クセのある、個性の強い店員苦手話

昔から、いわゆるクセのある、個性の強い店員が苦手だった。そういう店員がいる店にはなるべく行かないようにしている。バーや飲食店、服屋、雑貨屋、コンビニでもそう。関わるのがめんどくさい。僕は店の人に自分のことを覚えられたりするのが嫌だから、そういう接客も全部避けていた。店の人と仲良くなったりしたくない。店員には無機質、無味乾燥であってほしい願望がある。なんなら自動販売機でいい。人間味を求めていないどころか、ないほうがいいとさえ思っている。AI店員最高。物を見なくていいならネット通販でいい。

詳しかったり手際が良かったり、店員の機能として優れているのは大歓迎なんだけど、本人の色であったり意見だったり、個性を出してくると「おまえのそんな話は知らねえよ」と思ってしまう。コミュニケーションを求めていない。そういうの求めている人もいるとは思うけれど、それってもうキャバクラでしょ。個人ありきの接客とか。個性を出すなら店員としてのキャラではなく、商品やサービスで出してほしい。

まあ美容室とか、そういうコミュニケーションありきの業態もある。そういう場でも、なるべくフラットでいてくれるとありがたい。自分もそんなにあれこれ話したい方ではないから、てきとうに話題を見繕ってその場のお茶を濁すのに苦労しなければそれで十分。当たり障りのない存在でいてくれたら助かる。会話のいらない美容室があればどれだけ楽か。客と店員という立場がある以上、何を話しても結局ビジネスでしかない、上辺の付き合いとなる。なくていいだろそれ、と思う方の客です。

そのへんの使い分け、見極めが上手い人は、店員として理想だと思う。求めている人には与えられて、求めていない人にはフラットに対応できるような。しかし、いわゆるクセのある個性が強い店員と言われる人は、我が強いのかそういうことをやらない人が多い。客を選ぶ店に選ばれない客です、はい。自分自身も人間ではなく客に徹したい。金を払う以上のことは何も求めない。

noteのフォロワーがはてなブログの読者登録を超えた

まさかはてなブログにこんな話題を投下することになるとは、冒涜である。それはともかく、はてなブログには読者登録というフォローボタンがあり、今このブログの読者登録者数は732人らしい。あれ、こんなもんだったっけ。多いのか少ないのかわからないが、ともかくこの数は実態が伴っていない。

732人の読者登録があるなら、ブログ更新するごとにもれなく732人のアクセスがある!というわけではない。実際のアクセスはそのほとんどがGoogle検索からのもので、その数もここ数年は目減りが激しく(更新頻度が極端に落ちていることもあるが)日に200もあればいいところだ。読者登録数はアクセスの保証にはならない。

自分も読者登録しているブログを更新毎に訪れるかというと、そんなことはない。限られた一部のブログを除いて。タイトルやヘッダー部分の内容でアクセスするか判断することもある。いずれにせよ、はてなブログの読者登録数は何の目安にもならないというのが自分の実感だ。長く続けていれば自然と増える。その中には既に現場にいない人たちが数多く含まれている。

そして、noteである。はてなブログからnoteへ、という話題をここ最近よく見かける。ご多分に漏れず、自分もnoteを利用して半年が過ぎた。特に人気が出たり、注目されたりコミュニティができあがったりすることはない。はてなダイアリーの頃のように、ただの日記を書いている。スキ!というハートが押されることは、記事ごとに1個、2個、主に直接の知り合いと奥さん。それ以外に宣伝のようなスパム♡が数個付く。コメントがつくことは滅多にない。

noteを続けているうちに、不可解なことが起きた。本当にここ1ヶ月のできごとだが、やたらとフォロワー数が増えた。noteにおけるフォローとは、はてブログの読者登録みたいなもんだ。読者登録と違うのは、noteのIDを持っていなくてもフォローできるところ。はてなブログの読者登録は、はてなブログの利用者しか追加することができないが、noteはそうではなく、それが一体どういう仕組なのかわからない。そしてnoteを書いていない人からのフォローが、どんどん増えていく。誰がフォローしているのかわからない。noteを利用登録しているIDからのフォローではないため、トレースすることができない。その数がついに、はてなブログの読者登録数を超えた。ここ1ヶ月で、9年近く書いてきたはてなブログの読者登録数を超えたのだ。ついでに13年続けているTwitterのフォロワー数も超えた。

これはどうもおかしい。はてなブログの読者登録と同じく、実態を感じない。リアクションは全く変わらず、スキ!を押す人は1〜3人、非フォロワーが通り魔的に押していく人を含めても5、6人、コメントはつかない。明らかに見ている人の数は2、3人。なぜフォロワー数だけが増えているのか。ミステリーである。誰かこの謎を解明してください。

note(ノート)

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ホーボー(hobo)について

アンダーザシルバーレイクを見ていたら、ホーボーサインなるものが出てきた。ホーボー、久しぶりに聞いた言葉だ。ホーボーとは、19世紀から20世紀初頭のアメリカで貨物車両に無賃乗車をして移動しながら、日雇いや季節労働者として働くホームレスの一種だそうだ。

ホーボーを初めて知ったのは、ジャック・ケルアックの「オン・ザ・ロード」だった。主人公はホーボーに憧れ、子供の頃「大人になったらホーボーになりたい」と親に言ったら怒られたとかそんな記述があった気がする。ホーボーはホームレスの一種なんだけど、一部で憧れの対象として見られている。Wikipediaには「ホームレスのサブカルチャーの一員」と書かれている。どういう意味なんだろう。日本のいわゆるホームレスが、憧れの対象になる話は聞いたことがない。なぜホーボーにはホーボーという特別な名前まで付き、サブカルチャーの一種と言われるのか。

ホーボー - Wikipedia

ホーボーが憧れの対象となる背景については「大陸を自由に移動するその姿勢が、アメリカのフロンティア精神を体現しているから」などといった記述があった。ジャック・ケルアックのオン・ザ・ロードは、アメリカ大陸を何度も横断する話であり、ある意味ホーボーを真似していると言える。ホーボーは無賃乗車だけど、ビートニクは車。ヒッピーカルチャーの元となるビートニク、またその元となったのがホーボーと言える。アメリカにおいてはそういう自由の体現者であったり、フロンティア精神とか移動する人たちが憧れの対象となる伝統があるのかもしれない。ホーボーを題材にした小説や映画もあるそうで、「北国の帝王」という映画は伝説のホーボーがテーマとなっている。

1930年代大不況下のアメリカを舞台に、職を求めて鉄道の無賃乗車で放浪を続ける浮浪者(ホーボー)と無賃乗車犯を追い払う車掌との対決を描く。

北国の帝王 - Wikipedia

このホーボーという存在・概念は、アメリカ文化の中でどれほど浸透しているのだろうか。ホーボーがいなくなったのは、アメリカが車社会になったからと言われている。列車が利用されなくなると、無賃乗車も何もない。アメリカと言えば車社会で、列車が主要な移動手段であった時代なんて、かなり前だ。にもかかわらず、2018年の映画アンダーザシルバーレイクにホーボーという言葉が出てきて、さもみんな知っているかのように使われている。アメリカ人はみんなその源流を知っているのだろうか。ホーボーがいなくなってからも、ホーボーのようなカルチャーはイージーライダーのような移動する者たちに引き継がれていく。自由と移動の体現者。僕がホーボーに惹かれるのは、それが現代で言うところのバックパッカー的だと思えるからで、根無し草への憧れが強い。

ホーボーについて書かれたページ

昔、「あなたの知らない世界」という番組があったと思いますが、逆にあなただけが知っていて他の人がほとんど知らないだろうと思われる世界 (分野・趣味など)はありますか?に対するJunichi Uozumiさんの回答 - Quora

ここではアンダーザシルバーレイクにも出てきたホーボーサインについて詳しい。

Hobo(ホーボー)

ホーボーについての一般的な説明。ホーボーバッグというものがあるんだな。

http://zip2000.server-shared.com/theroad.htm

ジャック・ロンドンを中心にホーボーについての記述。労働するホーボーに対して、働かない人はトランプと言うらしい。

ホーボーに関連する本

読みたい本を載せるだけ。本当は読んでから内容も含めて紹介すべきなんだけど、めっちゃ先になるからとりあえず。

読みたいけれど在庫がない。図書館にもない。ジャック・ロンドンの本でホーボーについて書いてあるのは少ないそうだ。

これはなんだろう、ジャケ買いしたいやつ。これも図書館にない。

とりあえず日本語で読めるものは片っ端からページをめくってみたいというだけ。

エリック・ホッファーはホーボーだったそうだ。

ホーボー映画

昔のアメリカ映画ではしょっちゅう貨物列車に無賃乗車していたそうだ。ジェームス・ディーンなんかが。

先程挙げた北国の帝王は、配信にはない。

明日に処刑を… [DVD]

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  • バーバラ・ハーシー
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マーティン・スコセッシの初期作だって。やはり配信にはない。

アメリカ以外でホーボー的な人たちと言えば、ロマになるのだろうか。迫害のされ方も似ている。ただ働き方、住み方、移動の仕方は全然違う。

「パターソン」を見た

2016年に見逃しておきながら、もっとも見たかった映画の一つであるパターソンを今更ながら見た。プライムビデオに入っていたので、プライム会員は今なら追加料金無しで見れます。

ジム・ジャームッシュ監督作品はこれまでにもいくつか見てきた。ストレンジャー・ザン・パラダイスに始まり、ダウン・バイ・ロー、コーヒー&シガレッツ、オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴなど。一時期Netflixにたくさんあり、その当時は恵まれていたなー(今はない)。ナイト・オン・ザ・プラネットもあったのに、見ておけばよかった。

さて、パターソンである。パターソンもそんなジム・ジャームッシュ映画だった。オンリーラヴァーズ的なやつではなく、初期の作品っぽい。なんかずっと、日常的なやりとりしている。パターソンは日常映画としての側面と、コメディー側面、アート映画の側面があると思う。僕はとにかくこの映画の街描写が好きだ。

見るべきものが何もない、アメリカの小さな町。旅行で訪れるにはあまりにも物足りない。しかし、この街の描写がものすごく良い。バスの車窓から見える景色、バスが走る街並み、バスの車内の様子、人が歩く道、家の中、バーの中、出会う人とのやりとり。ひとつひとつそのものはなんてことないんだけど、ここに住む日常の魅力を存分に映し出している。一生住みたいとは思わないが、ときどき一ヶ月ぐらい滞在したい。友達がいてもいなくてもいい。

内容は全然違うが、街生活映画としてはNetflixオリジナルドラマのマスター・オブ・ゼロにも近い。あっちはインド系のコメディアンを起用したもろコメディードラマだったけれど、パターソンのアダム・ドライバーはコメディアンではなく、もっと間を使った抑えた表現になっている。

刺激や感動を求める人には物足りない映画。でもパターソンを見ていると、パターソンにおけるパターソンの生活をずっと見ていたいと思える、そんな映画でした。この映画も見る前に予告は見ないほうがいいです。

パターソン(字幕版)

パターソン(字幕版)

  • アダム・ドライヴァー
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このタイミングでテラスハウスについて思うこと

これまで何度かテラスハウスについて触れてきたから、今回のことについても触れておきたい。木村花のことはとても驚いた。この番組でこういうことがあるとは、全く予想がつかなかった。というのも、番組内でもっとひどい扱いを受けてきた人が今までにいくらでもいたから。同期にも社長というメンバーがいて、もっとひどい誹謗中傷があったと思う。だから、この番組で今更こういうことが起こるなんて思いもよらなかった。

木村花について、初登場から見ていた。正直なところ自分にとっては印象の薄い人。番組を見る上で興味の対象ではなかったから、注目していなかった。最近の流れ(快が出ていくまで)において、アクシデントに見舞われた中心人物ではあったが、それでも自分にとってはどうでもいい話題を提供するだけの影の薄い人物だった。だから、わざわざ本人のInstagramアカウントへ直接誹謗中傷が飛び交っていたこと自体に驚いた。その熱意は一体どこから来るのだろうって。

僕は以前軽井沢編で雄大のことを茶化して軽くバズったことがあり、これも中傷って言われたらその枠に入るのかもしれない。言い訳するが、僕は番組の構成上そういう注目の仕方もアリだと思って書いていた(スタジオトーク、山チャンネルはほぼ"いじり"で構成されている)。僕が書いたものは番組でいじっていた内容をまとめた程度に過ぎず、当たり前だけどTwitterなりInstagramなりで本人のアカウントめがけて死ねだの云々暴言を吐いたことはない。

ただこのスタジオトークや山チャンネルが「そういうのもアリ」の空気を作り、誹謗中傷を助長させていたことは間違いない。個人アカウントをめがけた直接の暴言も、その延長上にあると言える。自分の書いたことを正当化したいわけではないが、番組内で許されていた「噂話程度」であったり「生暖かく見守る」範囲が僕はボーダーと思って乗っかっていた。そして僕のボーダーの観点からすれば、出演者の個人アカウント突撃は常軌を逸していると思う。誹謗中傷を野に放って絡まれるのを待つのはOK、直接殴りに行くのはアウト。

現実として、本人に向かって直接暴言を吐きに行く人はけっこういるらしい。悪意や敵意をもってやる人だけでなく、ストレス解消や暴言に称賛がつくことで承認欲求が満たされる人もいるとか。

今回の原因については、各所でいろいろなことが言われている。ソースは覚えていなけれど、ざっと挙げるだけで

  • 快の問題(連絡取れなくなったところまで)
  • 快に対する行動がネットで叩かれたこと
  • それに花自身が(社長のように)対処できなかったこと
  • プロレスの興行がコロナでなくなったこと
  • テラハ自体がコロナで中止になったこと
  • 制作側のフォローが至らなかったこと

コロナでプロレスの仕事がなくなったことも、精神的なダメージとして大きかったと思う。テラスハウスがなくなったことも大きい。これまでテラスハウスでは、メンバーがネットで叩かれても他のメンバーがフォローしたりしていたそうだ。しかしコロナで番組の撮影も共同生活もなくなり、誰もフォローする人がいなかったことも大きかったんじゃないかと言われている。他にも増田に考察があった。

いずれにせよ、テラスハウスは悪趣味だと思う。他人に対する興味の持ち方が悪趣味。校内の噂話と同じ。見世物小屋。でもみんなそれをわかっておもしろがり、わかって乗っかっていた。僕も同じ。僕はテラスハウス自体はそんなに好きじゃない。リアリティーショーという構造も好きじゃない。だったら見なけりゃよかったんだっていう気持ちが強い。僕は初回湘南編も軽井沢編もハワイ編もどのシリーズも最後まで見れなかった。そしてどのシリーズも、ハウス自体がだんだん病んでいくと聞いた。僕にとっての正解は、こんな悪趣味なものをおもしろがって見ないという選択だった。

これまでテラスハウスについて書いたもの

radiotalkに参加してきた

参加者を募っていたので。

https://crankyy.hatenadiary.jp/entry/2020/05/15/183046

と思ったら既に募集は打ち切っておられた。しかし、募集したものの全然応募が来なかっということなので、それならばと思って連絡してみたところ、あっさりOKもらった。内容は特に決めていないとか、無言でもオーケーとのことだったからハードルが低い。強いて言えば、これまでに交流がある人のほうが話しやすいとのことだった。僕は交流があったかというと、2014年頃にブクマをつけたことがあった。このへんとか。

当時の内容は、本人的にはもしかすると掘られたら嫌かもしれない。当時日記っぽい文章を漁って読んでいた。それで2014年に一度辞められたんだけど、5年ぶり?に復活したのでまた読んでいた。向こうが僕のことをどの程度認識していたかはあまりよくわかってなかったが、あっさり了承。で、radiotalkなんですが、こんな乱入機能ができていたなんて知らなかった。アプリさえ入れておけば、人のradiotalkに参加できる。参加方法はURLが送られてきて踏むだけ。ゲストを招くには便利だね。

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ヒトコトへの回答⑯

このブログではGoogleフォームからご意見などを頂いております。スマートフォンでページを一番下までスクロールしてもらえば出てくるアレです。それをときどき拾って回答してたりします。

59通目:今の仕事について

いつもブログ楽しみにしております。一つ質問なのですが、目標なくやってきたとの事ですが、今やられているお店は割と今までのスキルがいかせる仕事をされてるのでしょうか??

「目標なくやってきた」は、ここに書いた話。

今の仕事に、今までつちかったスキルが活かされているかという質問。まず、僕にはスキルがないから活かせるようなものはない。今までにスキルが身につくようなことは何一つ行ってこなかったと思う。なんだろう、強いて言えば、外国人が買いに来たときに英語で2,3時間会話しても平気、というぐらい。でもこれは仕事のスキルには程遠い。自分が今まで学んだことって全部サワリの部分だから、仕事になるレベルではない。

だいたい自分は、全く新しいことをしたいと思うことが多い。今までの経験を活かしたり、スキルを積み上げていったりすることに興味がない。同じことばかりやっていると飽きるから、今まで全然知らなかったようなこと、やらなかった分野に足を踏み入れて遊ぶ感覚。もはや仕事ではないなー、やっぱり本質的に仕事嫌いなんですよ。勉強も嫌い。ダメな言い草。

そして今までやらなかったこと、その最前線が今はレコード。僕は楽器できないし、音楽もくわしくない。レコードなんて当然聴いたことも触ったこともなかった。たまたま手に入るルートがあり、今の店で売っている。自分でも聴いてみようと思い、メルカリでプレーヤーを買った。30年以上前の製品を5,000円ほどで。レコードを集めている友人がいて、開店祝いにミキサーをもらった。音楽はいまだによくわからないけれど、なんとなく触れてみるとおもしろい。そんな感じで最近は毎日レコードばかり聴いています。

これまでのヒトコト、回答をまとめました。

そんなに映画が好きじゃないのかなあって

子供の頃から、小学校に入る前の幼児期から映画を見ていた。映画館によく通っていた。数を見てきた方ではないけれど、ずっと映画好きだと思っていた。少なくとも平均よりは。ここにもよく映画の感想とか書いたけれど、自分はあまり批評的な見方をしたくなくて、それは映画に限らず小説とかも同じで、批評は人の話を聞く分にはおもしろいから、それで十分かなあと。映画批評も文芸批評も、読み物としておもしろい。文庫の解説とか必ず読んでしまう。ただ自分では、そういう見方をしたくないだけ。だって映画の批評しようと思ったら、少なくとも2回は見ないといけない。同じ映画を何度も見るのは、本当に好きな作品でないとつらい。小説も同じ。あと、批評的な見方だったりおもしろさをやり始めてしまうと、もう気楽に鑑賞できなくなるというか、低俗な娯楽として消費するのが困難になってしまう。

それはともかく、映画があまり好きじゃないと思ったのは、最近全然見ていないから。ひろゆきが「毎日1本映画見ろって言われても全然平気」と言ってたが、僕は無理だった。今はそれぐらいの時間があるのに、週1本も見ていない。好きな人は1日に何本も見ている。僕にはそんな体力がない。映画好きか否かは数ではないとも思うけど、時間があるから「じゃあ映画見よう」となっていないのは、そんなに好きじゃないからなのかなー。かと言って、他に何するでもない。ドラマも見ていなければ、本も読めていない。アニメを時々見るのは、何も考えなくていいアニメだけで、自分はとてもじゃないがアニメ好きとはいい難い。写真も撮っていないしなー。外出を控えているからってのもあるけど。

大学生の時とか、あと3年ぐらい前の時期は、1日に2本とか映画見ていた。小説も、毎日読んでいる時期はあった。今はそういうタイミングじゃないだけなのかもしれない。映画好きかっていうと、まあそこそこ好き、ぐらいは言えるか。

じゃあ自分は一体何が好きなんだ。今の時期、ひとりでも喜んで、前向きに取り組めていることってなんだ。毎日時間を費やしても飽きないことは。そんなもんはなかった。そこそこ好き、以上に好きなもんなんて何もない。

お題「#おうち時間

目標を立てずに、候補を立てる

なにか一つの仕事なり決まりきった物事を達成するために、計画を立てたり目標を立てたりすることはある。けれど、個人的なことついては、そういうことをやらない。やったことがない。いつもなんとなくやってきた。

たとえば、去年に禁煙を始めた。今11ヶ月続いており、もうすぐ丸1年になる。きっかけは健康診断を受けるためだったかな。もう少し込み入った事情はあったけれど、大したことではない。禁煙を始めるにあたり、少しずつ減らしていったり、禁煙するための本を読んだりセラピーに通ったり、代替嗜好品を用意したりするわけでもなく、ある日突然やめた。それが今まで続いている。

どうしてもやめないといけない事情はなく、いつ再開してもおかしくない状況だった。タバコを吸っている夢を何度も見た。タバコ吸いたいと思うことは何度もあり、その都度どうするか考えた。最初のうちは、お酒を飲むと喫煙を誘発するためお酒を控えた。そしてタバコを吸わない分、食べて気を紛らわすことが多くなった。喫煙の機会がある場所や、喫煙者と会うことを避けた。禁煙がつらいことを意識しないでいい環境を作るよう心がけた。そういう場当たり的な対応を続け、今のところうまく行ってる。

今となってはお酒も飲むし、人が隣でタバコを吸っていても平気だ。レコードを仕入れている市場はおじさんばかりで、喫煙率90%ぐらい。常に誰かがタバコを吸っている。禁煙を始めた当初にここへ来ていたら、きっともたなかった。すぐ喫煙を再開していたに違いない。でも禁煙が数ヶ月続いた後に通い始めたおかげで、喫煙が誘発されることなく今に至っている。

これはもう意志の力とか、習慣の力ではない。場当たり的な対応のみ。まあ、スケジュールを決めて禁煙する人なんていないと思うけど、とにかく計画や目標みたいなものを意識せずに何かするほうが、自分には向いている。アレをやろうって決めて取り掛かるのは、僕には無理だ。勉強や筋トレ、ダイエットとかもそう。目標を立てて計画的にやろうとすると失敗する。

人生計画も、今まで全く考えたことがなかった。受験の半年前に理系から文系へ移った。就職は、やりたいことがないから年間休日が多い会社を選び、片っ端から受けた。業界も職種もバラバラだった。12月頃から始めて6月頃に終わった。それらがうまくいったかというと、必ずしもそうではない。

ただ自分は人生において、およそ夢らしきものを持ったことがないから、現実として目標を立てることもかなわない。仕事のように人に与えられた目標だったら、もしかすると計画を立て、実行できたかもしれない。けれどそんなものはやりたくないし、人に与えられた目標を追いかける人生なんて、自分の人生とは言えない。よく、人の喜ぶ顔が見たいとか、人に喜ばれるのが好きっていう人がいて、そういう人は誰かが喜んでくれるだけで頑張れるのかもしれない。僕はそうじゃない。誰が喜ぼうと自分には関係ない。

年間の目標、今年の目標といったものも、多分立てたことがない。気の向くままに、思いついたことがしたい、場当たり的に過ごしたい。準備に時間がかかることって、あんまりやってこなかったな。何年も勉強して資格を取るとか、そういうことに興味が持てなかった。目標設定をせず、計画も立てないまま何年も続けることはあり、そっちのほうが向いている。効率悪いけど。

計画的に物事こなして目標をクリアしていく楽しさ、っていうのがあるんだろう。そういうの楽しめる人はやればいいと思う。僕は時間が経つと飽きる。あと共同作業だったり、自分一人で行わない場合において計画や目標があったほうがお互いやりやすいと思う。情報の同期がしやすくなる。でも僕はそういことはやらない。

サラリーマンを辞めてから今まで、30歳で退職したから6年になる。その間、計画や目標というよりは、候補を立てて過ごしてきた。何をするかの候補。辞める時点でカナダ、オーストラリアへ行くこと、ボランティアへ行くことは候補にあった。とりあえずビザを取ってカナダへ行き、途中で延長して次のオーストラリアのビザを取り、帰国してからはボランティアを受けたけど落ちて、受かって、帰ってきたら6年過ぎていた。ボランティア中、帰国してから店を始めることを候補に入れていた。今やっている店だ。

他にいくつか考えた候補もあった。

  • カナダで進学する→勉強が嫌すぎてパス
  • オーストラリアで長く働く→やりたくなくてパス
  • 日本で就職する→やりたくなくてパス
  • 日本でシェアハウス兼ゲストハウス→糸口が掴めず保留
  • 東京に引っ越し→アテがなくてパス

残った候補を選んで今に至る。基準は興味があるかどうか、実現性があるか。去年の11月に、オーストラリアで知り合った子が店に来てくれた。彼女はもともと日本で働いていたが、今はシドニーの大学で学んでいる。僕と知り合った頃は、大学入学へ向けてお金を貯めていた。彼女は向こうの大学で学ぶことがめちゃくちゃ楽しいと言っている。勉強も海外生活も、何一つ負担とは思っていない。

僕はオーストラリアが好きになれず、勉強が嫌だからそういう候補を立てなかった。もし彼女のような心持ちであれば、向こうの大学へ進学することも可能だったのかな。興味がない難しい。それだけでなく、現実として楽な方へ楽な方へ行っていることは否めない。さして努力が必要ない候補を選んでいる。

結婚についても、僕は全く目標も計画性もなかった。結婚するっていう選択がもともと自分にはなかったから当然なんだけど、まさに場当たり的に結婚したと言える。1年経ったが、特に何も変わっていない。

言いにくいんだけど、知り合いに人生プランを全部考えている人がいる。20歳で何をして、30歳で何をして、っていうのを死ぬまで全部計画を立てるやつ。あれは昔孫正義がやってたことで話題になり、飛びついた人たちがこぞって真似をした。孫正義なら80歳までの自分が考えたプランに沿って行動したり、計画を修正しながら実行できるかもしれないが、他の人はどうだろうか。というか、今でもやってる人はいるのだろうか。

計画を立てることが無意味だとは思わない。有用性はこの文章の中にもいくつか挙げた。ただ自分は、自分の人生において、目標も計画もうまく扱えないという自覚がある。自分にとっては無意味どころか、やりもしない出来もしない目標・計画を立てることが、かえって妨げになることのほうが多い。そういう僕みたいな人間は、早く目標・計画型の手法から外れたほうがいいのではないか。

世の中において、目標を立て、計画的に行動することが、絶対正義のように扱われている。というか、やって当然、アタリマエのこととして。世の中全体を良くするためには最も効率的であり、汎用性も高く、必要なことなのだろう。ただ僕にとってこの手法は功を奏したことがない。合わない手法だ。だから僕は、目標を立て、計画的に行動することが善とされる環境で生きていけない。僕は目標や計画ではなく、候補を立てて場当たり的に過ごしてきた。

目標を立てても達成できず、計画を立てても実行できないまま、失敗の感情や、無力感、無能感をつのらせ、ストレスで自棄になるぐらいだったら、始めから立てないほうがいい。目標も計画も、絶対正義などではない。

無糖炭酸水も歯に悪いって、マジかよ…

そんなこととは知らずに、寝る前とか夜中目覚めたときとか普通に飲んでたわ。これからは1日1本ペースで飲むとか寝る前に飲むとかやめよう…。

お問い合わせあった 炭酸水を 調べてみました – お砂糖博士®の情報発信サイト

上は市販されている炭酸水のpH値測定結果。2015年のものだけど、今もそんなに変わりないだろう。pH値がアルカリ寄りの飲料は豆乳とか牛乳らしい。でももっとpH値の高い飲み物があった。それは…ジンです。

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ただ僕はジンのアルコールが分解できない体質なので、寝る前に飲んでしまうと翌朝必ず二日酔いになります。

アンカットダイヤモンドを見た

Netflixオリジナルの映画、アンカット・ダイヤモンドを見た。アトロクでも29tizuでも取り上げられており、暇だからどうせならラジオで感想を聴ける映画を見ようと思って。一応予告を貼っておこう。

予告を見てもらっても何の映画なのかさっぱりわからない。この映画に関しては、本編を見始めてもどういう映画なのか全然わからない。主人公は、どうやらニューヨークを拠点とするユダヤ人の宝石商のようだ。いろんな人が出てくるんだけど、素性が知れない。物を売ったり買ったりお金を預けたり借りたりしている。いつも誰かに追われている。借金取りらしい。そして何やら、オープニングに出てくるブラックオパールを取り巻く物語のようだ。

この映画がどういう映画なのか、全部見た上で一言で言ってしまえば、「ダメな奴がやらかしてしまうのをずっと見守っている映画」。ダメな奴とはアダム・サンドラー演じる主人公のハワード。そのダメな奴と言っても嫌な奴のほうで、嘘つきまくり、変なところで運があって金持ってる、けど借金しまくり、口先だけは上手い、いわゆる何も出来ないタイプのダメな奴ではなく、世渡り上手でのし上がってきた嫌な奴の方。典型的なユダヤ人のイメージなのかもしれない。そういうダメな奴が、ついに行き詰まってやらかしてしまいそうになるのを2時間15分ずっと見守っている映画。

僕は見るのがめっちゃしんどい映画だった。「とにかく落ち着け」と言いたくなる。「全員落ち着け」と。特に競売で値段を釣り上げているシーンなんかは見ていられず、一度中断して休憩を入れた。この映画は緊張感のあるハラハラするシーンがずっと続く。そう言ってしまえばいいように聞こえるが、この映画におけるハラハラするシーンは、スリルとかアクションとかではなく、不安なのだ。それも、ダメな奴がやらかしてしまう不安。それを2時間ちょっと見せられるんだから疲れる。おもしろかったと言えばおもしろかったけど、僕は苦手です。もっと緩急あるか、平穏な作品のほうが好みだ。

不安の中には主人公ハワードが、いつ殺されてもおかしくないという緊張感もある。とにかくウザイ人だから、出会う人出会う人あちこち全員から恨みを買う。本人は多分ずっとそうやって生きてきた感じでお構いなし。気付いてないのだろうか?それすらも楽しんでいる感じに見える。バスケ選手を紹介した黒人とかに対して、なんでこんな態度取れるのかわからない。殺されてもおかしくない。不倫相手の女性には、なんで好かれているのか全くわからない。いつ裏切られてもおかしくないと思って見ていた。

ハワードの一挙一動は何もかもがギャンブルで、なんか変な自信を持っているけれど全く根拠がない。だから見ていて不安になる。そういう文字通り綱渡り映画でした。この映画で学んだことは、アメリカのユダヤ人はNBA狂だってこと。

アンカット・ダイヤモンド - Netflix

お題「#おうち時間

読ませる仕組み、読まれる構造への違和感

ブログごっこみたいなものやってきて、今更だけどやっぱりそういうのは向いてないなと心底思う。今はnoteでも書いているけれど、そっちは営業っぽいマガジンを別にして、完全に日誌スタイルに戻した。やっぱりその方がしっくりくる。読ませる文、読まれることを意識した文章って、自分はやっぱり読みたくないんだよな。特にそれが情報だったりすると避けがち。noteにおいてもそういう営業スタイルがはびこっていて、ほぼ読む気がしない文章ばかり。

自分がはてな匿名ダイアリーを好んで読み続けるのは、読まれることを意識していたとしても、それが「おい、ちょっと聞いてくれよ」程度のもので、あとは完全に個人の駄文でしかないから。そういうものだけ、ついつい読んでしまう。そういう読み物ではない書き物が好きで、そういうものは近年見つけにくい。玄人ぶった鼻につく文章か、商業主義丸出しの文章ばかり。文句言うなら金出して好きな本を買えっていう話なんだろう。

YouTubeも同じで、金儲けを意識して作られたような営業スタイルのYouTubeは2秒で閉じる。だったらドキュメンタリー番組見てろって話なんだろうな。クオリティを求めるなら。いや、僕が本当に求めているのは、大学のサークルの悪ノリの延長のような素人感、そういうクオリティです。ウェブコンテンツが金になる前はそんなのばっかりだったから。こんな事言うとまた老害の懐古になる。

つまり、金にならないサービスはおもしろい可能性ありです。はてな匿名ダイアリーしかり。あそこでいくら受けようと一銭も儲からない。noteがおもしろくないのは、金を生むからどうしてもカス寄りのコンテンツがはびこってしまう。YouTubeも同じ。わかりますか、この水曜どうでしょうのサイコロは1〜3までがおもしろかった、という感じ。

まあでも大半の人は現状の儲かるコンテンツに金を払っているわけで、僕の言ってることとは真逆の行動をとっているから僕がこんな事を言っても「はぁ?何いってんの?」という感じなんでしょう。とんちんかんなのでしょう。だって僕が受け付けないものが世で受けているんですから。

いや、なんだろうね、タイトルに戻ると、はいどうぞって読み手に配慮して与えられたものは、味気ないというか。僕は料理とかでも、見た目にめっちゃ気を遣っているのは苦手だったりする。見た目が悪くとも、おいしければいい。そのハードルを下げる感じ、お客に配慮する感じがあまり好きじゃない。もっとそのまま出ているものがいい。そのまま出ているからこその味わいがあって、そういうのを欲しているのだと思う。飾り気のない、下心のないもの。

だからそういう、読み手を意識した巧妙なテクが散りばめられているような文章だったりYouTubeって、それ自体が作品のクオリティを上げる要素でなければ享受したくないのであります。だって、金がほしいだけやん。別に欲しがってもいいだけどさ、そんなの見たくない。要するに、ウケを狙って作られたコンテンツを見て喜ぶ低俗な連中と一緒にすんな!

「ホドロフスキーのサイコマジック」を見た

映画館で見る予定だったが、今はどこも開いていない。開いていても行けない。そんな中UPLINKがオンデマンド配信してくれた。4/24から先行上映、寄付も込めての72時間1,900円から(映画は1時間44分)。早速見た。

今回の映画はドキュメンタリーで、ホドロフスキーがこれまで行ってきたサイコマジックを紹介するという内容。冒頭でサイコマジックとはなんなのか、という説明から始まる。

  • サイコマジックとは
  • そんな映画!?
  • サイコマジックを受ける人
  • サイコマジックで何が起こるのか
  • ホドロフスキーにしかできない
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