痛みに慣れているのか

歯医者に行って、気になっている部分を伝えたら「どのくらい痛みますか?」と聞かれた。そこで「痛みは無いです」と答えたら、マスクの向こうでやや困惑された。どうやら歯医者に駆け込む人は痛みを伴っていることが多いらしい。痛くなってから歯医者へ行くよりも、予防とクリーニングを兼ねて月一ぐらいで通ったほうがいいですよ。余裕があれば。僕は2年ぶりぐらいに行った。

歯の治療は、子供の頃から麻酔無しでやってもらうことが多かった。麻酔を打ってもらうとその後が不便で、「痛いですよ」と言われてもそんなもんだろうと思っていた。痛いのは当たり前。もしかしたら痛みに慣れているのかもしれない。痛みを感じないとか、痛みに強いというわけではない。むしろ敏感な方じゃないだろうか。ただ慣れているだけ。

注射が苦手だという人がいるけれど、それは多分慣れていないからだと思う。注射が痛いことには変わりないが、慣れるとただ痛いだけで、特別視しなくなる。入院なんかしてしょっちゅう注射打つことになれば、その都度気にしていられなくなる。「殴られるのが嫌ならボクサーなんかやるな」ってどっかのセリフにあった。彼らは殴られることに慣れているから、他の人に比べて動揺しないだろう。

痛みに慣れるっていうのは、そんないいことでもない。痛みのシグナルは受け取っているのにもかかわらず、それ相応の反応をしなくなっているということだから、ある種の機能不全に陥っている。受け取った痛みをしっかりと認識して、反応を示すことが健全な証だ。じゃあなんで慣れるのかというと、慣れたほうが楽だったから。

取り除けない痛みなら、逃れられない痛みならば、慣れるしかない。入院患者もボクサーも、いちいち痛みに反応していてはやっていけない。そのようにして痛みに身を任せてきた結果が今なのかもしれない。痛みに反応しては自分を見失っている人を見ると「慣れてないんだな」と思う。慣れていないと怒りだったり悲しみだったり恐怖だったり、何らかの感情が湧く。慣れているとただ「いてー」としか思わない。

煩わされるのが嫌で、慣れるように心がけてきた。おかけで感情にはなんらかの歪が生じている。慣れようとしてこなかった人は、活き活きとした感情を発露している。しかし痛みが永続的であるならば、慣れてしまわないと気が狂っていただろう。そうやって気が狂った人も見てきた。どちらが正解とも言えず、生き方の違いだと思う。

自意識過剰ってなんなの?

先日若林の本を読んでいて、何度も出てきた言葉が「自意識過剰」だった。「自意識過剰」という言葉が流行ったのは少し前の時代だと思うが、それがどういう意味なのかはいまだによくわかっていない。自意識過剰って何なんだろう?自意識が過剰って、じゃあ自意識ってなんだ。自意識、自我のことだろうか?自我が過剰っていうのはよくわからない。

調べてみたら、自分自身について意識することが自意識だそうだ。自分自身を意識するってどういうことだろう。自分のことを考えるのとは違うのか?どうも意識するっていうのは思考ではなく感覚を指すようだ。「あの人を意識している」とか言うように、感覚的に気になっていることが意識すること。そして「自分を気にする」ことが自意識で、自分を過剰に意識しているのが自意識過剰らしい。

このあたり正直なところまだ全然ピンとこなくて、自分を意識するということがどういう状態なのかわからない。ましてや過剰に意識するとは。そんなことを言ってたら話が進まないから、一般的に言われる自意識過剰とはどいう状態を指すのか調べてみると、「他人からどう見えるか、過剰に気にする」「他人に良く見られたい願望が強すぎて、過剰に努力したり自分を偽ったりする」そういうのを自意識過剰と呼ぶらしい。

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マスクばかりしていると老け顔になる

顔の造形にもよるかも知れないが、僕ぐらいの年齢では顕著に現れるマスクの老け顔効果。仕組みは単純で、マスクを付けることによりゴムで頬の肉が中央に寄る。するとほうれい線がよりくっきりと際立ち、元に戻らなくなる。

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それでも冬場はマスクばかりしていた。これからはマスクの季節じゃないけれど、気になる人は意識してみてください。あと、横を向いて寝るのも同じ老け顔効果があります。若いうちはすぐ元に戻るんだろうけど、ずっと残る時点で年取ってるな。老け話で言うと、乾燥地帯での長期滞在も老けます。老けって主に肌で、肌年齢とまで言われる肌の水分量の低下が、見た目の印象に現れる。北米やオーストラリアといった乾燥地帯で生活してた僕は、肌の水分が失われた。その他に多くの紫外線を浴びたことも影響している。老けたことの言い訳に使おう。

  • サイコドクターあばれ旅
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    • あの日、僕は旅に出た(エッセー)
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トラベラーズノートのカスタマイズまとめ

先日買ったトラベラーズノートだが、革のカバーにノートをゴムで挟むだけという実にシンプルな作りであるがゆえ、自由度が高く、好きにカスタマイズしている利用者が多い。純正オプションもノートの種類であったり、ペンホルダーだったりポケットだったりチャームという飾りだったり、いくつかのパターンが用意されている。

それ以外にも他社製のノートを挟み込んで使用したり、ペンフォルダーを自作したり、パスポートケースとして使用したりと、カスタマイズは多岐にわたっている。そういういろいろな使用例のURLを貼りつつ、自分が今どのような形で使っているか書き残しておく。

  • 自分の使用例
    • チャーム
    • ボールペン
    • 替えのノート(リフィル)
  • 他の人のカスタマイズ集
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日々のこと

日本に帰ってきて、日本に帰ってきてと決まり文句のように繰り返し用いているが、今月で日本に帰ってきて2年になる。2016年、ニッポンよ、私は帰ってきた!そして2年後の今、転機と言うほどではないが、また別のことが始まろうとしている。つまりスタートラインにいる。転機と言うほどでもないのは、新たに湧き起こったものではなく、もともとそうするつもりだったからで、やっとその時が来たという感じ。そういうわけで、一年続けてきた今やっているバイトも今月一杯で辞めることになり、今年の秋頃からはまた外国へ短い渡航となる。

先のことは全然わからないし、まだ何も考えていない。何がしたいとか、どうしたいとか、成り行き任せなところがある。だからとりあえず今必要な勉強だったりをしているだけ。それよりも、今の自分に充満しているのは、今のことだ。これからではなく、これまでのこと。日本に帰ってきてからの短い2年間が終わりに差し掛かっている。この短い間で知り合った人ととは、おそらくもうほとんどが二度と会うことはないだろう。会ったとしても、そのときにはお互いが変わっている。今生の別れである。会社でもカナダでもオーストラリアでもそうだった。今の関係は今だけのもので、それが今まさに終わろうとしている。つらい。

時間は連続しているが、場所や人との関係は連続しておらず、生きていると我々は幾度とない終りを迎え、同時にまた新たなスタートを切る。死と再生のようなものだ。諸行無常である。諸行無常に侘しさを感じるのは日本の伝統と言えるだろう。とりわけ私は出会いよりも別れにショックを受けるほうで、なるべくなら致命傷の機会を避けてきた。全ての別れは惜別であり、その後何年経とうと思い出す。この2年、もともとの知り合いや、知り合った人たち。中には結婚したり子供を産んだり東京へ異動になった人がいたり、状況は絶えず変化している。

私だけが置いて行かれて何も変わっていないように見えるが、私自身も年老いて、人に影響を受け、考え方や価値観は変わり、思い抱くことも変わっている。体力、感性、記憶、思い、あらゆるもの日々を失っている。喪失感である。哀しい。失うのは哀しいのだ。それらは僕にとって唯一無二であり、そのときその場所だけの限られたものだから、どうしても惜しい。しかし失わずにはいられない。その嘆き、哀しみ。子供の頃は、まさか失うと思っていなかった。知らず知らずのうちに、大切なものを次々と失っていた。大人になり、失うことを前もって自覚できるようになり、今は喪失感を胸いっぱいに抱きながら、明日へ向けてコマを進めている。

#わたしの転機

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オーストラリアを離れるときは無常観と言っていた。あのときと今の違いは、環境か。

2018年4月のふりかえり

もう5月入ってる。4月のふりかえりです。更新回数が9回とかなり減ったのは、2週間研修があって書くことがなかったから。それ以外はあんまり何もしていなかった。どうだろ、書けなかったという方が正しいのか。今月は多分そうならないはず。

Googleカレンダーを見返していると、2年ぶりにカラオケに行った。日本に帰ってきてから初めてだと思っていたら、帰ったばかりの頃に行っていて2回目だった。健康診断があったせいで4月上旬はお酒が飲めず、後半飲みすぎた。

これやった。

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Netflixで何見ていいかわからない人へ【2018GW】

ゴールデンウィークをNetflix漬けで過ごしている皆さん、こんにちは。そんな予定はないという人も、何を見ていいかわからない人向けに、自分が最近見たもの、見たいものを雑にピックアップ。計13作品。すくねえ。流行りとか最新作とかではないです。前回紹介したのはこちら。

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    • シュタインズゲートゼロ[アニメ]
    • ワイルドワイルドカントリー[ドキュメンタリー]
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自分への質問

ときどき読んでいるブログがネットで見つけた質問に答えていたので、真似してやってみたくなった。

Q1.アナタが1日で一番好きな時間は何ですか??

寝ている時間、夢も見ていないとき。

Q2.アナタが生きてるなぁ~とおもう時は?

痛みを感じているときに生きている実感を持つ

Q3.今の自分で好きなところを1つあげてください

自分に正直なところ。唯一それぐらい

Q4.自分を誉めてあげてください

まだ生きてるねーよく生きてるねー

Q5.一番大切にしているものは何ですか??

思い出とか、思考とか

Q6.落ちこんだ時はどうしてますか??

とことん落ち込む。それ以外のことはできない

Q7.落ちこんだ時はどうやって立ち直りますか??

立ち直れない。けれど冷静に考えるようにしている

Q8.ものがうまく行ったときどうやって喜びますか??

誰かれ構わず人に吹聴しまくる

Q9.泣いた後の気持ちは??

うわー泣いてるわーかっこわりー

Q10.幸せと思える瞬間をおしえてください

安眠が約束された瞬間。実はそんなにないから

Q11.本音で話せる友達はどのくらいいますか??

だいたい誰にでも本音で話す。友達に限らず

Q12.親友って??

そういう名前の括りがあるだけで、中身はないと思う。カテゴリ縛り

Q13.家族って?

生活をともにする人じゃないかなー。ファミリー

Q14.自分らしくって?

演技しないってこと?あんまりそういうことは考えなくなった

Q15.友達って??

知り合いでいいと思っている

Q16.学校いっててよかったこと(会社も)

そういう世界を知れたこと。今は行ってないです。

Q17.パソコンしててよかったこと

世の中の基礎教養を一つ手にしたこと

Q18.自分をしかってみてください(なければなしでも)

いつもいつもめんどくせえ

Q19.いつもよくしてくれている人に感謝の言葉を(なければいいです)

楽しい時間をありがとう。

Q20.ありがとうっておもえるときって?

ぼーっとしてないときは、意識的に思うようにしている

Q21.時間ができました、いまいきたい所は?

ベトナム再訪。ホーチミンはあれからどう変わったのか

Q22.今ほしいものは?

その気になれる具体的な目標とか

Q23.1日時間ができました、何をしますか?

映画見る。ぐらいしかない

Q24.今始めたい日常生活のことはありますか?

ランニング足袋のジョギング。雨シーズン前に

Q25.ものを忘れられるときって?

ふとした瞬間に無意識でいられるとき

Q26.どういうときにがんばれる??

がんばれない。強いて言えば怒り狂って殺意が充満しているとき

Q27.生きている間にしておきたいことは?

もうないかなあ。大体やったから

Q28.家にこれがないと困るというものは?

ガス、電気、水道。屋根と電波もほしい

Q29.自分に必要なものって??

ないと思う。なくて生きてるんだから

Q30.自分に優しくしてあげてますか??

冷静に見ている。それが厳しくないとも言える

Q31.周りの人に優しくできてますか?

周りの人はあまり見ていない。むしろ誰もいない

Q32.小学校の思いでは?

犬が乱入してきた。不審者が侵入してきた。韓国人の女の子が好きだった

Q33.中学校での思いでは?

全てがろくでもない学校だった。中学だけは二度と行きたくない

Q34.高校での思いでは??

寝てマンガ読んでた思い出しかない。愛着もない

Q35.大学、専門、会社での思いでは?

大学も馴染めなかった。会社は世代の違いを感じるところだった

Q36.尊敬してる人っていますか?そのひとは?

たくさんいる。かっこいい人

Q37.ライバルって??いますか??そのひとは??

土俵で闘っていない

Q38.1年後の自分を想像してください、どう変わってますか?

人間は変わらないと思っている

Q39.自分の落ちつく場所は?

静かに寝られる場所じゃないかなー

Q40.晴れと、曇り、雨、どの日が好きですか??

晴れだけど、晴れた夜が好きです。

Q41.小さい頃の夢覚えてますか??それは?

夢はなかった。単純に強い人に憧れていた

Q42.小さい頃どんなことして遊んでました??

ひたすらゲームしていた。今考えると異常なほど

Q42.旅をしたことあります?よかったですか?

旅行という意味ならしているけれど、旅ってなんだろ。目的のない旅は楽しめない

Q43.自分の得意なことは?

割り切ること?得意なんかなー気のせいかもしれない

Q44.自分の苦手なことは??

我慢すること。続けること。幼稚園児みたいだな

Q45.好きな食べ物は何ですか?

食べ物は特に、なんでもいい

Q46.近頃迷惑したことは?

でかい声、うるさい音

Q47.ちかごろうれしかったことは?

研修の一つが滞りなく終了した。楽しめた

Q48.どんなおじいちゃん、おばあちゃんになりたいですか?

そういうの全然思い浮かばない

Q49.つぎうまれるときは、何になりたいですか?

なんだろ、すぐ枯れる植物で。

Q50.ちかごろ大変だったことは??

今いろんなレポートを書かないといけなくて大変

最近の二週間、毎日朝から夕方まで研修に通っていた。内容はともかく、二週間程度で人と打ち解けたりはしないなーと改めて感じた。人は人のことなんて興味がなく、もし誰かと仲良くなりたければ自分から近づいていかないといけなくて、でも自分だってそんなに人と仲良くなりたいなどと思わないから、あってないような関係性と存在だけが一瞬通り過ぎて忘れ去られてしまうだけに終わった。

もしかしたら、人から優しくボールを投げかけられていたのかもしれない。昔のことだって、思い返せばそういうことが多々あった。僕はボールをキャッチして投げ返すどころか、ボールを避けてその場から立ち去っていた。今回もそのようなことがあったのかなかったのか、今はまだわからない。もしかしたら後で気づくかもしれない。今回は研修でバタバタしていたし、目の前のことに精一杯で、他のことまで気が回らない。人の親切とかに気づけない。

そういう余裕のない状態、振り回されている状況はあまり好ましくない。流れに飲まれているだけで、生きた心地がしない。ちゃんと認識したいし、把握したいし、考えて、意思決定をしたい。視座を確保したいと思う。そしてそれはあとになってからでは遅い。終わってから振り返ったって、何も解決しない。その場その場でしっかりと腰を据え、物事を考え対応できるようにしたいものだ。人の好意や親切には報いたいと思う。

なんでみんな挨拶好きなんだろう?

本当にこれ、子供のころからずっと疑問に思っていて、いまだに解消されない。挨拶好きな人に対して挨拶すればコミュニケーションが円滑にいくっていう理屈はわかるんだけど、そもそもなんで挨拶好きなの?

僕は挨拶不要論者で、「挨拶するのが常識」みたいな前提は全くよくわからない。挨拶されても全然うれしくなくて、めんどくさい。会話の切り口として挨拶を行い、そこから必要な話をするならわかるが、挨拶だけ交わしてどうすんの?また、挨拶したい人がしたい相手にすればいいのに「誰に対してもするのが当然」っていう風潮はなんだろう。

ただの挨拶っていうのは、形式だとしか思えない。中身がない。形式を重要視する人たちが、形式のためだけに行っているものであり、中身を重視する人にとってはただの無駄なやりとりでしかないと思っている。挨拶ができない人とか、挨拶が下手な人のことも何とも思わない。挨拶されなくて不快に思うようなこともなければ、挨拶されて喜ぶようなこともない。いつまでたってもどうでもいいただの無駄なやりとりとしか思えない。

ただ、そういう無駄なやりとりを重視する人にとって、無駄な挨拶が有効であることは知っているから、仕方なく無駄な挨拶をやっている。挨拶ごときで人を信用したりしないし、好意を持ったりもしない。そういう単純な思考は逆に危険だと思う。人を騙す人や、猟奇殺人者ほどそういうコミュニケーション技術を巧みに操るものだ。挨拶ごときの形式を一喜一憂するのではなく、もっと本質を重視した方がいいんじゃないか。

特に自分から挨拶してこないやつが「挨拶もない」などとのたまい怒っているのはまともな神経じゃないと思う。目上だからとか年上だからとか、まさしく形式が大好きなんだろうなと思ってしまう。世の中を生きる上で、挨拶がないことを不利にしているのはこういう輩なんだろう。僕にとっての挨拶とは、挨拶好きな人を欺く手段でしかない。そういうの本当にめんどくさいし、やりたくない。なんでそんなに形式が好きなんだろう?

副作用がひどい

特にこれといって新しい話がない。何も知っておらず、何もしていない。

ただ自分の思ったことや考えたことを書き出すだけなら、外とのつながりを断って紙の日記帳にでも書いていればいい。そう思って久々に紙の手帳を使いだしたら、表紙がボロボロと崩れてしまいとても持ち歩く気になれん。そして書こうとしても言葉が浮かばない。何を書き起こせばいいのか。長年書いてきたweb日記のほうが、どうにか言葉になるから続いている。

生きる活力とは別に、生きる上での不安要素はお金、健康、孤独だということを以前に書き留めた。そういった不安要素に自分はどのように向き合ってきたかという話。

今のところそのどれもが危機に瀕しているわけではないから、これといった対策はとらずその場しのぎを続けてきた。これらの不安要素には、向き合えば向き合うほどその反動も大きいという側面がある。お金を得るにも、健康を維持するためにも、孤独を解消するにあたってもそれ相応の苦労、代償が伴う。

不安が強い人はしっかり向き合って反動に苦しんでいるか、もしくは不安を解消できる分だけ反動を受け入れているかもしれない。僕はどちらかと言うと多くを求めず、その分反動を抑えて穏やかにやり過ごしてきた。貪欲に求めないのは、願望が小さいのもあるが反動に耐えられないからというのもある。お金、健康、孤独という不安を解消しようとする試みにはもちろん失敗することもあり、失敗の反動は特に大きい。危ない橋をなるべく渡らないように、勉強したり慎重になったりする。それでも動きには必ずリスクを伴い、動かないことにもリスクが伴う。動かないリスクは緩やかなものだが致命的であり、動くリスクは場合によっては即死に至る。結局は早いか遅いかの違い。

自分は今投資をかじっていて、これは結果を出すまでに時間がかかり、その分リスクは小さい。リスクをもっと減らし、確実性を上げるためには勉強したりリサーチしたり、タイミングを計る必要がある。勝率の悪いギャンブルは自傷行為に等しい。

投与をほどほどにしないと副作用がきつい。人を傷つけたくない。

気になったけどまだ読んでないweb記事

近いうちに読みたい。

前回

【今週のお題】ブログで「自己紹介」をしよう

今週のお題「自己紹介」

自己紹介のページは長々と書いたのがあるんだけど、現況・近況ということで改めて今週のお題

夢破れて山河あり、原文は「国敗れて」。大阪人が何よりも「笑い」を重視するとしたら、我々京都人が重視するのは「趣(おもむき)」ではないかと思う。江戸っ子で言うところの「粋」とはまた違う「風情」とか「雅」なんだけどなかなか伝わりにくくてただのいけ好かないヤローっていうことになってしまう。もののあはれ、とか。優雅であるということはゴージャスであるという意味合いではなく、むしろ対極にあるとさえ言える。

京都人いけ好かないジョークは置いといて、初対面の人には「あなた何してるの?」と聞くのが一般的だ。「何してるの?(What do you do?)」と聞かれれば当然仕事のことで、無職の自分としては「なにも(Nothing)」と答えるのが毎回めんどくさいやりとりでもある。いっそのこと「Anything(なんでも)」とでも答えればはぐらかせるのかもしれないが、それはそれで後のやり取りがめんどくさくて正直に何もしていないと答えるのが通例だ。

初対面で職業を尋ねるというのは、言語の壁を跨いでも同じ。職業はそれだけ重んじられているのが現代社会のあり方なのだろう。この習慣はむしろ西側諸国におけるプロテスタンティズムの倫理観からもたらされたものかもしれない。calling(使命)ってなんだ。「何も」なんて答えればその後に続くのは当然「何がしたいの?」だろう。話題は仕事観だ。僕は仕事と名の付くものがめっぽう苦手で、できることなら生まれてから死ぬまで関わりたくなかったがなかなかそうもいかない。だからなるべく必要最低限に抑えている。仕事、ビジネスと呼ばれる空気や関係性からはなるべく遠ざかりたい。すると「何が死体の?」の答えは「何もしたくない」となる。

ビジネスが苦手な理由は、ギスギスギラギラするからだ。情緒に欠ける、趣に欠ける。優雅や風情とは真逆の世界観だと言えるだろう。張り合いたくない。闘争なんて野蛮なことは武士に任せて、平安貴族は遊んで暮らしたいものだ。しかしまた、僕自身は遊びも苦手ときている。仕事ほどじゃないが、funなものはあまり受け付けない。joyも近寄りがたい。僕が好きなのはinterestingだろう。ただそういう感情を追っかけたい。平安貴族からは程遠い。興味惹かれるのはweirdなもので、これもなかなかなんて表現していいのかわからない。weird = interestingなんて言い方が合ってるのかさえ微妙だ。

つまり、現代社会にはなかなか馴染めないでいる。さて、どうだろう、現代社会とは?主流の価値観と言えばいいだろうか。家族が大切、恋人がほしい、お金がほしい、ご飯がおいしい、人に好かれたい、夢を持ちたい、夢を叶えたい、幸せになりたい、そういう価値観が遠い。全部反対!というわけではないが、若気の至りで距離を感じる。じゃあ何に興味があるんだろ。あまり興味あることがない。どれもこれもほどほど。おもしろがってはいるけれど詳しく知ろうとか真面目に突き進もうなんてとてもじゃないが思えない。好奇心、冷やかし程度。

自己紹介、「私こうです」なんてあまり言えるもんじゃないな。「こうじゃないです」の方が言いやすい。「こうじゃないです」と引き算を繰り返していったら何も残らなかったのが私です。現況・近況と言ったって、過去と何も変わっていない。一番自分を現すのはやはり「何事にも乗っかれない」という性質になるのだろうか。自分を振り返ってみよう。自分とは何か。そこには虚空がある。つまり何もない。僕は「こだわり」が苦手で、できるだけ何事にもこだわりたくないというこだわりが強い。「これがいい」とは思えないのだ。「なんでもいい」とか「どうでもいい」と思ってしまう。「良さ」そのものは理解できるつもりだが、「良かったらなんなの?」「ただ良いだけ」と思ってしまい、良さにこだわろうと思えない。それはおそらく「良さ」から受ける恩恵があまりに少ないからだろう。それよりも「良さ」を手に入れるための対価にうんざりして「良さに価値無し」と判断して「どうでもよさ」が勝ってしまう。わずらわされないことに最高の価値を置く。

そんなこと言っててもつまらない。近況、お酒を5日抜いているせいで酩酊が足りない。ドーパミンが足りない。依存体質で、常にドーパミン過剰な状態を求めている。セロトニンについては実感が湧かない。セロトニンつまんねーと思ってじっとしてられない。かと言って体があまり強くないからすぐ息切れする。それでも刺激を求めている。なんかこう、わかりやすい刺激なんだろうか、本当はそうじゃないはずなんだけど、足りていなければわかりやすい刺激でもいいと思ってしまう。ほんとはもっとなんかこうほんとはもっとなんかこう、切り刻まれるような、氷に浸かるような、全身光るような、気化するような、ブン回すような、破裂するような、見たことのないもの、想像つかないようなずっと外側にあるものだけに焦がれ続けている。ずっと違う場所にいて、ずっと違うことをしていたい。知っていることは退屈だ。知ることが楽しい。