読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「スプートニクの恋人」も並行世界の一つだった

「スプートニクの恋人」を再読した。ああ、このパターンかと初めに思った。「スプートニクの恋人」を初めて読んだのは大学生のときで、話の大筋は記憶していた。そのあと村上春樹の小説をいろいろ読んでから改めて読み返すと、新鮮な気持ちで、ある意味使い古された視点からこの本を読むことになった。

一人の男性が一人の女性を失う物語である。現実がいつの間にかファンタジーと交じり合う物語である。これだけで「国境の南、太陽の西」「海辺のカフカ」「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」「ねじまき鳥クロニクル」と被る(他にもあるだろうけど今は思いつかない)。「スプートニクの恋人」が他の物語と違うのは、失われる女性のことを事細かに書いたところだった。彼女がどういう人間だったのか。何を抱えていたのか。彼女自身の口からも、彼女が残した文書からも語られている。「すみれ」というモーツァルトの歌曲から名付けられた女性を中心とし、彼女を失ったKという男性の物語。感想は「スプートニクの恋人」とその他村上春樹小説を読んだ前提で書いています。

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

続きを読む

日本人だったら黒澤明ぐらい見ておこうぜ

映画

「世界のクロサワ」です。今年の夏、京都に遊びにきたオーストリア人と映画の話をしたときも、スタンリー・キューブリックと黒澤明で盛り上がった(赤ひげと乱が好きだと言ってた)。黒澤明の映画を見ていれば、映画好きの外国人とも話題に事欠かない。しかもそれを自国の映画として語れるなんて、素晴らしきことかな。

そんな機会は滅多になくてもクロサワ映画、時代劇だし、古い映画だし白黒だし、なんだかとっつきにくいと敬遠されがちである。しかし作風はエンタメが多く、内容も難しくない。気軽に見れておもしろいんだから、見ておいて損はない。僕は社会人のときにはまって結構たくさん見た。僕が見た中でオススメをいくつか紹介してみる。ちなみに僕が見たのは以下13作品(制作順)。羅生門 / 白痴 / 生きる / 七人の侍 / 蜘蛛巣城 / どん底 / 隠し砦の三悪人 / 用心棒 / 椿三十郎 / 赤ひげ / どですかでん / 影武者 / 乱

続きを読む

冬日記

日記

すっかり冬です

12月なんだからそりゃそうだろう、というところですが、外を歩いていれば葉も落ちて、この秋から冬に変わる日本を体験するのは2013年以来、実に3年ぶりとなる。オーストラリアの冬は6月から8月頃だったが、僕がいた頃はあんなの冬ではなく、毎日雨ばっかり降って暑い日は気温が18℃まで上がっていた。トロントの冬は10月から既に始まっており、4℃とかいう最低気温を叩き出していた。今の季節はどれぐらいだろう、今年はそんなに寒くないらしい。

トロントの25日間の天気 - カナダのオンタリオのAccuWeather天気予報 (JA)

冬寒い寒いと思っていたが、夜外を歩いてみるとそうでもない。トロントの冬で印象的だったのは、常に肩の筋肉がこわばっていたこと。完全防寒をしていても吹雪いていたりして、髪が凍ったり空気を吸い込んだ肺が痛かったり、余裕がなかった。トロントの春はだいたい0℃が基準で、気温が0℃を上回れば外を歩いても肩をこわばらせることがなかった。そういった筋肉の弛緩から春の訪れを感じていた。こっちでは防寒さえしていれば、肩は緩みっぱなしで余裕を感じる。ただ部屋の中は寒い。

続きを読む

孤独感から逃れるには

なかなか恥ずかしいことが多くて、恥ずかしさを誤魔化すために婉曲的に。恥じ入ることの意味は一体なんだろうか。赤っ恥とは、公の場で間違うことだったり、醜態を晒すことを指す。つまり、オープンになることが恥のエッセンスと言える。ということはオープンになるかならないかだけの違いであり、その中身は同じだということだ。人に見られようが見られまいが実態そのものは変わらない。

裸は恥ずかしいか

例えば裸体が恥ずかしいとしよう。我々は風呂に入るときや着替えるとき、もしくは自室で裸体になる。人がいなければ恥ずかしくない。銭湯のように状況が許せば恥ずかしくない。つまり裸体そのものは恥ずかしくない。もし仮に、他人の目を気にしなければどうなるだろう。「裸体そのものは恥ずかしくない」という事実に「人の目を気にしない」という要素が加わると、「外で裸体になることも恥ずかしくない」という状況が生まれる。恥ずかしいという感覚はそれそのものではなく、人の目を気にすることと結びついている。

続きを読む

理性と感情と、理想の人生

理性とか感情とか、こういうテーマについて考えていたのは今に始まったことではなく、前々からブログ上でもよく触れていた。そして最近また触発されることがあり、再び頭の中をめぐらしていた。理性や感情が、人生にどういった影響を与えるか。理性や感情とどのように向き合い、付き合っていくことが理想の人生へと繋がるか。人生とは、運や環境もあるが、少なくとも自分で歩む部分においては行動の結果であり、また結果の積み重ねでもある。ではその行動は、どこから生まれたのか。言い方を変えれば、行動を決めたのは何か。行動の根拠として、理性と感情という二つの大きな基軸がある(思考と欲求と言ってもいい)。

理性と感情

理性と感情の違いはなんなのか、あるいは理性的行動と感情的行動の違いは何なのか考えていた。全く内容を異にするようなその二つの行動、しかし行き着く先は、意外と同じだった。それはいずれにおいても、喜びと安心(もしくは安らぎ)である。理性的な行動であれ、感情的な行動であれ、人間の行動の行き着く先には喜びと安心しかない。喜びとは、楽しさ、おもしろさ、ときめき、幸福、快楽にあたる。安心とは、不快やストレスを避けること、痛みや不安を取り除こうとしたり、予想される不安や不幸、痛みを退けることによって得られる感覚を指す。理性的であれ、感情的であれ、行動の行き先には喜びと安心という二種類の結果しかない。

続きを読む

we don't talk anymore の和訳に挑戦

音楽

YouTubeでたまたま聞いていて、比較的簡単な英語だったから意訳してみたらどんな感じになるか試してみた。映像は別れたカップルの1日を同時に追いかけるような形になっている。撮影場所はニューヨークみたいだ。別れた後もSNSで互いのことを知れたり、連絡手段があったりして時代を反映している。テキスティングアプリはiMessageになってるからデフォルトのSMSなんだろう。映像を見ていて思ったのは、写真ってきついな。気軽に写真撮って残るようになったのが一番きつい。歌詞そのものは、どの時代の人が聞いても違和感ない普遍的な詩だと思う。

男性が一周歌った後に女性のパートに入る。その後2人のパート。歌自体は非常にベタ、ベタに尽きるが、今でもこういったベタな曲が若い人の間でも受けているっていうことなのだろう。いつの時代も変わらないというのは、安心する反面、寂しくもある。

続きを読む

現代文だけ得意なヤツはクズという風潮

ネット

何年か前に現代文だけ得意なヤツはクズという言葉をネットで見かけ、最近再び気になった。何を隠そう、大昔の自分がそうだった。現代文だけは一度も真面目に勉強したことがなかったけれど、他のどの科目よりも点が取れた。センター試験では評論と小説で9割だったのに古文漢文が悪すぎて7割まで下がった覚えがある。僕が行っていた大学は頭の良くない学校だったが、受験勉強をろくにしなかったため勉強しなくても点が取れる現代文と英語だけの入試で入学した。英語は中学生の頃に真面目に勉強した貯金があった。

数学とか全くダメだった。物理とか何度やってもできなかった。右ら左へ抜けていった。現代文が得意と言ったって、そりゃあ難関大学の二次試験が解けるかといえば試したこともなく無理だろうけど、他の教科に比べてアベレージまでの苦労が全然違った。本を読み始めたのは高3ぐらいからで、当時は読書習慣もほとんどなかった。なぜ現代文だけ得意な人間がいるのだろう。そして現代文だけ特異なヤツはクズなのだろうか。

続きを読む

2年前と比べる「私のカバンの中身」

物欲

これを書こうと思っていたわけではなく、なんとなくお題スロットを回してみたら出てきたのがこの、お題「私のカバンの中身」であった。そう言えば前に一度似たような内容のことを書いたなあ。あれはいつだっただろう、2014年、もう2年前か。2年前と今とどう変わっているだろう、そう思ってカバンの中身を広げてみた。 2年前の日記

なんだろう、別にこれといって書くことはないから、毒にも薬にもならないことを事務的につらつら書いてみよう。

続きを読む

「知的生産の技術」という名の手帳活用術

「知的生産の技術」という本を読んだ。それにしてもなんと重々しいタイトルだろう。こんなタイトルの本は、本屋に並んでいても手を出す気にならない。買ったとしても、最初の1ページを開くまでかなりの時間を要する。しかしいざ開いてみると、スラスラ読めた。全然難しい内容ではなくおもしろい。読み始めて1日目で半分以上読み、結局3日で読み終わった。内容はなんのことはない(という言い方は失礼だが)手帳の書き方の本だった。手帳の書き方と言ってしまうのが一番わかりやすいが、それが「知的生産の技術」なんてタイトルになるにはワケがある。まさに手帳革命と謳うぐらいの内容なのだ。とりあえず目次を引用してみよう。

1.発見の手帳
2.ノートからカードへ
3.カードとそのつかいかた
4.きりぬきと規格化
5.整理と事務
6.読書
7.ペンからタイプライターへ
8.手紙
9.日記と記録
10.原稿
11.文章

続きを読む

鈴木あかめさんに会った

ネット

会ったといっても道ですれ違ったとかそういう話ではなく、京都に来る機会があるということで、ついでに会ってもらった。もともとお互いのブログを知っている程度で、なぜ会うことになったかというと、ブログに書かれていた内容について僕が質問をしたのがきっかけだったと思う。省略されていた部分を聞きたくて質問したら、京都に行く機会があるから会って話そうということになった。

続きを読む

「サイゴンのいちばん長い日」を頂きました

サイゴンというのは旧南ベトナムの首都であり、現ホーチミン市のことを指す。ベトナム戦争にて、北ベトナムことベトナム民主共和国が南北ベトナムを統一したあかつきに、サイゴンからホーチミンシティへと改名された。名前の由来は北ベトナムの指導者であり、ベトナムを統一へ導いたホー・チ・ミン。ちなみに統一後のホーチミンシティはベトナムの首都ではない。首都は北ベトナム時代から変わらずハノイのまま。あと改名はされたが、地名としてのサイゴンは今でも通じる。サイゴンビールという銘柄もある。

f:id:kkzy9:20100425174838j:plain

ホー・チ・ミン - Wikipedia

そんなサイゴンの一番長い日とは、戦争が終わったサイゴン陥落の日を指す。戦争中、北ベトナムと南ベトナム、そしてアメリカはパリ協定という北ベトナムも南ベトナムも残す形の終戦協定を結び、米軍はベトナムから撤退していった。しかし北ベトナムはその協定を守るわけではなく、米軍撤退後に勢いは加速した。パリ協定は米軍が撤退するための口実であり、その後アメリカが再び介入することもなかった。北ベトナムはそのまま南ベトナムへ進軍し、首都サイゴンを陥落させてしまう。

サイゴンの陥落は北ベトナムの勝利を意味し、20年続いたベトナム戦争は北による南北統一という形で終結した。フランスを追い返した第一次インドシナ戦争も含めると、ベトナムにおける約30年の戦争状態が1975年4月30日に終わった。その日、今から40年前のサイゴン陥落の日が「サイゴンのいちばん長い日」としてこの本のタイトルになった。

この本は日本人のジャーナリストが、現地サイゴンで陥落を見届けた日々の日記を元に書かれている。というかほとんど日記そのままだ。陥落前から、その後20日間の滞在、合計2ヶ月間がこの本の舞台となる。記述は40年前のこととは思えない色褪せない文体で、つい最近あった話のように読むことができる。

続きを読む

最強の握力トレーニング器具COCグリッパーにチャレンジ

物欲

手軽な運動として、握力を鍛えるにぎにぎするやつがある。グリッパーと呼ぶそうだ。運動するにあたって場所も取らず、持ち運びもできる。運動量は大したことないが、力いっぱい込めて握るのはストレスの解消にもなるらしい。鍛えられる部位は前腕となる。

グリッパーはスポーツ用品店や健康器具売り場などで売っているが、市販で流通してるのはたいてい握力40kgぐらいまでのものだったりする。40kg程度は簡単に握れてしまうため、やってもあまり実感がない。そこでもっと強力なものがないか探してみたところ、キャプテンズ・オブ・クラッシュ(通称COC)というものを見つけた。

これはナンバー4までレベルがあり、4については130kg、世界で5人しか閉じることができないそうだ。手頃そうなナンバー1.5を購入した。これは握力67kg(なんでこんな中途半端なのだろう)。

ここまでしかいけない。60kgもないな。


ネットのチャレンジ動画

お題「続けている運動」