前回の続き
ポーランドのワルシャワから乗った飛行機はセルビア航空のもので、セルビアの首都ベオグラードで乗り継ぎがあった。2時間程度のトランジットで短い間だったけれど、ベオグラードの空港ではWi-Fiも使えず時間を潰すのに少し苦労した。ベオグラードからサラエボまでの飛行機も、時間としては短かった。サラエボの空港は小さかった。僕は空港の外に出て、周りを見渡してみた。他の乗客たちは誰かが迎えに来ているのか、みな車で空港を出ていった。僕は空港の前にあるベンチに座っていた女の人に声をかけた。
空港から市街地へ
「あの、英語は話しますか?」
「ええ。何かお困り?」
「空港から市街地まではどうやって行けばいいんでしょう。バスとか電車とか」
「この空港にはバスや電車といった公共の交通手段はなくて、タクシーに乗るしかないかな」
事前に調べていたとおりだった。
「でも空港に来ているタクシーは高いから、イエロータクシーを呼んであげましょうか?それだったら市街地まで15KM(マルカと呼ばれていた。約1,000円)ぐらいだと思う」
「本当ですか。お願いしていいですか?」
「ええ、もちろん。私は旅行会社の人間で、ここで他の旅行客を待っているところだから。マルカは持っている?」
「持ってないです。両替しようと思うんですけど、レートって空港と市街地で差はありますか?」
「うーん、同じだと思うよ」
「ではとりあえず両替してきます」
「じゃあ私はタクシー呼んでおくね」
近くのベンチに座っていたタクシードライバーたちにも声が聞こえていたみたいで「イエロータクシー」と笑われていた。僕は手持ちのカナダドルをマルカに両替し、女の人の隣でタクシーを待っていた。黄色のタクシーは5分ほどで来た。
「ありがとう!」
僕は女の人にお礼を言ってタクシーへと向かった。
「旅行楽しんでね!」
彼女もベンチから手を振っていた。僕はタクシーのトランクにバックパックを載せ、タクシーに乗り込むとドライバーに宿泊先のホステルの住所を見せた。
「ここまでお願いします。どれぐらいかかりますか?」
「20分ぐらいかな」
サラエボの印象
タクシーは空港を出てサラエボの街へと向かった。空港から数分ほど走ったところで道路の真ん中を走るトラムが見え、建物やそこで生活する人々が見えてきた。サラエボの第一印象は、まず人や車が多いこと、そしてボロボロの街や建物が多いということだった。タクシーから見えるトラムはどれも満員の人が乗っている。そしてトラムそのものがワルシャワで見かけたような近代的なものではなく、クラクフで見かけた物の中の年季の入ったタイプを更にメンテナンスを怠ったらこんな感じになるという印象だった。おそらくもっと古いものなのだろう。
乗る人々は様々であり、イスラムの装飾に身を包んだ人はそれほど多くなく、ポーランド等で見かけたようなヨーロッパの若者そのままという人達も少なくなかった。若い女性たちがみなファッショナブルできれいに見えるのは、欧米と同じ美的感覚を共有しているからだろう。
タクシーが街の中心地に近づくに連れ、近代的な建物と、それに相反するようなモスクといった歴史的建造物、そして破壊されたままになっている廃墟やそのまま利用されている建築などが入り交ざった風景になった。同時に山に囲まれた地形でその中心に川が流れ、山には斜面に添って多くの家が連なり、色や形は全然違うんだけど「なんだか京都に似てるな」と僕は思った。広島の尾道にも似ているように見えた。
サラエボのホステルへ到着
タクシーは川沿いに車を走らせ、街の中へと引き返していった。サラエボの道路は一方通行が多かった。
「着いたよ。あれだろ?」
タクシーが止まると目の前にホステルの看板があった。「いくら?」と聞くと「15KM」と女の人が言ったそのままの金額が出てきた。話を通してくれていたのかもしれない。チップはいるのかなと思ったけれど、ドライバーは特に何も言わず荷物を下ろすのを手伝ってくれて、そのまま車に乗り立ち去っていった。
看板の下のドアの前に「ホステルの受付はこちら」と矢印があり、ドアとは別の方向へ進むとそこはバーになっていた。中へ入り、背が高くヒゲを少し生やしバーテンの格好をした兄ちゃんに声をかけた。
「チェックインをしたいんだけど」
「オーケー、パスポート見せてもらっていいかな?あと、予約表みたいなのある?booking.comだよね?あそこは予約した人によって値段が違うからわからないんだよ」
そんなことあるのか。管理雑すぎだろうと思いながら僕はiPhoneに保存していた予約表を見せ、宿代を支払った。5泊6日で5,500円程度、安くも高くもない。
「ありがとう、キーはこれだ。彼が部屋の説明をするから」
そう言って初老の男性を紹介された。彼は英語を話さなかったが「ついてきてくれ」といった感じで手招きをした。僕はバックパックを背負い、そのバーから出て別の入口、先ほどのホステルの看板があった場所へと案内され、中へ入った。ここのドアは常にロックしてくれとか、トイレ、シャワー、部屋の説明を受け「荷物を置いたらまたバーに戻ってこいよ」というような合図をされ、彼は立ち去っていった。客室は2つ、僕が泊まる部屋には2段ベッドが3つ置かれており6人部屋だったが僕以外の宿泊客は見当たらなかった。一番使い勝手の良さそうな下の段のベッドを選び、近くに荷物をおいた。カウンターキッチンには観光情報のチラシや以前の宿泊客からのメモ書き、Wi-Fiのパスワードなどが置かれており、いかにもホステルらしかった。
僕はカメラや財布といった移動用の荷物だけまとめ、鍵を持って先ほどのバーへと戻った。
ホステルからサラエボの街へ
「やあ、何か飲んでいくかい?なんでもあるぜ」
「宿代を払って現金があまりないんだよ。ATMはどこにあるか知ってる?」
「ATMならここを出て向かいにあるよ。でもタダでいいよ」
「本当に?じゃあコーヒーを頂くよ。それと、このあたりの地図って持ってる?」
「地図かい?地図なら、ちょっとまってくれ」
彼は僕にコーヒーを淹れてくれた後、旅行者向けのパンフレットのようなものを持ってきてくれた。
「この最初のページが地図になっている」
それは観光ガイドも兼ねた地図であり、地図上にマークされた番号が後ろのページで紹介されていた。観光地の案内は最初の数ページであとはホテルやレストランの紹介ばかりだった。
「できればもっと大きな地図が欲しいんだけど、例えばトラムの路線図なんかも載っているような」
「トラムの路線図なら最後のページにあるよ。大きな地図か。観光ならだいたいこの地図で網羅しているけれど、もっと大きな地図が欲しければHotel Europeに置いているかもしれない。この前の道を向こうに真っ直ぐ行ったところにあるサラエボで一番有名な大きなホテルだ。すぐ近くだよ」
「ありがとう。あとこのパンフレットの表紙になっている場所ってどこかな?」
それはサラエボ事件があった場所。オーストリア=ハンガリー帝国の大公、フランツ・フェルディナンドがセルビア人の活動家、ガヴリロ・プリンツィプに暗殺された場所だった。サラエボ事件は第一次世界大戦の引き金になり、そこは「20世紀が始まった場所」とも呼ばれている。
「ああ、ミュージアムね。そこもすぐ近くだよ。さっき言ったHotel Europaから川の方へ歩いて行けばすぐさ。有名な橋があって、その前だね」
「わかった、ありがとう。それからもう一つ聞いておきたいことがあって、これはどこに行っても一応聞いていることなんだけど、行かないほうがいいような場所とかってある?例えばその、旅行者にとって危険なところとか。」
「うーん、そうだね。この旧市街の近くにはないかな、新市街の方にも特に思い当たらない。強いて言えば、空港の近くにある背の高い廃ビルのあたりかな。でも普通旅行者はそんなところに行ったりしないよ。基本的にサラエボの人はフレンドリーで親切だから安心していいと思うよ。もし何かあっても警察に言えば助けてくれる」
「そうなんだ、ありがとう」
「出かけるならもう一枚何か着ていったほうがいいぜ。夕方から夜にかけて気温が下がるから、タンクトップじゃちょっと寒くなるよ」
「大丈夫、カバンに入れているから」
僕はコーヒーを飲み干し、バーを出るとHotel Europaを目指して言われた通りの道を真っすぐ歩いた。ホテルエウロパは確かにすぐに見つかった。そして受付に話しかけ、地図があるか聞いてみると、ホステルと同じパンフレットを渡された。もっと大きな地図はあるか聞くと、無いと言われた。やはり観光地はこの地図に集約されているのだろう。そのまますぐにホテルを出て曲がり、ミュージアムへと向かった。本当にすぐ近くだった。
僕はこの場に立ち、20世紀初頭に思いを馳せていた。サラエボ事件については以前に日記を書いているため、一応紹介しておく。
ミュージアムを後にし、僕は街を歩いた。歩いていると、垂れ幕を見つけた。スレブレニツァから20年という垂れ幕だった。
スレブレニツァについても以前の日記で触れているため紹介しておく。
サラエボの街の様子
そのまま僕はサラエボの旧市街から新市街の方まで歩いた。ぐるっと歩いた。夕方から夜にかけて、3時間以上歩いたと思う。サラエボは山に囲まれており、階段を昇ったり坂を登ることも多かった。サラエボの街の印象として僕がメモに残していたのは、
- 人が多い
- 虫が多い
- 野良犬が多い
- ボロい建物が多い
- 車多すぎ
これを見ると悪い印象ばかりに思うかもしれないが、トロントのようにホームレスで溢れかえっていることもなく、騒いだり奇声をあげる人もおらず、街そのものはボロくても穏やかで健全に見えた。トロントのように道を歩いているだけでマリファナ臭いなんてことももちろんなかった。ただ、その前のポーランドが良すぎてこのようなメモになったのだろう。
ホステルに別の客
夜になり、ホステルへ戻ると宿泊客が2人増えていた。ライダースジャケットが干されており、背が高くて丸坊主のゴツイ男性と短髪でヒゲを生やした男性二人組だった。彼らの内の一人が地図を持っていたため、僕は「その地図どこで手に入れたの?」と英語で聞いてみた。しかし彼らには英語が通じなかった。ドイツ語か、ポーランド語ならわかると言っているようだが僕は言葉に詰まった。そして彼ら二人の会話から「dobra (ドォブラッ)」という言葉が聞こえてピンと来た。
「もしかして、ポーランド人なの?」
「no no(そうだ)」
やはりそうだった。ポーランド人は事あるごとにdobra (ドォブラッ:オーケイの意味)を連発する。
「僕は日本人だけど、ここに来る前ポーランドにいたんだ。ポーランド語をちょっとだけ知ってるよ。例えば、tak tak(タク タク:Yes)、dziękuję(ジェンクイェ:ありがとう)とか」
彼ら二人は笑顔になった。
「バイクに乗るのかい?」
僕は身振りでバイクのハンドルを示しながら英語で話した。
「そうだよ、ヤマハのバイクだ。こいつはホンダのバイクに乗っている。どちらも日本のバイクだ!」
「そうなんだ。僕は日本でスズキのバイクに乗っているよ」
「スズキか!」
僕らはお互い言葉が通じないながらも共通点を見つけ、少しだけ打ち解けた。
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今週のお題「海外旅行」