ブックカバーをつけるか問題

今年が結婚3周年ということで革婚式なるものに則り、僕はブックカバー、奥さんは革のポーチを使い始めた。

もともとブックカバーを使用する習慣はなかった。あまり用途がわからなかったというか、必要性を感じていなかった。ブックカバーはどういう目的で使うのか。きっと、「本をきれいに保ちたい」とか「本の表紙を見られたくない」とか「ブックカバーそのものを楽しみたい」といった目的があるのだろう。そのどれもを必要としていなかった。

100均や丸善で売っている透明ブックカバーはときどき使う。読んだら売る前提の本を読む間、きれいに保つために使用する。最近はあまり100均で売られなくなり、透明ブックカバーを手に入れるのが難しくなった。ネットで買えるんだろうけど、大量に注文でもしない限り送料の方が高い。

「本の表紙を見られたくない」っていう心理は、人に知られると恥ずかしい本を読んでいる人か、もしくは単純に自分が何を読んでいるか人に知られたくない人のどちらかだろう。僕はそのどちらでもない。恥ずかしい本は外で読まない。というかまあ、恥ずかしいのに読みたい本ってのがあまり思いつかない。

「ブックカバーそのものを楽しみたい」心理もあまりわからない。そもそも長い期間をかけて一冊の本を読むことが少ないため、しょっちゅう付け替える羽目になる。それはめんどくさい。今ブックカバーをかけている本は「失われた時を求めて」で14巻あり、一冊読み終えるごとにカバーをかけ替えている。今一冊あたり一ヶ月以上かかっているため、そんなにしょっちゅう替える必要がない。これぐらい長い本を読むときはめんどくさくない。

ブックカバーを使ってみようと思ったのは、革婚式と言われて他に思いつく物がなかったのと、ビブリオフィリックというところが本周りのグッズを展開しているということを知ったことがあって、なんとなしに選んだ。最初はサリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」にカバーをかけていたんだけど、普段読む本ではないからカバーをかけたままほったらかしになっていた。これではあまり意味がないと思い、もっと日常使いできるよう「失われた時を求めて」にかけ替えた。

ビブリオフィリックの革のブックカバーはポケット等がついていないシンプルな作りで、同じ文庫サイズでもあらゆる厚みの本に対応している。革の匂いとか手触りが好きな人は、いいと思います。

逆に、こんな人には向かないよパターンとしては、本を読むときにペンや付箋を使う人。収納する場所がない。クリップやテープ等で無理矢理収納することは出来ると思う。他に、今読んでいる本の表紙を見せつけたい人。透明ブックカバーなら見せつけることができるけど、それ以外だと何を読んでいるか見せつけることができない。でも見せつけたい本ってなんだろう?知り合いとかでない限り、人が読んでいる本を気にしたことがない。

見せつけたいという心理は、露出狂に近いのかもしれない。だからそういうひどい表紙の本だったり、何かのアピールが含まれている本、ファッション感覚で本を見せつけるということがありうる。電車に乗っていて、向かいに座っている人が何の本を読んでいたら、友達になりたいと思うか。非常に難しい。

自分が好きな本には特別な思い入れがあり、他の人とは意見が合わないだろうという思い込みがある。だから好きな本よりも「話したい本」を読んでいる人に、話しかけたい気持ちが芽生えるのではないか。「巨流アマゾンを遡れ」あたりを読んでいる人とは、話をしたいかもしれない。

「巨流アマゾンを遡れ」は2冊目の高野本で、「ソマリランド」ほどメジャーではなく、「アヘン王国」ほどとっつきやすくもなく、「イスラム飲酒紀行」ほど広い層をターゲットにしていない。電車の中で「巨流アマゾンを遡れ」を読んでいる人はきっと、かなり精通した人だろう。意見交換してみたいものだ。