行く末や発展を促すようなところにあると聞いたことがある。この小説で書かれているようなことは、まさに目の前の現実から遠く離れた科学的な夢の世界だった。6次元宇宙とか、1000体のクローンとか、中性子バーストとか。「映像化?できるもんならやってみろ」と言わんばかりの小説でしか成し得ない表現で完成されている。

宇宙航行の描き方全般からして、古典SFにはない表現だった。古典SFと比較して違うところは、やはり現代から見て嘘くささのない未来というところだろう。当時の現実を軸に描いた古典SF内の未来は、現代の視点から見るともうかなり違和感ある。

そしてこの小説はwindows95の時代に書かれたものらしい。現役の作家で、それから20年経っている最新作ではどのような表現を用い、どんな世界を書いているのか気になる。