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「怪しいシンドバッド」を読んではいけない

長いこと旅行から遠ざかっている。最後に旅行したのは去年の夏、あと4ヶ月ほどで日本に帰ってきて1年になる。どこかへ行きたい、どこか遠いところへ、そんな気持ちを常に胸の片隅に置きながらも、しばらくは眠っていた。「怪しいシンドバッド」を読んではいけない。力強く呼び起こされる。著者はこの本の中でインド、コンゴ、タイや中国、コロンビア、と世界各地を飛び回っている。全て仕事であったり取材であったりするが、中には伝統あるインディオのみが儀式で使用する「幻の幻覚剤ヤヘイ」を試しに行くという突拍子もないものも含まれている。旅行したい。目的を持たない放浪の旅みたいなのが苦手で、そういうことをやってる本を読んで憧れることはあるが、いざ行ってみると何もやることがなくて、途方に暮れてしまうのが常だった。この本のように、何かを探し求める旅行がしたい。ただ今のところ、その目当てにするものが見つからない。

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2.25はオフラインデーです

ネット

勝手に決めました。このテキストも2.24時点に書いて予約投稿しています。2.25はオフラインデーです。パソコンもスマートフォンもオフラインに徹します。デジタル・デトックスというのはさすがに無理があるから、せめてネットには繋がない日があってもいい。パソコンはWi-Fiを切り、スマートフォンは機内モード。ときどきこういうことを意識的にやっている。

なんのために?

特に意味はない。強いて言えば、都会の喧騒を忘れて田舎に旅立つような感覚。日常生活がいかにオンラインであるか実感するでしょう。禁断症状が出るかもしれませんが、落ち着きましょう。

連絡が来たら?

LINEは機内モードなので見れません。大事な用ならきっと電話がかかってくるはずです。

やることがない?

だったらオフラインの自分とその周りを一度見つめ直してもいいんじゃないですか。きっとやることだってあるはず。

大事な情報を見逃す?

それって本当にそんな大事なんですか。次の日じゃだめですか。

寂しい?

たまには寂しさを体いっぱいに受け止めてください。

いてもたってもいられない?

だったら外へ出ましょう。もう財布もスマートフォンも持たなくていいんじゃないですか。

「パプリカ」はいつの間にか夢物語になっていた

筒井康隆のSF小説「パプリカ」を読んだ。この人の長編小説を読むのはこれが初めてだった。代表作はなんだろうと思って調べていたら「旅のラゴス」っていうのが評判がいい。そのうち読むかもしれない。「パプリカ」の方は映画を先に見ていたため、どうしても映画のイメージが強かったが、映画と原作は結構違った。映画はいわばダイジェスト版であり、映像で魅せる演出が多彩で、内容もしっかり1時間半でおさめられている。原作はもっと長い物語を詳細に描いている。映画にあった目まぐるしく多彩な展開は部分的であり、地道なSF物語がじわじわと進む。

映画のトレーラー

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続くエンディング

終わらないEndlessではなく、Ending、終わりが続く。超魔界村で言えばアーサーがお姫様を抱いて背の高い馬に乗っているシーンがいつまでも続く。

もう終わっているのだ。アーサーのようにハッピーエンドとはならなかったが、既に終わっている。しかし、いつまでも終わっている。終わりが続いている。いったいいつまで続くのだろう?もう5年も続いている。

終わりを自覚した日

この終わりはいつ始まったのか。エンディングには、エンディングにさしかかる始まりがあったはずだ。5年続いていると言ったのは、自覚してから少なくとも5年は経過しているという意味で、それが本当に5年前に始まったものかどうかさだかではない。終わりが始まった日はあいまいだ。終わりが始まった日、日をまたいで終わりに差し掛かったのだろうか。もしくはある瞬間をまたいで。それともじわじわとグラデーションのように、いつの間にか終わりが始まっていたのか。気づいたらエンディングのさなかにいた。

これ以上前に進めなかった。あらゆる方向を試してみたが、本筋に引き戻された。本筋はそこで終わっていた。先がなかった。だからこそ道を逸れようとしていた。うまくいかなかった。そのとき、もう既に終わりが始まっていることを自覚した。

終わりとは

なぜそれをエンディングだと自覚できたか。それは実に簡単なことで、身動きがとれなかったからだ。何を考えようと、手足を動かそうと、自動的に終わりへ向かっている。物語はここまで、あとは終わるのを待つだけ、そういう段階が来ると、いくらもがいたところで目の前に待ち受けているのは閉幕しかない。その強制的な流れに逆らうことはできない。逆らったところで、残されたページには限りがある。幕は既に下り始め、舞台上では客席に向けて手を振っている。そこから何をやっても変わらない。もしかすると終わりは、もっともっと前から始まっていたのかもしれない。自覚していなかっただけで。

いざ自覚すると、案外受け入れられるものだ。ああ、もう終わっているんだ。終わっていることがわかれば、落ち着きもうまれる。あとは最後まで幕が下りきるのを待つだけ。

終わりの終わり

しかし、このエンディングはいったいいつまで続くんだ。エピローグが始まっていることには気づいても、残りが具体的に何ページあるのかわからない。エンディングはもう5年も続いている。

何故だろう。不本意な形で終わった物語を、このまま終わらせまいという意識が働いているのか。誰の意思だ。そんな意思を抱いたところで既に終わりに差し掛かり、どうにもできないことはわかりきっている。ただ不毛に抗っているというのか。それとも、それさえも踏まえた物語なのか。単純にエンディングが長いだけの駄作なのか。幕が下り始めた舞台の上で、滑稽な芝居を演じている。いつまでたっても終わりの終わりが来ない。

ジェットストリーム

日記

今はボールペンを使うことってほとんどない。手帳は持たないし、メモはスマートフォンかGoogleKeepといったメモアプリに書く。それでもやはり、生活していればときどき手書きで何か書かなければいけないこともある。手続きなんかは今でも紙とペンが主流だ。僕が使っているボールペンは市販のもので、三菱鉛筆のジェットストリーム。いいボールペンはParkerの貰い物(いつどこで誰にもらったか忘れた)があったりするけれど、インクがなくなって以来使っていない。確かに書きやすかったが、太くて邪魔になるのと、単にインクを替えるのがめんどくさいこともある。そうはいいつつも、ジェットストリームはずっと使っている。いつから使っているかというと、この記事を読んで以来ずっと。

やまもといちろう 公式ブログ - ボールペン「ジェットストリーム」は確かにいい - Powered by LINE

この記事が書かれたのは2009年らしい。当時僕は会社員だった。デスクにて書類を書いたり電話のメモをとったり、ボールペンを日常的に使用していた。しかしあまり良い物に出会えなくて、ボールペンに対していつも不満があった。そして上記の記事を読んですぐに、会社の備品としてジェットストリームを注文してもらった。実際使ってみると水性のボールペンみたいに滲まないし、インクが出にくくなることもなく書きやすい。すぐに使い切ってしまい、今度は替えのインクだけ注文することにした。先輩にも勧めてみたら、先輩はガンダムファンだから「名前がいい」と言って使い始めた。(ガンダムには「黒い三連星」という敵が使うジェットストリームアタックという戦法があった。)そのうちジェットストリームは社内の標準ボールペンになっていて、いつの間にか会社のネーム入りボールペンまで作られていた。これは僕が広めたわけではなく、それだけジェットストリームが市民権を得て、どこでも当たり前に使われるようになったからだ。

会社を辞めてからもこのペンを使い続けていた。カナダへ行くことを予定していたから、外国は市販の文房具がしょぼいという話を聞いており、ジェットストリームを2本持っていった。インクもまとめて5本持っていった。カナダでは英語学校に通い、ペンを使用することも多かった。一度「筆記用具を持ってきていない」というカザフスタン人の女の子にペンを貸したら、そのままパクられてしまった。こっちでは替えのインクなんて手に入らないのに。そうやって残った1本のジェットストリームとともに帰国して、今でもときどき使っている。

あれから事務用品の市場がどれだけ変化しているのかは知らない。もしかしたら別のメーカーかどこかでブレイクスルーが起きて、今はあまりジェットストリームが使われていないかもしれない。それどころか「ボールペンで手書きするなんて古い」なんていう時代にはまだなっていないだろうな。一時期"消せるボールペン"が流行ったのは知っている。消せるっていうことは消えるっていうことだから、ボールペンで書く意味ないじゃないかと思ってしまった。今でもまだ消せるボールペンが主流なんだろうか、どうなんだろう。身の回りの使い捨てボールペンを見てみてください。

ジェットストリームのおすすめは、多機能ペンではなく標準のもの。こちらだとインクが多いため替える手間が少ない。ペン先は標準の0.7mmより少し細い0.5mmが使い勝手がいい。高校のときに「米粒に文字が書ける」というキャッチコピーの極細ペンが流行ったが、あれはインクが出にくくて使いづらかった。

お題「お気に入りの文房具」

風呂で本を読む習慣

風呂で本を読む習慣がある。昔からではなく、つい最近の話だ。なぜ風呂で本を読むようになったか。風呂に入ると暇で、すぐにあがってしまう。そして脱衣所に出ると寒い。銭湯や温泉に行ったときは、外が寒いぐらいであっても涼しく感じる。それは体が温まっている証拠だ。自宅の風呂からあがり、脱衣所ごときで寒いようなら、それは体が温まっていない証拠だ。もっと長くつからないといけない。しかし風呂場は暇である。何もやることがない。そんなところでじっとしていられるのはせいぜい数分で、すぐに限界が来る。何か考えようものなら、調べたりメモを取りたくて居てもたってもいられなくなる。

風呂場の暇を解消するために、テレビなんかを置く人もいると思う。しかし僕はテレビを見ないし、そのために買おうとは思わない。スマートフォンを持ち込む人もいるだろうが、僕のスマートフォンは防水ではないから濡れると壊れる。それで本を持ち込むことにした。本も濡れると読めなくなるが、スマートフォンほどの損失ではない。そして余程のことがない限り濡らしたりしない。浴槽の上にフタをして、ハンドタオルを置いてその上で読むからだ。

風呂場で本を読むのはいい。他にやることがないから、読書に集中できる。参考書や勉強の本を持ち込んでもはかどる。湯あたりしやすい人は、思考が働かなくなるのでご注意を。おすすめなのは、風呂に入って体や頭を洗って、他にやることがない状態にしてから湯船につかり、じっくり本を読むことだ。先に体や頭を洗ってしまわないと、本を読んだ後ではぐったり疲れて億劫になる。先に頭を洗っていると、濡れた頭が外気によって冷やされ、湯あたりしにくい。そうやって1時間ばかり湯船で本を読む生活をしている。

ひとつ困ったことは、最近電子書籍の購入が増えたことだ。Kindleやスマートフォンを風呂場に持ち込むのはリスクが高い。だから風呂場で読むのはどうしても紙の本になってしまう。だったら全部紙の本で買ってしまえばいい、という風にはならない。電子書籍には電子書籍の利点がある。例えば夜、電気を消してから布団の中で読むことができる。僕は寝付きが悪いほうで、電気をつけたまま寝ることができない。そして、眠くなってから電気を消そうと布団から出てしまえば、目が覚めてしまう。電気のスイッチまでは歩かないといけない。読書灯のようなものもあるにはあるが、角度によって光が当たらないため、読書灯で本は読みづらい。結局、電気を消した状態で本が読めるKindleは便利なのだ。

風呂場で読む紙の本と、ベッドで読む電子書籍に分ければいい。そりゃあそうだ。しかし僕は、基本的には一冊ずつしか本を読めない。同時進行で紙の本を2冊読んだり、紙の本と電子書籍を交互に読んだりできないのだ(今は例外的に紙の本を2冊読んでいるが)。だから、紙の本であれば紙の本、電子書籍であれば電子書籍、そのときに読んでいる本を読み終えるまで切り替えることができない。めんどくさいやつだ。そういうわけで、ちょうど電子書籍を読んでいたときに一度、Kindleを風呂場へ持ち込んだことがある。ビニール袋に入れて密閉し、水や水蒸気が入らないようにした。その上からフリック操作できるかも確かめた。いざ、風呂場Kindle。

結果、包んだ袋がよれて文字がはっきり読めなかった。無理して読むことはできたが、目が疲れる。これはナシ。おそらく防水キットなんかを探せば売っているんだろうけど、そんなものを買うほどのことでもない。風呂場の電子書籍はあきらめよう。これ、スマートフォンだったらダメなんです。なぜかというと、スマートフォンはいろんなことができるから、風呂場に持ち込んだところで読書に集中できない。初めは風呂場の暇を解消するための手段だったのが、いつのまにか快適な読書環境を風呂場で実現しようとしている。

お題「ひとりの時間の過ごし方」

週刊日記

日記

本をたくさん買った

ラオスにいったい何があるというんですか?

ずっと欲しかった村上春樹の旅行記。これ以外の旅行記は「遠い太鼓」「雨天炎天」「辺境・近境」などを既に読んでいておもしろかったから「ラオスに」もいつか買おうと思っていた。タイトルのラオスはほんの少ししか出てこない。それ以外にアメリカのボストンやアイスランド、フィンランド、イタリアのトスカナ再訪など、いろいろな場所を訪れた旅行記になっている。先に上げた3つの旅行記は20年以上も前の話なんだけど、この本は2013年のボストン・マラソンで起こったテロについて触れられていたり、かなり新しい内容になっている。文庫じゃないんだけど今ならAmazonで500円ぐらいで買えます。

ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集

ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集

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全面禁煙すべき?2020年東京オリンピックに向けての間違ったタバコ論議

このあたりを読んでいて思ったこと。

はい、喫煙者ですごめんなさい。僕はカナダに1年半住んでオーストラリアに1年近く住み、その他諸外国へ計3ヶ月ぐらい旅行していた。その間ずっと喫煙者だった。外国にいる間はむしろ日本にいるときより喫煙量が多かったんだけど、タバコに関する取り扱い方は日本と外国とで全然違った。1箱1000円近いのが当たり前とかパッケージがグロいって話もあるんだけど、それ以上に喫煙についての意識の違いが大きい。それは日本人と外国人とで、社会に対する関わり方が違うことに大きく影響していた。カナダやオーストラリアにもタバコが嫌いな人は多かった。しかし向こうでは「自分は嫌いだけど、あなたが吸うかどうかはあなたの自由だ」という対応をされる。よほどの原理主義者でない限り「喫煙者うぜえ!」とはならない。

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わかりにくいけどオーストラリアではパックに入ったタバコの葉っぱを買って手で巻いていた

なんで喫煙者が差別されないかというと、個人主義の国だからだ。個人の意思と自由を尊重する。「健康に悪いよ」という意見を言う人はいるが、それも最初の一度だけだ。「あとはあなたが自分で判断することで、私には関係ない」となってしまう。つまり、自分と他人との境界がはっきりしている。でも日本人だって「喫煙者が肺がんで死のうが知ったこっちゃねえ、それより副流煙うぜえ」というメンタリティの人は多いだろう。そのあたりも外国でははっきり区分している。どのように区分しているかというと、場所で分けている。パブリックスペース(屋外)とプライベートスペース(屋内)だ。パブリックスペースでの喫煙は自由であり、タバコが嫌いな人は喫煙者に近づかない。一方プライベートスペースにおいてはほぼ全面禁煙になっている。

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お酒と頭痛と人間関係

お酒を飲んで、ものすごく頭が痛くなった。グラス1杯のビールと、焼酎2杯しか飲んでいない。飲んでいるときは平気なんだけど、アルコールが酸素と混ざりアセトアルデヒドになる頃には頭痛をもよおす。具体的には外食をし1時間か2時間後、自宅へ戻った頃だった。まだ時間は早かったものの、既に頭が痛くてこのまま寝てしまおうと思い、ベッドに入った。そしてすみやかに眠った。

僕は何かと闘っていた。そして誰か知らない人に罵倒されていた。「あなたは最初優しくしておきながら、そうやってすぐつけ離してくる。ひどい人だ」僕はその言葉に対して反論を考えていた。「だって、例えば抱きしめられて、その力がどんどん強くなってくると引き剥がしたくなるだろ、それと同じだよ。君の力は既に強すぎるんだ」そう思いながら、僕は口に出すのをやめた。よく考えてみれば僕自身だって、別の人に対して同じようなことをしている。人との距離感をうまくとることができない。

目を覚ますと、額に汗をかいていた。頭痛は激しくなっていた。僕はベッドから起き上がり、毛糸の帽子をかぶった。部屋は寒く、頭が冷えたせいで頭痛が増している。寒い日の夜は、よく頭痛がする。そういうときに僕は、帽子をかぶって寝るようにしている。ナイトキャップをかぶって寝るという習慣が、なんのためにあるのかずっとわからなかったけれど、もしかしたら頭が冷えすぎるのはよくないからかもしれない。再びベッドに入る。頭痛は少しましになった気がするが、おさまる気配はない。もう一度寝ようとするが、額には脂汗がにじむ。そのうち吐き気をもよおして、トイレで吐いた。胃の中が空になると頭痛は少しおさまり、朝まで眠った。もう夢は見なかった。あの夢は頭の中で起こっていた具体的な痛みに連動していた。

頭痛の元になったのはお酒と寒さだったが、頭痛から連想されたあの夢の痛みは、自分の中にあった。自分と人との関わり方。誰かが自分の痛みの種になっており、自分も誰かの痛みの種になっている。それが頭痛という別の痛みによって思い起こされることもあれば、それ自身が頭痛の種になることもある。相手の痛みを知るにはどうすればいいだろう。相手が痛まないようにするには。自分の痛みを知らせるにはどうすればいいだろう。程よい力加減で、人と関わるには。冷静になるしかない。のめり込まないようにする。対象を分散させる。一人の人に対してではなく、別の物事や、別の人に対して分け与える。よく誰にでも優しい人は、一人の人に固執しないと言う。それは一つの対象に集中できないのか、もしくはこだわることに対する危険性、痛みが生じる可能性を知っているからかもしれない。

痛みを乗り越えてこそ、真の関係性が築けるという言葉もある。はたしてそれが、僕の頭痛にも当てはまるだろうか。少しずつ慣れていけば、その先に見えてくるものは確かにあるかもしれない。自分の懐も深まるだろう。しかし早急な痛みは、単に反動だけをまねく。その先には、もうこれ以上関わりたくないという拒絶さえ出てくるかもしれない。一つ一つの対象に対して、お互いの許容範囲をわきまえながら、冷静に、少しずつ距離を縮めていくのが正しい付き合い方なのだろう。

お題「最近見た夢」

2017.02.18.SHIJO@京都

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※今回も記事内容を読むのがめんどくさい人用に動画で読みあげる手法をパクっています。寝ながらでも他の用事をしながらでもブログを読めるので、ラジオ的に活用してください。

↑読むのめんどくさい人は再生

「同じ日に、同じ場所で、違う人が何をどう撮るか」

先日の日記で触れましたが、「しょしんしゃ歓迎!Snapしちゃお祭」に行ってきました。どうでもいいけれど、スナッパーで検索したら鯛が出てきた。ピチピチ跳ねるからだろう。

鯛はともかく、路上でスナップ撮影を行った。同じ日に、同じ場所で、自らのカメラを持ち寄り、決めたルールの中で無造作に撮影を行い、撮ったものを見せ合おうという企画である。第一回目の今回は、撮るものが見つけやすいであろう京都の四条河原町近辺で催した。参加者は88’sのユウスケさん。

今回のルール

  • 四条大橋を境に東西に分かれて移動する
  • 撮影対象は自由
  • 編集も自由
  • 1時間で戻ってきて橋の東西を交替
  • 撮ったうちの3枚を東西各エリアから選んでブログに載せる
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雑に

日記

iPhoneを使っていた頃はよく携帯から更新していたというか携帯でブログを書いていたんだけどAndroidにしてから入力がうまくできなくて文章打つことがなくなった。初めは慣れの問題だと思っていたけど1年以上使い続けても全く慣れないからやっぱり安物の機種は性能悪いんだなということを実感している。夏野剛のツイッターを見てたら「子供にタブレット支給するならぜひiPadで、使い勝手が全然違うから」みたいなことを言ってたからやっぱりそうなのかと思った。こういう小さなストレスって使う時間が長ければ長いほど積み重なって大きくなる。僕は去年パソコンを買い替えるときにChromebookにするか迷ったんだけど結局MacBookを買って贅沢をしている。反対にスマートフォンはAndroidを使って我慢している。iPhoneSEがほしかったけど、保留中。スマートフォンやパソコンみたいに毎日使うものだったらストレス感じるよりお金かけたほうがいいと思いつつ、安い環境でストレスフリーなのが一番望ましい。ただMacやiPhoneの快適さを知ってしまうとなかなかWindowsやAndroid使う気にならないと思う。一度上げてしまった生活レベルを下げるのは困難って話。僕はスマートフォンに関しては実際下げたんだけどその分用途が狭くなった。使うアプリも減ったしカメラ性能が著しく低下したせいでスマートフォンではほとんど写真撮らなくなった。用途を限定してしまえば生活レベルを下げてもなんとかやっていける。と言いつつAndroidでこの文章を打ってみた。

mixiのコミュニティだけ復活してほしい

ネット

復活と言うかmixiのサービスは一応現役なんだけど、いまさらmixiを使おうって人はいない(僕は10年近く前にアカウントを削除した)。facebookグループが一応今のところ一番それに近いサービス形態なのかもしれないが、利用されているのだろうか。LINEグループのような内輪グループか、もしくは組織グループのようなかっちりしたものが多く、情報交換の場として適しているのか、機能しているのか、あまり馴染みがない。mixiコミュニティの良かったところは

  • 参加しやすかった
  • 新たに作りやすかった
  • 人が集まりやすかった
  • トピックを立てやすかった

などなど結構あった。承認不要のコミュニティが多く、気軽に参加できた。参加者が一人や二人しかいないできたばかりのコミュニティにもよく参加していた。よりマニアックなコミュニティを探していたような気がする。世界が違うとかわけのわからないコミュニティに入っていた。

mixi 趣味のコミュニティ

mixi 趣味のコミュニティ

  • mixi, Inc
  • ソーシャルネットワーキング
  • 無料
僕が利用していた頃とはロゴも変わっている

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週刊日記

日記

週末に「路上スナップ大運動会」を行おうと思っている。ルールとしては

  • 決められた時間内に
  • 決められたエリアで写真を撮る
  • 対象は人、建物、物、風景なんでも
  • 枚数も自由
  • 途中休憩してエリア交替

これを京都の街中で行う。休憩時間に互いの撮ったものを見せ合ったりしつつ、最終的には自宅に戻ってからアップロード。競争ではないが、お互いの視点の違いや重視するものの違い、撮り方の違いなどを確認できるいい機会だと思う。参加してくれるのは滋賀県在住のユウスケ氏。

「同じ日に、同じ場所で、違う人が何をどう撮るか」比較したらおもしろいかもしれないと思いついた。時期と場所を変えて何度もやるかどうかは未定。今後参加してみたい人がいたら教えてください。ああ、もちろん我々は素人です。

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はてな題詠「短歌の目」2017年2月

短歌の目2月のお題です - はてな題詠「短歌の目」

題詠 5首

1.洗

洗脳を受けて帰ってきた彼の熱狂ぶりがいたたまれない

2.鬼

空手家の盧山初雄ろうやまはつお、人呼んで「ローキックの鬼」。そんなことある?

3.入

入り口の見えない中を、手探りに奥へ進んで、顔を合わせる

4.チョコ

ネクタイを締め、スーツを着、お出迎え。靴と鞄はチョコレート色

5.きさらぎ

近づいて、遠ざかるまであと少し。きさらぎのねつ、うちにとどめる

テーマ「夢」

もう少し長く居れたら、真実になると信じる。こちら側こそ