定住より移動生活に憧れる

かつてノマドブームというものがあった。震災後の2011年頃だったと思う。当時はホリエモンも「出所後はノマドになりたい」と言って収監されたが、実際はならなかった。ノマドで名を馳せた人もたくさんいた。MGさんとかフォローしていたが、今頃はどこでどうしておられるのか、自分の記憶ではタイのチェンライを最後に消息を絶たれた(ネット上で)。

佐々木俊尚が5人の若者に聞く『21世紀の生き方』第1回「ノマド、シェア、そして家もいらないーー私たちはこんな生活をしています」(佐々木 俊尚) | 現代ビジネス | 講談社(1/7)

当時は世界一周ブームもあったかもしれない。世界各国を旅行して周りながら、仕事を続け収入を確保するデジタルノマドみたいなのが理想の生き方としてもてはやされた。憧れ、そうなりたいと思ったが、実際なれたのは限られた一部で、ほとんどの人はただの旅行者として終わった。もしくは仕事を探すために日本へ戻ったか、どこかへ定住して職についた。ノマド生活というのは実現の難しい夢として、儚く消えていった。

  • むしろやりやすくなった?ノマドライフ
  • 移動生活に憧れる理由
  • 理想の移動生活
続きを読む

両親に感謝の気持ちなんて持ったことない

これを読んでいて思った。

まあ、なんだろ、両親に対して人として感謝したことはいくらでもある。でもここで言われているのは、親として、産んでくれてありがとう、育ててくれてありがとうって意味だよな。そういう感謝の気持ちは全くない。子を産むというのは親の選択であって、子の選択ではない。だから産んでくれてありがとうとは思わない。育ててくれたことに関しては、そりゃ義務だろと思う。人として当たり前だろって。産んだのに育てないのが責任放棄なだけであって、育てるのは普通だと思う。スティーヴ・ジョブズが里子に出されたとき、里親になる条件として「子供を大学に行かせること」だったらしいが、ジョブズが大学に行けたことについてはジョブズ本人も実の親も里親に感謝することはない。だって里親になるための条件だったんだから。

親の愛みたいなものは、それなりに受けて育ったほうだ。それでも上に貼ったようなことは一度もなかったし、もっと言えば生まれてきてよかったと思ったことがない。生まれたから仕方なく生きている感じはものすごくある。「死ねよ」って思われるかもしれないが、例えばポンと10万円もらったとして、わざわざ捨てないでしょ。「10万とかもらってもなー」と思いながらちびちび使うか、パーッと使うか、いずれにせよ使う。くれた人が「その10万は大事に使ってくれ」と言ったら、それなりに大事に使う。自分の命はその程度のものに思える。

生まれてから今まで一度もいいことがなかったという意味ではない。それなりにいいこともあっただろう。でも生まれてきたことそのものがよかったかと言えば、よくはなかった。生まれてしまったからには生きているが、仮に生まれるかどうか選べたとしたら、おそらく生まれなかった。理由はやっぱり、生きるのが大変だから。「そんな人生楽しい?」とか「何のために生きてるの?」とか色んな人からよく言われる。親からも言われてきた。そんな人生です。

芥川龍之介の河童という小説に、以下のような部分がある。

父親は電話でもかけるやうに母親の生殖器に口をつけ、「お前はこの世界へ生れて来るかどうか、よく考へた上で返事をしろ。」と大きな声で尋ねるのです。バツグもやはり膝をつきながら、何度も繰り返してかう言ひました。それからテエブルの上にあつた消毒用の水薬で嗽うがひをしました。すると細君の腹の中の子は多少気兼でもしてゐると見え、かう小声に返事をしました。

「僕は生れたくはありません。第一僕のお父さんの遺伝は精神病だけでも大へんです。その上僕は河童的存在を悪いと信じてゐますから。」

 バツグはこの返事を聞いた時、てれたやうに頭を掻いてゐました。が、そこにゐ合せた産婆は忽ち細君の生殖器へ太い硝子の管を突きこみ、何か液体を注射しました。すると細君はほつとしたやうに太い息を洩らしました。同時に又今まで大きかつた腹は水素瓦斯を抜いた風船のやうにへたへたと縮んでしまひました。

これを読んだのは確か高校生ぐらいの頃だったと思うけど、すごくいいなと思った。

河童

河童

あなたの幸せは10点満点で何点ですか?「世界しあわせ紀行」感想・書評

何故こんなにも不幸なのだろう。お金がないから?将来が不安だから?恋人がいないから?家族がいないから?そもそも自分は不幸なのだろうか。不幸とは、幸福とは一体なんだろう。何が基準で、誰が決めるのだろう。

そんな幸福と不幸にまつわる疑問を解き明かすため、アメリカのラジオ局に勤めるジャーナリスト、エリック・ワイナーは世界中を駆け巡った。

  • 幸福を科学的に研究するオランダ
  • 幸福水準が高いと言われるスイス
  • 幸福を国是として掲げるブータン
  • 天然ガスの恩恵にあずかり巨万の富をほしいままにするカタール
  • 北欧の福祉国家アイスランド
  • ヨーロッパの不幸代表モルドバ
  • 微笑みに種類のあるタイ
  • 生まれつき幸福への疑いを持っているイギリス
  • 矛盾を抱え予測不能なインド

ざっと9ヶ国、そして最後にアメリカ国内で別の州へ移住する人を取材している。それぞれの国に住む人たちを訪ね、「あなたの幸福度は10点満点で何点ですか?」と聞きまわる。理由を訊ね、背景を調査し、あらゆる角度から「幸せとは一体なんなのか」の解答を得ようとしたのがこの「世界しあわせ紀行」だ。

この本は「幸福について真剣に学ぶ旅」がテーマになっているが、40代のアメリカ人ジャーナリスト的視点で、ユーモアと皮肉が満載になっている。ありとあらゆる学術論文のデータ、哲学者の言葉が引用され、ふざけながらも信憑性があるように書かれており、読んでいて飽きない。

  • 住んでみたい国
    • ブータン人の死生観
    • アイスランド人の職業観
  • 訪れてみたい国
    • スイスの大自然
    • モルドバの不幸
  • 結局人を幸福にするのは?
  • あなたの幸福は何点ですか?
続きを読む

「手が綺麗」と言われても

人の外見にはあまりこだわらないほうだと思う。以前にある人と映画の話をしていて、好きな女優はいないと言ったら

「好きな女性のタイプとかないんですか?」

と聞かれた。「それって見た目の話ですか」と聞いたらそうだと言われ、「外見なんてセックスできるかどうかの基準にしかならないからどうでもいい」と答えたら笑われた。

今まで付き合った人は、見た目もタイプもばらばらだった。顔、身長、体型、服装の系統など、見た目の好みがない。似合っていればいいと思う。胸の大きい人が好きとかそういうのに強いこだわりもない。外見は全部表層でしかない。内面が表に出ていることもあるけれど、それだったらやっぱり内面を直接ぶつけ合うことのほうが多かった。

なんでそんなに外見を重視しないのか考えてみたら、自分の外見が良くないからかもしれない。外見に対してコンプレックスを持っているとかそういうことはないけれど、自分の外見(雰囲気や言葉遣いや態度も含めた第一印象)を悪く言われたことしかなかった。人を見るときに外見をあまり見ていなかったから、自分の外見にもこだわらないのか。どっちが先というわけでもなく両方なのだろう。ただ僕自身は外見よりも中身がもっとひどくて、結果的にとった行動は「コミュニケーションを取らない」という方向だったが。

それはともかく、僕が今までに唯一褒められたことのある外見は、「手」だった。「手…?」という感じだ。手なんか褒められてもしょうがない。しかしこの「手がきれい」と言われるのは小学生の頃からずっと続いていて、男性から冗談で「手だけ貸してほしい」と言われたこともある。「手」にこだわるなんて、吉良吉影か。

実際「手フェチ」という言葉はあるが、「手さえ良ければいい」なんていう人には会ったことがない。「顔がタイプならいい」「背が高ければいい」「胸が大きければいい」という人はいるが、「手に欲情する」なんて話は聞いたことがない。いくら手を褒められたって、手がくっついている外見全体が重視され、手は所詮付属物でしかない。だから「手がきれい」なんて言われても「無理して褒めなくていいんですよ」としか思えない。なんで俺は「手」なんだ!

ここまで言っておきながら手を見せないのはどうかと思い、手の写真を探していたら以前にダニに噛まれたときのがあった。

続きを読む

本を読まないといけない

「世界しあわせ紀行」を読んでいる。なんとも自分に似つかわしくない本だ。幸せのことなんて考えたことないし、興味もない。なぜこれを読もうと思ったかと言えば、ノンフィクション作家である高野秀行が推薦していたからだ。本の説明書きにも「高野秀行氏推薦!」とちゃっかり書かれている。その推薦文をどこかで見たはずなんだけど、Google検索しても出てこない。確か高野秀行氏のブログで見たような覚えがあるが、ブログ内検索は機能していない。高野秀行氏は小学館ノンフィクション大賞を受賞してからかクレイジージャーニーに出てからか、そこら中引っ張りだこでブログを更新されなくなった。楽しみにしていたファンからすればなんとも嘆かわしいことだが、代わりにTwitterへ頻繁に投稿されている。本はアジア納豆以降は出版されておらず待ち遠しい。

辺境・探検・ノンフィクション MBEMBE ムベンベ

高野秀行(@daruma1021)さん | Twitter

今日はほぼ一日中「世界しあわせ紀行」を読んでいた。休みだったのだ。毎日休みみたいなもんだが、部屋から一歩も出ず着替えもせずに本を読んでいた割には読み終えられなかった。長い本だ。400ページほどあって300は読み終えた。まだまだ長い。一日中と言ってもずっと読んでいたわけではなく飯を食ったりスマートフォンをいじったりしていた。引きこもりですね。今日は本当は(?)外へ出て写真を撮りに行く予定だったのに、寒くてやめてしまった。今日が特別寒いというわけではないのにもかかわらず。いつもは雨が降っていると外出しない口実ができて「雨だししょうがない」と納得できるのだが、今日はそういうわけにもいかない。しかし気づけばもうこんな時間(午前1時)だった。「世界しあわせ紀行」は思っていたほど幸せではなく、おもしろいです。感想書くかどうかは未定。

世界しあわせ紀行 (ハヤカワ・ノンフクション文庫)

世界しあわせ紀行 (ハヤカワ・ノンフクション文庫)

なぜそんな一日中本を読んでいたかって、何も本好きだったり引きニートだったりするからじゃない。昨日ハヤカワSFセールで買い漁ってしまってせっかく消化しつつあった積ん読が倍に増えたからだ。「世界しあわせ紀行」は図書館で借りた本だ。返却期限が迫っている。そして新たに予約していた本が回ってきてしまった。「肩をすくめるアトラス」という本で、めちゃくちゃ長い。これはもう読むのあきらめようと思っている。他にも図書館で予約中の本がたくさんある。買った本も含めてとてもじゃないが追いつかない。とにかく期限のある図書館の本ぐらいは読み終えてしまいたい。

借りたものはすぐ返さないと気が済まない症候群なのだ。というのは、忘れっぽくて借りていることすら忘れてしまうからである。若い頃は借りっぱなしのDVD延滞料金何万円とかの夢を見ていた。実際には数百円で済んだが、悪夢のトラウマと化してしまった。今となってはDVDレンタルという業態そのものが廃れてしまったが、図書館に手を出してしまったせいで「すぐ返さないと気が済まない症候群」再発である。物を借りるのに向いていない。

もう一冊借りている本があった。カズオ・イシグロ著の「充たされざる者」だ。これは人に借りているから具体的な期限はないものの、早く読まないといけない。人に借りた本は2週間で読んで感想を言うぐらいのことはしないといけないと勝手に思っている。なのにもう手もつけないで一週間が過ぎた。「充たされざる者」はかなり分厚いため、あと一週間で読み切れそうもない。それ以外にもマンガを10冊ぐらい人から借りていて読まないといけない。どれから手を付ければいいやら、あーなんでこういろんなタイミングが重なるかなー。

ハヤカワSFのKindle版がセールだって

ここ見て知った。

以前から読みたいと思っていた本がたくさんあったのに、つい買うタイミングを逃していたハヤカワSF。この機会しかないと思って買い漁った。SF初心者の僕が買ったのは以下。

  • グレッグ・イーガン
  • 1984
  • カート・ヴォネガット
  • 泰平ヨン
  • 人類補完機構
  • セール対象は他にも多数
  • 既に読んだやつ
続きを読む

どこにいてもしっくりこない

今までいろいろな場にいたり、何かに属していたことがあるけれど、どこにいてもしっくりこない感じがずっと続いている。なんかそういう居場所を求めているようなことはないんだけど、こうもしっくりこないもんかね。場にそぐわない感じ、馴染めない感じ、これってなんなんだろう。自分以外がどうなのか知らないが、どこにいてもなんか違うなーってずっと思い続けている。考えていることが違うし、言っていることが違う。思想が違う。そういうもんなんだろうと思いつつも、こんなにもずっと違和感を抱き続けて生きていくのだろうか、とも思う。

もともと存在する団体や組織なんかに所属するときには、それなりの空気に合わせようとする。ある程度把握して合わせないことには、所属もままならない。しかしやはりそこには、心の底から乗っかれないことが多くて、中途半端に片足だけ踏み込んでいるようで居心地が悪い。そして違和感が大きくなるとやはり、耐え難くて抜け出してしまう。それがわかっているから、なるべくなら無駄な過程は省こうと、出来る限りは足を突っ込まないように心がけている。やる前からわかりきっていることを試みるなんてバカな真似をするのは、最初の何回かだけだろう。

そういうわけで、場であったりも自前で用意したほうがいいんじゃないかと思い、発起人になることも何度かあった。しかしそれはそれでうまくいかない。まず偏りすぎていて人が集まらない。もうちょっと範囲を広げたら、初めに想定していた場と全然違うものになってしまって、出来上がったものを見てなんじゃこりゃと思うことが多い。それでも責任を感じて違うなりに続けようとするが、自然に崩壊しますよね。それぞれ向いている方向が違うんだから。人が集う場合には、全部が全部は無理だけどある一定の理念なり目的を共有するところから始まるはずなのに、うまくいかない。見ているものが違う。

なんなんだろう、やっぱり各々の目的を第一優先して、場の共通項みたいなものはそこそこにとどめておけばいいのだろうか。つくづく共同体は難しい。本当に向いてないと思う。簡単に言えば、話が合わない。誰とも合わない。合わせようとするってことは、合わないっていうことだ。極めて薄い共通項があったとしても、その背景や根本があまりにも違うために表面的なやりとりにしかならない。違和感しか無い。だから会話としては、お互い違う者同士だと認識した上で探り合うほうが成り立つ。そういった会話はそれ以上の発展性がなく、前提からして異なっているため共同作業も何もない。

一人なんかな。一人なんだけど、求めるものが一致するってことは本当に全然全く無いんだなー。

「ルポ 貧困大国アメリカ」はえげつなかった

歴史上の昔と比べたら、世の中は少しずつ確実に良くなっていると言われる。飢餓や疫病は減り、奴隷制はなくなり、パンとサーカスに例えられるコロシアムの殺人ショーはルールに基づいたスポーツに取って代わり、ギロチンのような公開処刑も先進国ではなくなり、人権の概念が生まれ、社会福祉の概念が生まれ、あたかも世の中は良くなっているように見える。本当だろうか?『暴力の人類史』という本があり、僕は読んでいないけれどスゴ本の人は「本書の嘘を暴く」とレビューしている。

おめでたいアメリカ人『暴力の人類史』: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

  • 奴隷大国アメリカ
  • 時給200円の不法移民
  • アルバイト生活の大卒
  • ビジネスと化した医療
  • ビジネスと化したアメリカ軍
  • 民営化が産んだ奴隷制
続きを読む

「バフェットの財務諸表を読む力」の要点をまとめた

株式投資関連本ということで「バフェットの銘柄選択術」に引き続き、「バフェットの財務諸表を読む力」を読んだ。ファンダメンタル投資を行うにあたり、財務諸表が読めないと話にならない。しかしこの財務諸表の読み方を取り扱った本というのが、意外と少ない。経理目線や経営者目線で数字の読み方を書き表した「決算書の読み方」というような本は山ほどあるが、株式の購入を検討する人向けの財務諸表の見方を解説した本は、全然見かけなかった。たまたまブックオフに置いてなかっただけかもしれない。

「バフェットの財務諸表を読む力」を書いたのは前回同様メアリー・バフェットとデビッド・クラーク、共にバフェットの元で学んだ人たち。「銘柄選択術」が2002年に出た本で、「財務諸表を読む力」は2009年だから、リーマンショックを迎えやや新しい内容になっている。それでもバフェット流の根本的なところは変わらない。「銘柄選択術」ではバフェットが選択する市場独占型企業とは何か、その判断基準や見分け方などを解説していた。

今回の「財務諸表を読む力」でも同じく、永続的競争優位性を持つ企業を、財務諸表を手がかりに見つけ出す方法を述べている。財務諸表の各項目を拾い、具体的にどのような数字が該当していればバフェット銘柄として買い対象に挙げられるのか。58項目にわたり、理由なども含め一つ一つ細かく解説されている。例としていくつかの購入基準をここにまとめたい。理由や解説を読みたい人は、本書を購入してください。

  • 損益計算書
    • 粗利率 p53
    • 販売費及び一般管理費(SGA)率 p56
    • 減価償却費率 p66
    • 支払利息 p68
    • 純利益 p81
    • EPS p83
  • 貸借対照表
    • 現金及び短期投資 p99
    • 棚卸資産 p101
    • 土地及び生産設備 p110
    • 長期借入金満期 p134
    • 長期借入金 p138
    • 自己株式調整済み負債比率 p146
    • 内部留保 p156
  • キャッシュフロー計算書
    • 資本的支出 p176
続きを読む