週刊Letter from Kyoto

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  • 思い出すことの喜び、思い出せないことの哀しみ
  • 女の人をとりあえず褒める
  • ゴミの話
  • 出世と評価について
  • 遠くで汽笛を聞きながら
  • 宮根誠司を見ていて
  • 前の会社の話
  • 週刊連載「海外旅行」
  • 今週の日記
  • 今週の写真
  • 今週のInstagram

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思い出すことの喜び、思い出せないことの哀しみ

地元を歩いていると、ある時鮮明な記憶が呼び覚まされることがある。幼い頃の記憶というのは基本的に忘れてしまっているが、何かのきっかけで当時の情景や出来事が思い出せれば最近起こったことよりもはっきりと思い出せる事が多い。幼い頃の記憶というのは、まるで箱にしっかりと保管されているようだ。箱を見つけるまでは姿形もわからない。しかし箱を開ければそこには記憶が風化しないまま当時の形で残っている。

僕は地元を歩いていたわけではないが、何故か小学生の頃の友人を思い出したのだ。そして6月に日本に帰った際、彼が実家を継いでいるという話を耳にした。彼の実家は飲食店だった。それも大通りに面しているわけでもない、住宅地の中にあった。僕は子供の頃、まだ友人になる前からその店を知っており、客として行ったこともあったが、あまり繁盛している様子は伺えなかった。それが25年以上前。今でも続いているということは、とにかく成り立っているのだろう。店というよりは出前が主流だったかもしれない。しかし、このご時世で出前を取ることなんてピザ以外にあるだろうか。

僕はその彼の家に小学校1年生から中学2年生ぐらいまでの間よく通っていた。よく、というほどではないが、何度も足を運んだのは間違いない。だから、その道をはっきりと覚えている。僕の家から、彼の家に辿り着くまでの道程、歩いてほんの15分から20分、当時僕は毎日自転車で移動していたから自転車で10分ほどだっただろうか。Googleストリートビューなどなくてもはっきりと思い出せる。そしてそれは、当時の記憶でしかない。今の景色は多少変わっているだろう。そりゃあ25年も経って変わっていないはずはない。僕の頭の中で25年前のままなだけだ。幼い頃の記憶は鮮明なのだ。

そんなことを考えていると、トロントに来た当時の事を思い出す。今とは全然違う心境だった。僕は日本から来たばかりで旅行者気分だった。その後すぐに学校に通うことになった。今みたいにバイトもしていない。当時は極寒の冬で、住んでいた家も違う。人も違う。まだ1年も経っていないが、あの時の気持ちとはもう全然違う。それは慣れであり、同時に飽きでもある。だからあの時が懐かしくもある。新鮮さに満ちた日々、新しい発見に満ちた日々、同居人、家のにおい、生活形態、全て特殊だった。でも僕は、今だからそうやって思い出せるものの、もう幼い頃ほどの鮮明な記憶力を持っていない。この記憶というのは今後、いつまでたっても見つけられない箱にしまわれ、そして箱を開けてもその雪景色や、街の匂い、人の温度など感じ取れぬまま風化してしまうのだろう。

そうやって日々記憶が薄れていくことに対し、僕はどうしようもないほどの侘びしさを感じる。自分がその当時抱いた感情や、築いた関係、音や映像、匂いとともに全て風化し、初めから何もなかったかのように思われるのが残念でならない。
このまま年老いると、僕はその記憶力の低下からくる寂寥に耐えられないかもしれない。記憶が無いということは、もはや何もないのと同じだ。思い出せないということは、体験しなかったことと同義に値する。だから僕は躍起になって写真を残し、ビデオを残すのかもしれない。しかし撮った記録というのは、その枠内に限られている。

女の人をとりあえず褒める

最近バイトを始めて、バイト先の人間関係みたいなものが出てきた。バイト先は日本人ばかりなんだけど2人の雇われマネージャーがカンボジア人カップル。他にキッチンが男性3人、女性2人、サーバーが女性5人ぐらいだろうか。彼らは全て日本人だ。
一人は以前に同じ家に住んていた男で、元々仲がいいというか知り合い同士だから唯一タメ口でお互いくだらない話をしていたりする。

他に、サブマネージャーみたいな日本人の男、彼もワーホリなんだけどこの店のオープンからいて僕らのトレーニングもやったり、歳はちなみに僕の一個下だ。彼はなんというか、キツイ人ではないんだけどどちらかというとナヨナヨしながら怒る感じだ。普段は普通の兄ちゃんだ。日本にいる彼女がこっちの大学へ来るらしく、彼自身もこのラーメン屋でワークビザを狙ってるとか。写真が趣味だと言っていたから僕は振ってみたりするけどあまり乗り気じゃない。嫌われているのかもしれない。

あと皿洗いで雇われている男性がいる。彼も僕の一個下で、ただひたすら下ネタとか変な空気の発言をしている。以前はもうセクハラの域に入るギリギリなんじゃないかというところまで来たが最近は周りがネタに流している。彼の発言集としては

「まあ女の人も食いたいんですけどね」
「したいんですよ」
「女の人も性欲とかってあるんですか?」
「AVとか見る男性ってどう思いますか」

最後にこの店の店長、なんとカンボジア人、めっちゃいい人だ。歳は35行かないぐらいだろうか。カナダには10年住んでいるそうだ。ここでワークビザをもらっているのか永住者なのかは知らない。かなり真面目で、めちゃくちゃ働いている。休み無しだ。僕らが仕事終わる頃に一日の経理の仕事をしに店に来る。そして毎日ミーティングが行われる。結構話が長い。仕事の話以外はしない。いつかシアヌークの話をしたい。

それ以外は女の人だ。いろいろいる。キッチンで僕を指導みたいなのしているのがゴツめの女の人だ。いつも僕に対してめちゃめちゃ切れてくるから、今日

「大学生ですか?」

と聞いたらなんと27だと言われた。

「見た目若いですね。22、3だと思ってました」

などどいう会話をしておいた。ありがとうございますと言われた。22、3で大学生だと留年か浪人だ。どうでもいいが僕は一浪している。

別の女の人にも同じようなことがあって

「私いくつに見えますか?」

って聞かれたから無難に21とか答えたらガッカリされてしまい、アレ?と思ったら

「私子供に見られるの嫌なんです」

その人は26だったかな、忘れた。そして僕は別の日に「私服かわいいですね。仕事着と全然雰囲気違う」と穴埋めを図ったら「ええ?そうですか〜?」とまあそのへんはこんなもんでいいだろう。

あと、同じくカンボジア人の店長のパートナーであるカンボジア人の女性がいる。彼女はいつも表情が険しいのだが、あまり話したことがない。顔は思いっきり東南アジアの顔だ。一度休憩室で一緒になり彼女は帰るところだった。彼女は毛皮みたいなジャケットを羽織っていた。僕は

「それ君のだったんだ。すごくゴージャスだね」

みたいなことを言った。"Thank you"と返ってきた。英語でgorgeousっていうと単に華麗なとか壮麗なというような意味で、金持ちそうとは直接ならない。

一体何をやっているかというと、とりあえず女の人を褒めまくっているのだ。これは僕が会社員の時に学んだことだ。別のチームにいた40歳のチーフだったが、とにかく女の人を褒めまくっていた。取引先の人や、社内でも40台以上の人に「お綺麗ですね」とか言うのだ。若い子に対しては普通に「可愛いねー」みたいに接している。これが本当に物事を円滑に運んだ。彼は当然仕事もできたんだけど後輩や部下に対してもめっちゃいい人だったし、彼のちょっとふざけたところが嫌いだという人もいたが、大体の人から好かれていた。特に彼をよく知らない取引先の年配の女性なんかにはてき面なのだ。

僕は彼みたいに「お綺麗ですね」などとはとても言えない。ただ、自分が本心から思ったこと、それが褒める内容であればなるべく口にするようにしている。「若く見える」だとか「服が可愛い」とか、特に女の人に対して、男の人に言うのはちょっと気持ち悪い。

とりあえず社会人の間に人から学んでいた事を知らない間に少しずつ実践しているのだった。そう、これ無意識なんだ。無意識にやってた。どっか褒めてやろうと思って探したりはしていない。だから、後で気づいて「何やっているんだろう俺は」と思ったりする。まるで会社員みたいじゃないか。一人ギレン・ザビに似ている女性がいて「ギレン・ザビに似てますよね」って何度も言いそうになる。向こうは絶対に知らないから。

ゴミの話

トロントでは、各家の前に3種類のゴミ箱が立っている。市の指定かなんかのゴミ箱があり、そこに入っているゴミを週1で各種類ごとに回収にくる。種類は、可燃、不燃、生ごみ。日本では行政の指定のゴミ袋が一般的だが、こっちはゴミ箱だった。これは有料なのだろうか。ちなみに今の家はゴミ袋を指定の曜日に道路においておけばそのまま持って行ってくれる。袋はなんでも良い。ただ、やはりゴミ出しは面倒だ。忘れることもある。

この、ゴミがなくなることはないのだろうか。ゴミとか掃除とか、そういうのがなくなることってないのだろうか。早くこの過程を無くして欲しい。綺麗に見える生活も、裏では大量のゴミを生み出している。そしてそれは誰かが掃除し、誰かがそのゴミを処理する。そういうアナログなサイクル、嘘騙しの作られた綺麗さの元に成り立っている。チリが積もらなくなる床とかホコリが発生しない空間の維持とかできないのかな。そういうのがまだ無理だったとしても、チリやホコリからくるゴミは別として、限りなくゴミをゼロに近づけることはできないのだろうか。再利用とかそういう形で、生活で使っているものを全てリサイクルするというような、原点回帰の方向で。

そうなると、自然に返る素材を使わないといけない。化学繊維ではなく、木綿や麻など。食品は簡単だ。容器を使い回して素材だけ買えばいい。しかし、その容器やナイロンの袋など、ボロボロになったらどうしても捨てざるを得ない。そこでゴミが発生する。これはどうも避けられそうにない。

やはりゴミを発生させない生活というのはかなりハイテクを要するというか、未来の話であり、もしくは原始の過去ならできていたことだ。これだけゴミが増えたのは産業革命以降なのだろうか。ゴミの歴史とか漁ってみれば面白いのかもしれない。面白くはないか。

出世と評価について

僕が会社員の時に感じたのは、成績とか成果とか結果というのは5割ぐらいが運で決まるなあということだった。技術とか努力とか人柄とか実力って確かに人を評価する上で大事だと思うんだけど、これらは残念ながら結果とは直接連動していない。

自然な流れとして、まず評価を与えられた人間が結果を約束されたポジションを与えられ、数字を伸ばすということがある。これは事前に評価ありきだ。おそらく同程度の実力があれば誰がやっても結果が出るポジションで、一定の結果を残すことによって評価の地固めがされる。多分出世するとはそういうことなんじゃないかな。

つまり、人の評価というのはそういうなんとなくの部分、具体的な基準というより「こいつなら任せられるかな」という確かでありなんとなくの言葉にするのが難しい部分で成り立っている。これをもし数字で評価してしまうと、半分を運で評価していることになる。どちらが公平か、公正か、しかし人物評価ではなく収入となると数字で評価される。

チャレンジの場、トライアルの場が与えられても結果が出せないことはあるだろう。それは実力がないこともあれば、運が悪かったということもある。半々だと思う。運が実力の内と言われるのは、そういう舞台を物にできない、環境などを上手く持っていけない日頃の関係や備え、根回しなどが多少なりとも影響する。実力や才能がある人以外は、そういう努力でカバーできる部分を必死になって行う。そこがキーではないが、結果的にそこが物事の進捗を補強してくれることはある。

僕のことをよく庇ってくれたというか、よく面倒を見てくれた上司の人が

「お前も早く出世したいだろう。次はお前らの代だぞ」

みたいなことをよく言っていた。僕はその当時会社を辞めるつもりではなかったが(辞めようと思ってから2ヶ月ぐらいで辞めた)出世には興味がなかった。そもそも僕はお金に興味がなく、使い道がなくて年に2回も3回も海外旅行をしていたぐらいだ。だいたい人の上に立つ柄でもない。仕事はむしろ嫌いだ。そして遅い。トラブルにも弱い。責任は負いたくない、これ以上仕事が増えるのも嫌だった。

僕と同じ世代の人は大体同じことを、つまり「出世に興味がない」と言っていた。出世意欲の無い若者なんてネットのニュースでも見たことがある。家庭があったり子供が居てお金が必要になってくれば話は変わってくるかもしれないが、どうなんだろう、必要以上のお金というのはそれが基準になって意思決定を促したりするのだろうか。たくさんお金が貰えればそれで良いというわけではない。そりゃあ多いに越したことはないだろうが、その分労苦が重なるとなれば僕は少ない方を選ぶ。それはやはり、昭和と違う部分なのではないかと思う。戦後の昭和はお金が全てだった。

僕自身はお金の価値をあまり重く見ていない傾向が強い。その、最低限を満たしていればの話だが、だいたいそのあたりはカバーしていた。僕は入社2年目の年収が450万円だった。そこから毎年減っていき「あれ、これもしかしたら上がらねえぞ」なんて思っていた。むしろ減っていった。僕と同期入社した人たちは今順調に年収500万プレーヤーになっている。家を買って車を持って子育てをしている人が多い。彼らはたいてい共働きだ。起業した人などを除けば、まだ誰も管理職には就いていない。

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遠くで汽笛を聞きながら

冒頭の話と少し被る。僕がトロントへ来て1週間ほど経った頃、やしきたかじんの訃報をネットのニュースで見た。そしてやしきたかじん追悼としてたかじんのバーがyoutubeに上げられていた。その回は、やしきたかじんと高校の同級生であった堀内孝雄がゲストで出ており「遠くで汽笛を聞きながら」を歌っていた。


歌は16:30ぐらいから

悩み続けた日々が、まるで嘘のように忘れられる時が来るまで
心を閉じたまま暮らしてゆこう。遠くで汽笛を聞きながら
何もいいことが無かったこの街で

僕はこの曲を何度も聞いた。トロントの冬の凍てつく寒さの中、自分の部屋でMacにイヤフォンを刺して何度も聞いた。やしきたかじん追悼の気持ちもあったが、この曲が気になったという事もあった。この曲は自分の親世代が若い頃の曲だ。上京の歌だろうか。時代背景が感じられる。ライブ映像やCDの音源、他の番組で歌っていた物などもyoutubeで見たが、このたかじんのバーで歌っている映像が一番良かった。

同時に、たかじんと鶴瓶が1時間話すだけの番組もyoutubeに上がっていた。これも10年以上前の放送だと思う。ここではやしきたかじんが「ゆめいらんかね」を歌っている。この頃僕は毎日朝早く、家から遠い語学学校に通っていた。毎日雪が降り、歩行が困難なほどだった。僕はこの「ゆめいらんかね」をiPhoneで聞きながら雪の上を歩いていた。


歌は57:30頃から

わけも知らずに取り残された。思い出と私ふたりきり
呆けた男が優しい女を、あれからずっと探してる
優しい女は知らんかね 優しい女は知らんかね

正直なところ、僕はやしきたかじんも堀内孝雄にもそれほど興味がなく、思い入れもない。この二つの曲を聞いたのもこれが初めてだった。そして僕にとってこのふたつの曲は、トロントの凍える冬を連想させる曲になってしまった。あの時僕が、雪や生活に対して持っていた感情、空気を一緒に思い出すことができる。それは決して楽しいものではなかった。辛く苦しいが、新鮮で新しい匂いのする、暗い歌詞が僕の日常生活に重なった。若いころの青い気持ちを思い出すのに似ている。

宮根誠司を見ていて

フリーになりブレイクしてフィーバーしたあと危うい感じの宮根誠司さんですが、僕にとって彼は「おはよう朝日です」の人だった。「おはよう朝日です」とは関西でやっている朝の番組だ。めざましテレビみたいなあれ。当時から宮根さんは朝のニュース番組なのに宮根誠司の芸能なうという芸能レポーターみたいなことをしていた。母親がそれを毎朝見ていた。欠かさず見ていた。僕はその姿を見て「芸能ニュースを見て喜んでいる人間にだけはなりたくない」と思った。親をバカにするわけではないが、むしろ親だからこそバカにするが、芸能ニュース見て喜んでいる奴はクソだと思っていた。今はそうでもない。ただ僕がテレビとか芸能の分野に興味が無いだけで、例えば同じテレビでも僕が好きな映像の世紀とか彼らからすればクソ面白くもないだろう。理系の人からしてもそうだろう。

とにかく僕が宮根誠司をみて思い出すのは芸能なうとそれを見る母親の姿なのでした。

前の会社の話

僕は今いい年してバイトをしているんだが、同時に前の仕事についていろいろ思い出す。戻りたいということは全くないが、僕は別に前の職場が嫌いだというわけではなかった。単に働くことが嫌いで、なのに超ハードワークで(サービス残業月100時間とかだったが世の中にはそれ以上に忙しい人がいるのは知っている。僕にはとてもじゃないが無理だ。)あと会社組織というか機構というか集団の中にいることが辛く、またそれを基本とした社会に僕は合わせられなかった。僕が入ったのは元々体育会系の会社だった。入った頃はそうでもなかったが、景気が悪くなったり社長が変わったりして元の姿に戻った。

これが1年以上前のエントリーだ 

職場の人たちは基本的には嫌いじゃなかった。お客さんや同僚の中にはとんでもないバカや関わりたくない人たちはいたが、それは仕事だし、いい人もたくさんいて人間関係が上手くいかずに辞めたいとかそういう風に思ったことはなかった。職場は半分が女性で、実際僕が好意を寄せていた人もいた。

僕自身は目立たないようにしていた。大きなトラブルを抱えることもなく、損害を与えるわけでもなく、その代わり大した成果もない。会社は毎日が事件みたいな騒ぎだったから落ち着く暇はなかった(休日にもバンバン携帯が鳴る)。そういう空気がピリピリしていた場所なので僕の事を覇気がないとかいけ好かないと思っていた人だっているだろう。

僕の前の仕事については以前に詳細を書いたが、毎日パソコンと電話に向かっていた。パソコンではメールのやりとりが多く、手続きもメールで行われることが多かったため1日100件以上は処理していたと思う。他にワードエクセルを用いた報告書や提案書の作成、ネットを利用したリサーチなどを毎日行っていた。電話では進捗確認や質問、お客さんとの相談、トラブルの解決やアポイントを取ったり。外出もだいたい毎日していた。現場に向かったり人に会ったり市場調査をしたりしていた。

お客さんは大体外資の人だったから、担当者も入れ替わりが激しかった。若くして超エリートの人たちが入れ替わり立ち代わりしていた。僕は、僕が働いていた会社は、そんな彼らから仕事を受けて、彼らが上司や投資家へ提出する提案書をほぼ毎日作っていた。

「パフォーマンスを上げるための提案が欲しい」

と毎日言われていた。そしてその提案にはもちろん根拠となるデータや数字、意見が必要となり、それらをかき集め、

「データによるとこうだから、こういう改善策はいかがですか?コストはこれぐらいかかりますが、データから導き出した予測では何ヶ月目からは現状よりもプラスに転じます」

というようなやりとりを繰り返していた。

不動産投資の仕事だったため、様々な家やマンションを見た。中には月120万とか200万とかするような高い部屋もあった。また、マンションオーナーの自宅や会社に伺うこともあった。金持ちの家っていうのはこういうもんなのか、と思った。家だけではなく車や装飾品、家具から犬まで。でもこの人達は金持ちになってこういう物を得るために頑張ったんじゃないんだろうな。こういう家とか車とかって、おそらく後から付いてきたものなのだろう。遺産とかも含めこの人達はあるべくしてこうなったのだろう。

社内の会議が多かった。社内の会議ではだいたい毎回怒られていた。基本的には利益の事しか言われなかったが、僕はそのノルマというか、会社から与えられているバカげた数字に達することがほとんどなかったため「どうするの?」みたいなことを延々と聞かれた。その都度僕は

「こういうことを考えています。今こういうことをやっています。これが実れば到達する見込みです。」

などという嘘ではないが、自分なりの対策を毎回用意して発言しては

「できるの?これおかしくない?詰めが甘くない?これわかっている?」

などという突っ込みでズバズバと切り裂かれていた。まあ事実達成しなかったことの方が多かったからこれは僕が悪い。会議なんかてきとうに切り抜けて達成している人も中にはいた。しかし僕を含め大抵は目標数字に到達しなかった。毎回。

外部とのミーティングも多かった。社内よりもこっちの方がシビアで悲惨だった。僕は何度も怒鳴りつけられたしクソミソにけなされた。僕個人に対してだけではなく、会社に対する不満も全部僕に投げかけられた。それはそうだ。僕が窓口だったのだから。でもそういったことを僕が解決できるわけもなく、僕が出来る範囲を説明したりすればキレて

「上司を出せ」

と言われることも多々あった。上司はもちろん現状なんて把握していないから僕が一から説明し、僕も含め平謝り、そうやって契約解除された案件もいくつかった。もちろん、僕自身の落ち度もたくさんあった。怒られるのが仕事みたいなもんだった。

そんなこんなで僕は毎日夜8時からレッドブルを飲んで仕事を再開したり、終電が終わった帰路を歩いて帰ったり(近くに住んでいた)、その途中にある陸橋から身を投げることを思い浮かべたり、家に帰っても何も食わずビールだけ飲んで寝て朝になると出勤して、そういう生活を送っていた。毎日頭痛があり、神経過敏で、眠気と吐き気を伴っていたが、社内はともかくお客さんの前では「面白い人」「関西人ってみんなこんな感じの冗談言うんだ」みたいな態度をとっていた。まあ相手によるが。

病んだというよりは、合わなかったのだろう。今もあそこで元気に働いている人たちはたくさんいる。何の不満もなくというわけではないだろうが、意気揚々と明日への希望を持って、世のため人のため会社のため、家族のため、みんなあくせくと働いているのが現実だ。僕はそれができなかった。6年以上勤めはしたが、結局、やはり、できなかったという結論だ。かといって何か違うことができるのか。僕には何もない。何もできない。そうやって今に至る。ただ思い出しただけで大したオチが見つからなかった。

とにかく僕は、世の中が悪いとか会社が悪いとか思っていたわけではない。実際僕は以前たくさん文句を書いたが、それを理由に、誰かのせいにしようなどとは思っていない。やはり僕が悪かった。仕事ができなかったし、組織に適応できなかった。それだけの話。

週刊連載「海外旅行」2

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前回の続き

空港の外も、中と変わらずがらんとしていた。照り返す日差し。やはり暑い。この国の人は先程の民族衣装を除けば半袖ばかりだった。半袖で過ごす気温だ。飛行機の中が寒かったため羽織っていたシャツを脱ぎ、僕は上半身Tシャツ1枚の姿になった。

目の前に広がるのは荒野と山。緑もなくはないが、この辺りで作物は取れないだろう。あの山への距離はどれぐらいなのだろうか。登れるものなら登ってみたい。それにしても高い。この距離感のせいもあるのかもしれないけれど、何かこう、反対側の面そのものを感じさせる大きさだ。

周りには通行人が一人、この通行人はポロシャツを着ている。やはり先程の民族衣装だけではなくこの国でも洋服を着るのは定番なのか。税関もさっきの女の子も洋服だった。タクシーが一台、フォードのタクシーだ。アメリカ資本が入っているのか?太平洋上の国だからそういうことがあっても普通か。他に空港の警備員だろうか、制服のようなものを来た人が一人いるだけ。しかしこの制服に関しては、洋服ではない。民族衣装には違いないのだろうが、先ほどのおばさんとは雰囲気が違う。どこかやはり威圧的で、警備員っぽいから警備員だと思ったんだ。
僕はタクシーに乗ろうと思ってタクシーの方へ歩いて行った。中でドライバーがシートを倒し寝ている。

「あのー、すみません」

アメリカ資本が入っているならい英語だったら通じるかもしれない。

「Excuse me」

運転手は完全に寝ていた。どうやら酒を飲んでいたらしい。匂いでわかるしボトルもある。ラベルはなんだか先ほどの渦の文字で読めないが、ウイスキーのようなボトルだ。とにかくこのタクシーには乗りたくなくなった。僕は前方を山にして左手の方向へ歩き出した。ちょうど空港に沿って歩くことになるが、その空港の土地との境界が曖昧だったりする。塀などはない。どこまでが公営の土地なのだろうか。そもそも土地で区切ったりしているのだろうか。しているよなそりゃ。空港あるし。

荒野を歩いている。道路はない。前方に見えるのは荒野。結構な距離で何も見えない。ただひたすら歩く。一応野宿ぐらいはできるだろう。水もある。ただまっすぐ歩くだけ。誰もいないんだからしょうがない。空港にいた通行人は一体どこへ向かったのだろう。
歩いているとたまに街頭や標識がある。何かの目印なのだろう。意味がわからない。もしかしたら「こっちに街があるよ」みたいな標識だったのかもしれない。でも読めないからわからない。とりあえず僕は歩き続けた。僕は普段から歩き慣れているんだ。特に外国ではなるべく歩くようにしている。空港などを除けばあまりタクシーにも乗らない。

少し疲れたがまだまだ歩ける。しかし、もう2時間は歩いただろうか。途中、石の間から草が生えいてるのが増えてきて、地面がだんだん良い地面になってきた。荒れ地から徐々に草が生えだしてきている。さっきから気になっていた。そのまま歩いていると、前方に見えてきた。あれは、車道だ。あそこから明らかに車道た。タクシーがいたんだから車道ぐらいあって普通だよな。しかし、突然道が現れて驚いた。普通道路はどこかに繋がっているか、家の前で終わっているか、こんな形で突然途切れるのは初めて見た。他にもそういう場所があっておかしくない。工事中だったりするのだろう。そう思うと普通だ。それにしても道路が現れ、なんかゴールが近い気がしてきた。このまま進めばゴール。ゴール?俺のゴールってなんだ?

続き

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今週の日記

日記といえば天気、気温だ。トロントの最近は割りと暖かい。11℃前後だったりする。そのかわりというか、少し雨が多い。いい天気にはあまりならない。しかしもう冬の装いが目立ってきた。今でも半袖Tシャツの人はいる。だいたい1日1人は必ず見かける。その傍らでダウンベストを着ているような人もいる。

最近は図書館のネットが本当にひどいため、あまり行かなくなっている。図書館へ行ったからといって何するわけでもなくただネットを見ているだけなんだけど、それをティム・ホートンでやることが増えた。そしてその分出費も増えた。飯を食うサイクルが狂っているため、夜中にたくさん食べたりしていた。今のラーメン屋は一応チャーシュー丼がまかないで出るものの、僕はそういう緊張した場所であまり食事が進まない。そしてティム・ホートンでドーナツを食ったりするんだ。あの砂糖の塊のような。

バイトについて今回書いたが、僕はとりあえず今の店に居続けるみたいだ。どうやらトレーニングで一時的にいるわけではないらしい。そして先週2人クビになった。こっちは本当にクビになるのが速い。その決断が速い。僕は店が嫌なわけではなく、本当に働くのが嫌だからできれば早くクビになりたい。同時に、クビになったらもう次の仕事を探すなんてしたくない。そうなると金がなくなり自動的に日本に帰らざるをえなくなる。

日本に帰らず今すぐにでもオーストラリアに行くというのもいいかもしれない。オーストラリアに行ったところでどうせ働かないといけないのは同じだが、気分転換にはなるだろう。物価はオーストラリアのほうが高い。その分最低時給も高い。大学生の頃にしていたコンビニのバイトのように、超楽なバイトないんだろうか。そういうのがしたい。常に何か動いていることを求められたり無駄話一切無しだったりスピードを求められるような仕事はしたくない。そんな職場ここにはないんだろうか?

今回2日更新を休んでまとめて一つのエントリーにしてしまったが、どうやらこれは失敗だったような気がする。次回からは普通に更新しよう。本意としては、週刊誌のような形式にしたかった。まとめてたくさん記事があれば、どれか一つは見てくれるか、もしくはどれか読むついでに他のも読んでくれるかと思った。しかしブログには向かないようだ。

今週の写真

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CNタワーを中心としたトロント市街。今週撮った写真ではないです。

今週のInstagram

http://instagram.com/p/uENqbRBvF8/

今週の写真と分ける意味あるのか。tiffでキューブリックの特集やるらしくて気になる。