転売ヤーが問題になっているけれど

最近PS5が発表され、予約の受付も開始された。11月発売だそうだ。それに向けて、転売ヤー対策に躍起になっているかと思います。ニンテンドースイッチのときも、転売ヤーが問題視されていた。転売ヤーが買い占め、高額な釣り上げ転売が相次ぎ、公正な値段で消費者の手元に届かないといった問題。

よくわからないんだけど、これって転売ヤーから買わなければいいだけではないの?転売ヤーは自分が使うわけでもないのに定価でたくさんの品を手に入れ、高額な値付けをしてメルカリ等で売りさばく。でも買い手がつかなければ転売ヤーは大損する。損すれば転売なんて行為は続けられなくなる。

なぜ高額な商品をわざわざ転売ヤーから買うのか?食料品のような生活必需品ならまだしも、ゲームなんて市場に出回るまで待てばいいだろう。大金はたいて転売ヤーを育てる行為をやめれば、転売ヤーは在庫をかかえていずれ定価もしくはそれ以下で売り払わなくてはいけなくなるし、それまで待てばいいだけではないのか?

転売ヤー対策が難しいと言われているけれど、買わない対策はダメなのかな?転売ヤーが成立するには高額で買う人の存在があって、彼らはなぜわざわざ転売ヤーから高額商品を買うのだろう。転売ヤーを育てたいのかな?

転売ヤーからは買わない、定価以上では買わない、では済まない話なのかな。必要なもんでもないでしょう。

追記。こういう匿名ダイアリーがあった。

売れてから買うから、転売ヤーにリスクはないそうだ。ただまあ、高値で買う人がいなければ成り立たないのは同じで、転売ヤーをなくしたければ転売ヤーから買わないければいい。定価以下で市場に出回るのをただひたすら待ちましょう。

また、この内容が正しければ、転売ヤーを潰したければ転売ヤーから買いまくってキャンセルしまくれば(支払いしない・返金を確保していれば)、リスク無しと思われてた転売ヤーは損しまくって自滅するんじゃないかな。転売ヤーが購入してからでもキャンセルするうまい方法はあると思うので、よく考えましょう。まあわざわざそんな労力をかけてまで転売ヤー潰しをやる人がいるとは思えないけど。

帽子は体の延長

夏は終わったけれど、今年の夏はマスクつけっぱなしだったため、サングラスはほとんどかけなかった。それ以前に外出がめちゃくちゃ少なかった。夏は例年、外出時にサングラスをかけていた。しかし今年はマスクをしていたため、マスク+サングラスがあまりにもごちゃごちゃして、顔の前がごった返していたからサングラスをつけるのをやめた。毎年の通り陽の光は眩しかった。

ただ、帽子は被っていた。帽子は室内に入っても被ったままで、わざわざ取ったりしない。サングラスはどちらかというと室内では取る。帽子は日よけの意味もあるんだけど、それ以外に寝起きでボザボザの髪をなんとか抑えつける役割を担っている。だから、室内に入ったからといって帽子を取ってしまうと、寝起きの状態の髪をお披露目してしまう。そんなに望ましくない。だから、室内でサングラスは取っても帽子はなるべく取らない。

このように、帽子は非常に便利な代物なのだ。被っていれば髪型を気にしなくていい。髪の乱れを気にしなくていい。朝起きて髪のセットをしなくていい。髪を直さなくていい。現代のサラリーマンは帽子を被るわけにもいかないけれど、僕は今自由業だから年中帽子を被っている。夏はアドベンチャーハット、冬はニット、ここ2年はそんな感じ。

野球帽は被らない。持っていない。あと中折れ帽も一応持っているけれど、ほぼ被らない。ハンチングは大学生の頃は被っていたけれど、今はあまり。夏でも綿のニットを被ったりしていた。とにかく大学生の頃から帽子は愛用していた。高校は私服だったけどさすがに被ってなかったんじゃないかな。覚えていない。

旅行中にも帽子はいい。寒い地域だとニットは欠かせないし、日差しの強い地域は帽子でも被っていないとすぐ熱中症になる。自分にとって帽子サングラスはファッションなんかではなく、実用だった。帽子サングラスがないとつらい地域なんて、世界中にいくらでもあった。むしろかっこつけてられない。帽子は体の一部とまでは言えないけれど、髪型の延長ぐらいは言ってもいい。

昔夏用のストローハットを人からもらって、めちゃくちゃ型崩れしてしまって使えなくなったのが悔やんでいます。もったいない。

ゾゾゾの裏面で話題の新作を見た

心霊スポット突撃YouTubeチャンネル、ゾゾゾの新作が話題になっている。ゾゾゾは #29tizu の怜人さんが紹介していて知った。ゾゾゾについてはゲスワニコラボ企画で、怜人さんが全話レビューをやっていた。ゾゾゾ本編を全部見たあとに聞くとおもしろい。

http://4682s.com/01/2020/08/30/409/

さて、ネット上でも騒がれており公開から2日?で50万再生行っている噂の映像はこちら。

ゾゾゾの映像は後で問題になって消されることもあるから、早目に見ておいたほうがいいかもしれない。普段のゾゾゾは10分だったり15分だったり、長くても20分前後なのが今回は47分もある。Twitterでやたらと話題になっており、見てみた。

何だったんだろうこれは?いつものゾゾゾと同じで、幽霊が映っているとかそういうことはない。ただ噂の場所を訪問するだけ。怖いかっていうと、よくわからない。それよりも、何なんだろうこの映像は。ぜひ、後編をやってほしい。

ここからは映像のネタバレを含めた感想。まず最初に、今回みたいに関連人物が出てきたり噂の出どころをたどっていく構成って、限りなく「ほんとにあった!呪いのビデオ」的だなと思った。これまでのゾゾゾでは、ただ心霊スポットと呼ばれる廃墟を訪れてカメラを回し探索するだけだった。今回は、心霊スポットに落ちていた写真から、その写真の家まで訪れる。家は空き家と判明して、別の場所に住んでいる家の所有者に連絡を入れ、家の所有者に会って軽くインタビューのようなことまで行っている。今までにない長丁場の展開だ。

所有者より家の鍵を借りて、再び現場を訪れる。しかし、現場はどうも聞いていた話と食い違う。写真は「家を売るために撮った紹介用の写真」とのことだったが、家の中は当時の生活感が残っている。また、家の持ち主だった家族の遺影が机の上に置かれている。物件は「売り家」の看板もなく、家の中は生活感が残ったまま、机の上に遺影が放置されているなんて、とても売る気があるとは思えない。

そして、家の二階の違和感のある間取り。あとから増築されたような押入れと、二階の物置に放置された仏壇。まだ入っていない部屋があるのだろうか?また、写真に手書きされていた「高垣」という名字。所有者もその名字に思い当たるところがなかった。

さらに、最後まで映像を見た人が一番違和感を覚えた、死んだ弟とは全く別人の遺影。なぜ弟ではない人物の遺影が、両親の遺影と重ねて置かれているのだろう?彼が「高垣」なのだろうか?なぜ写真が遠く離れた新潟の心霊スポットの神社に捨てられていたのだろう?

怖い怖くないとは別に、わからないことが多すぎ。この映像は一体何だったの?と思ってしまった。続編を期待しています。

ゾゾゾは本も出しているみたいです。

読むゾゾゾ

読むゾゾゾ

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お彼岸って何の日?

お彼岸については何も知らない。彼岸があの世を指すこととか、春分秋分の日であるとか、その日に墓参りに行くことぐらい。彼岸花はこの季節に咲くのだろうか。この手のことを僕は人生で一度も気にかけたことがなかった。よってお彼岸の思い出もない。一度Wikipediaを覗いてみよう。

浄土思想でいう「極楽浄土」(阿弥陀如来が治める浄土の一種、西方浄土)は西方にあり、1年の内で2度、昼と夜との長さが同じになる春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりである。昼夜・東西が平行になるお彼岸の時期には、「あの世」へのゲートが開くといわれてきた。現在ではこのように仏教行事として説明される場合が多い。それがやがて、祖先供養の行事へと趣旨が変わって定着した。"

そうなのか。春分秋分の日だと真西に日が沈むから、真西にある極楽浄土へのゲートが開き、先祖の供養になると…?そしてWikipediaによればインドにも中国にも彼岸はなく、日本独自のものらしいです。つまり習慣ですね。806年に初めての彼岸会が行われたらしいです。

彼岸 - Wikipedia

僕は自分が仏教徒であるつもりはない。坊さんに親しみもない。また、仏教がもともと経典になかった先祖供養とどのように折り合いをつけて、こんにちに至っているのかも知らない。仏教は大衆に乞われてか、本来あるはずのなかった役割を担うようになったのだろう。

今後自分が葬式を挙げる際には、例に倣って仏式で挙げる。それは自分のためというより親戚のためにそうするだけで、自分は多分この先も「彼岸がどうの」と言うことはないだろう。これまで何もしてこなかったように、今後も何もしないと思う。僕の葬式についても、誰かが必要だと思ったら必要な形でやってくれたらいい。

行事や習慣は、人が必要だと思うから成り立つだけであって、例えば僕が不要だと思えば僕にとってはなくていい。感情をコントロールするために形式がある。自分がそういう形式を必要だと思う日は来るだろうか?形式は、人をまとめるために有効かもしれない。形式により、人同士の連帯と、協調が生まれる。

そういうのに頼らず、自分の感情をコントロールする手段や強さがあれば一番いいのだろうけど。

温泉は行きたい

最後に温泉に行ったのは2年前の今頃になるが、そんな本気の温泉でなくてもいい。ドーミーインの最上階にある温泉でもうれしい。ドーミーインは年末に泊まり、夜遅かったため小さいながらほぼ貸切状態だった。だったら銭湯でいいじゃないか、ともなるが、銭湯やスーパー銭湯のように、狭い場所に人がたくさん入っている風呂は落ち着かない。空いていればまだいいと思う。最悪それでもいい。理想はだだっぴろい温泉、屋外の温泉などに一人で浸かること。すぐ寝られる環境にあること。そういうわけで、自分は温泉のほうがいいと思ってしまうわけです。

一般的には、そこで食べる料理なんかを求める傾向にあると思う。僕はそういうの全然どうでもいい。基本的に、温泉旅館で食べる飯は量が多すぎて、食べ終えたあとに必ず苦しさが残る。もしくは飲みすぎて頭痛とか。だったら僕は、スーパー銭湯の定食でもいいし、近所の中華料理屋で十分だ。なんなら家で食べる普通の食事でいい。温泉旅館の食事は特に求めない。

温泉にしろ銭湯にしろ、入るのはせいぜい長くても1時間かそこらなので、なるべく何度も入る機会があることが望ましい。ということで連泊したい。1泊、1時間かそこらの風呂ために大移動して宿泊費払って泊まるのはさすがにもったいない。長風呂はできないから、一回の風呂では物足りない。できれば朝晩入りたいところだ。健康ランド的なところは今でもあるのだろうか。昔は奈良健康ランドのCMが繰り返し放送されていたが、特にそういう場所に行きたいと思ったことはない。

温泉も、物心ついてからは数えるほどしか行ったことがない。どこがどうとか何がいいとかよくわからない。ドーミーインでいいと言ってるぐらいだからその程度なのだ。温泉良いねと言ってるのはせいぜい、いい風呂に入りたいだけ。ベタな温泉街に行くのもいいとは思うが、今のタイミングだとあまりウロウロしないような、たくさんの人と触れ合わないような旅行が望ましいのかな。だとしたら滞在型のリゾート施設か。

温泉なんて、選択肢がありすぎてみんなどうやって選ぶんだろう。なかなか一人で行くことはないから、結局一緒に行く人の希望に沿って決めるような形になる。

2年前の

爪の話

爪切ってねーなー切らないといけない。爪を切らないといけないと思うときは、重いものを運ぶときだったりする。今は月に2回アルバイトで重いものを運ぶ機会があるから、定期的に思い出す。爪が長いといろいろ不便で、わりと短く保っている。キーボードはうちにくいし、頭を洗っていると頭皮を傷つけそうになる。顔をかくと痛い。そして重いもの。重いものを持つときに爪が長いと持ちにくい。爪が長くていいことは、僕にとってはなにもない。

猫の爪も、放っておくと鋭利になる。普段猫の爪を触っても刺さったりすることはなく、多少爪を立てられても傷はつかない。しかし鋭利な状態のときは容易に凶器と化すから、猫の爪も定期的に切らないといけない。猫の爪を切ろうとすると暴れる。もしくはじっとしていない。猫の爪を切るという世話はめちゃくちゃ苦手だ。

自分の爪の手入れは、切って断面をヤスリにかけるだけ。大学生のときに見た「働くおっさん劇場」に出ていた野見隆明(おじさん)は、「男も最近はやってるんだよね」と言って水色かなにかのマニキュアを塗っていた。自分の周りでは、いまだにそいう流行りに気づいたことがない。自分も爪に何かを塗ったことはない。塗りたいとも思わない。

ネイルアートという言葉は、いつ頃から言われだしたのだろう。ネイルアーティストって今もいるのだろうか?去年いたからいるだろう。装飾の一つ、化粧の一つ、ヘアスタイルなどと同じ。男性がやっていたところで特段不思議ではない。だから野見さんも否定しない。今もやっているのかな?

僕自身は、どうでもいい自慢になるが、爪はきれいだと言われる方だ。ピンク色で、付け根に白い半月がくっきりと浮かび、ツヤもいい。「塗ってる?」と聞かれることもときどきある。最初何を聞かれているのかわからず「はぁ?」と聞き返したあと「塗ってるわけないやん」と答える。今後塗ることもないだろう。

子供の頃から手がきれいだと言われてきたが、そのことで得したこと(儲かったとか人から好かれたとか)は一度もなかった。

停滞中

気分が停滞しているのは、脳内ホルモンのバランスの問題で、脳内ホルモンのバランスが乱れていれば理由もなく盛り上がっていたり落ち込んだりする。今は特別そういうことはない。どちらかというと落ち着いている。やる気が無いのは平常運転で、その平常運転における脳内ホルモンのバランスあたりが個性だったりするのだろう。自分はあんまりそんなにアクティブな方ではない。「人生楽しまなきゃソン!!」とか言われた日には「損でいいです」と言ってしまう方。

ただまあしかし、気分の浮き沈みは体力、体調の影響も大きい。体育会系が元気なのは、鍛えているからだ。エネルギーを回転させているから、脳内ホルモンも活性化されるのか。その点においても自分はやはり停滞している。夜はなかなか寝られなくて、夜中に起きてしまい、昼や夕方は眠くてしょうがない。それは関係ないか。規則正しい生活でホルモンバランスも整うと言うではないか。

食事と運動と睡眠をほどよく行いましょう。食事だけやっていれば太ります。太ったな。本当によく太った。脳内ホルモンのバランスも乱れるわけだ。元気がない。人と会ったりすると、自分はもっと持て囃すことができたはずだ、なんて思う。その気概を失っている。酒でも飲まないと無理です。今日無理だなーとか、この頃ちょっと無理だなーってときは、もうなるべく人に会わないようにしてしまう。そうやって付き合いも交流も途絶えていく。

人との交流は前のめりすぎてもダメで、放ったらかしすぎてもダメ。程よい距離間で関われる相手を見つけるのが肝心。あと、社交辞令いらない。本当に全然いらない。社交辞令は害悪だから本当になんとかしてほしい。

時間が有限だというのは、カウントするからだ。時間は無限にある。一つずつ順番にこなしていけばいい。時間が無限にあったら何をするか?手元にある音楽を片っ端から聴く、映画を見る、本を読む、せいぜいそのへん。今だったら国内旅行を視野に入れつつ、ラジオを聞いたり、こうやって日記に落とし込んだり。ひとりでやることだったら、時間は無限に使えた。焦らなくていいや。漫画読みたい。酒飲みたい。

芦田愛菜の「信じる」うんぬんかんぬん

すごく普通のこと言っていて何の感想もない。強いて言えば、芦田愛菜のすごいところは、こういう考え方ができることじゃなくて、それがイベントの登壇でとっさに出てきて話せたことだと思う。考えている内容そのものは凡庸。

僕はあまり人を信じたりすることがないから、「信じる」とか「裏切られた」とか言う人の気持ちが全然わからない。そういうことを言う人は、そのときたまたま頭が悪かったからしょうがない、としか思わない。

だいたい「信じる」というのは無責任な行為だ。「あなたに任せたから、信じたから」と言って相手に責任を押し付け、自らは考えたり責任を負うことを放棄している。人を「信じる」ということは、極悪非道だと言っていい。芦田愛菜が言うように、「あなたの失敗も受け入れる」というのであれば、真に相手を信頼することになる。その場合、何があっても「裏切られた」などという言葉は出てこない。

例えば、選挙に投票するとき、投票先の候補を信じてはいけない。候補者が適性であるか否かを、自分で見抜かないといけない。掲げている公約を本気でやるつもりがあるだろうか、それにあたっての知識や経験は足りているだろうか、周囲の人員は揃っているだろうか、準備ができているだろうか、候補者を信じるのではなく、その人に投票していいかどうか、自分で判断しなければいけない。判断を見誤って、当選者が公約無視をすれば、それは当選者の裏切りではない。判断を見誤って投票し、当選させた自分の責任だ。

もっとプライベートな話だと、「裏切られた」という言葉は一体どういうシチュエーションから出てくるだろう。僕は人生で一度も使ったことがない。バナナマン日村がダイエットをしているのにご飯を食べて、奥さんから「裏切りだよ」と言われていた。これは戒めの言葉でしかないと思う。奥さんはその後もバナナマン日村の性格を見直し、ダイエットをどう進めていくか計画の改善を図っている。そこに「信じた」「裏切られた」のやりとりはない。

人間関係は、そういう予想の当たり外れを繰り返して、互いの理解を深めていくものではないか。予想が外れたからと言って「信じた」「裏切られた」のやりとりをしていては、そこで終わってしまう。「信じる」は押しつけであり、関係性構築の放棄に等しい。

Uberイーツの夢を見るのか?

Uberイーツを街中で見かける。いつ頃からだろう?去年日本に帰国してから、割とすぐ見かけた。その前はどうだったか?Uberイーツのサービス開始年を調べてみると、本家サンフランシスコは2014年から、日本では東京が2016年からだそうだ。さすがに早い。私が住んでいる京都は2018年の夏からだそうです。そのとき僕は東北にいて、9月に一度帰ってきたけれど10月にはアフリカだったから、全然見かける間もなかったですね。

去年僕が帰国した当初は、外国人の配達員が多かった印象。外国人が日本で働くのはいろいろと大変だから、Uberイーツみたいなアメリカ発祥のサービスによる、日本社会のしがらみから外れた独自の労働体系はすごく重宝したんだと思う。

しかしそんな外国人たちもコロナで帰国しまして、今見かけるのは日本人ばかり。やはり若い人が多い印象。もともと自転車ばかりだったけれど、最近はバイクの配達員を多く見かけるようになった。普通に考えて、自転車よりも原付きとかのほうが効率いいもんな。疲れないし。

僕はUberイーツを使ったことがない。一度使おうとする機会があったけれど、店で注文するのと料金が全然違って、上乗せされていたから利用する気をなくした。別に忙しくないんだから、買いに行けばいい、ってことになった。だから使っている人は忙しい人が多いんじゃないかな。知人はコロナ以前もよく会社に配達させたりしていた。アトロクのスタジオにもUberイーツ呼んでた回があった。

僕が使ったことはないけれど、友人宅で食事をするにあたり、友人がUberイーツを呼んだことはあった。そこで受け取る係をした。普通だった。普通の人が普通に持ってきて受け取って終わり。時間はそれなりにかかるが、注文してから受け取るまでめちゃくちゃ簡単でスムーズだった。

また、飲食店に行くと、めちゃくちゃUberイーツが取りに来るのを目にする。割と人気の台湾料理屋なんかに行ったとき、店内に滞在していた1時間から2時間の間に10人はUberイーツの配達員が来ていた。Uberイーツで注文入ってしまったら店のキャパとか関係ないから、さばくの大変だなー。

29tizuの山田さんがUberイーツの配達員をやっていて、ときどき裏話的なことをポッドキャストで喋っている。初めの頃には説明会の様子や、紹介料が大きいとか、バッグを売ると高いとか言っていた。そのうち配達員がたむろするエリアであったり、配達員同士の会話があったりなかったり、という話もあった。コロナ直前には配達員が飽和気味だったみたいだけど、コロナ中に少し盛り返して、今はどうなんでしょう。コロナ以降配達員がめちゃくちゃ増えた印象。

他にも、割と注文が入らない時間、つまり待機時間が長いというようなことを言っていた。だから、「Uberイーツは副業としてならおいしいけれど、本業だと成り立たない」というようなことも言っていた。山田さんは本業がラッパー?音楽活動の合間にUberイーツやってるっぽいです。ケン・ローチ監督の映画「家族を想うとき」回でも「まんまUberイーツ」と言っていた。

僕がもし結婚していなければ、帰国してUberイーツをやっていただろうか?コミュ力とかも全然いらないし、移動手段さえあれば誰でもできる。全くやりたいとは思わないけれど、実際なくはないと思う。続くかどうかは別として。僕がやるとすれば、原付きだったかもしれない。自転車でやる人はダイエットを兼ねていたりするのだろうか。そういえば、女性のUberイーツをまだ見たことがない。東京は女性も多かったりするのだろうか。

Uber株には注目しています(持ってない)。Uberタクシーも含め、今後世界でUberのサービスがなくなるとは思えないんだけど、今のところ全く上がる気配なし。利益率が悪すぎるのか?

鴨川についての話

鴨川って急に言われても、京都以外の人にはなんのことやらですよね。はじめの一歩の鴨川ボクシングジムか!?って思う人も少なくないと思います。鴨川会長は若い頃、米兵と試合する前に丸太を殴って拳を潰してしまい、引退となりました。

京都の人間から言わせれば、鴨川は鴨川会長ではなく、あの鴨川しかありません。京都市内を北から南へ流れる河川のことです。僕は鴨川からけっこう近いところに住んでいたため、馴染みがあります。小中高と、冬のマラソンは鴨川で行われました。京都の川べりで開催される冬のマラソンは苦行で、こちらは半袖半ズボンの体操服なのに雪が降ったりしています。小学一年生のときに走りながら、寒くて苦しくて「死にそう…」とつぶやいたら、前を走っていた上級生二人に「死にそうやったら、死ねばええやん〜笑」と笑いながら言われたことを今でも根に持っています。その場で殺してやろうかと思いましたが、そんな根性はありませんでした。

ゴール近くになると保護者のお母様方が飴湯という冷やし飴を温めたもの、ショウガをお湯で割って砂糖を加えた飲み物を用意して待っていました。飴湯を口に含むと「なんじゃこれー」と吐き出した。こっちはのどが渇いていて、こんなもの飲めねえ。近くで配られていた水に並び、紙コップを受けるとると速やかに飲み干しました。

マラソン大会が行われるだけのことはあり、鴨川は走るのに適しています。僕も一時期はジョギングをしていたことがあって、それはあまりに体力がないことへの危機感からだったのですが、ジョギングは決まって鴨川で行っていました。河川敷を走ることの良い点は、信号がないこと、車が走っていないから排ガスで苦しくならないこと、比較的安全であること、水辺で気分がいいことなどたくさんあります。中でも大きいのは、一本道が続いていること。そして景色が変わることです。

大阪に住んでいた頃のジョギングスポットとして、大阪城公園がありました。僕は2回走ったことがあるのですが、それ以上続かなかった。なぜか。走っていてつまらなかったから。同じところをぐるぐる回るのと、鴨川のように真っすぐの道を行って帰ってくるのとでは全然違います。同じところをぐるぐる回っていると、まるで家畜になって走らされている気分になる。景色が変わらないのが意外とつらい。同じ理由で、名古屋に住んでいたときの名古屋城公園も無理でした。2回でやめた。宝ヶ池の周りを走るのは、池があるだけまだ気分的にましだった。

京都を離れて暮らしたときに初めて、鴨川がいかにジョギングに適していたかを知ることになりました。貴重だった。僕は大学を卒業してから10年近く京都を離れていたため、その間ずっと貴重なジョギング環境を手放していたことになる。京都に住んでいるなら、鴨川の近くに住んでいるなら、ジョギングに活用しないともったない。今僕は鴨川の近くに住んでいますが、ジョギングは全くしていません。

鴨川は何もジョギングだけではありませんからね。ほら、デルタとかあります。デルタってなんですか?出町のあたりにある、三角のところです。それ以外に何も言えない。一度NHKのドキュメンタリーで特集されたこともあった。ドキュメント72時間「京都 青春の鴨川デルタ」。僕は放送をチラ見していたけれど、何を話しているのかさっぱりだった。ある学生が、耐久何時間デルタにい続けられるか、というのをひたすらツイートか何かしていて、そのまま夜を明かしたりしていた。番組スタッフに「何か意味はあるのか?」みたいなことを聞かれたら「意味なんている?」などと言い返していた記憶がある。ちゃんと覚えていないから、興味がある人はNHKオンデマンドでお金を払って見てください。

くるりにもデルタっていう曲があるそうです。今はじめて知りました。

あと鴨川と言えば、三条大橋から四条大橋にかけて等間隔に並ぶカップルが有名ですね。ご存知ですか?鴨川に沿って、川岸にカップルが間隔を空けて座るんです。10組とか20組とか、もっと続く。その様子がおかしいみたいで有名になりました。僕も何度もやってます。自慢とかではないですよ。だって、あれは全然カップルに限ったことではないんですから。

映画館で映画を見ますか?

映画館で映画を見ますか?僕は映画自体はときどき見るのですが、映画館へは滅多に行きません。だいたい家で見ることが多く、昔はレンタルビデオを借りてよく見ていた。DVDになってからも借りてよく見ていた。そして今はNetflixかAmazonプライムで、自宅で見る。映画館で映画を見るのはいろいろとハードルが高い。

まず、映画館まで行くのがめんどくさい。行って帰ってくるだけで時間もお金もかかる。近所に映画館があれば、もっと通っていたかもしれない。次に、それなりに料金がかかる。映画館で見る体験にお金を払うのだから当然だけど、その料金分だけレンタルやNetflixに比べてハードルが上がってしまう。割引の日はなかなかタイミングが合わなくて、いつも正規料金を支払って見ている。映画館だと周りを気にするのもある。自分はアレルギー持ちでしょっちゅうくしゃみをするから、体調が悪いと映画館に行くのをはばかる。うるさいし、風邪ではないんだけど風邪だと思われて面倒だ。気軽にトイレへ行ったり、食べたり飲んだり、もの音立てられないのもハードルが上がる。最後に、僕は一人で映画館に行かないから、誰かを誘うというハードルがある。一人で行くのは人を誘うよりもハードルが高い。一人で行ったこともあるけれど、よほど見たい映画でないとわざわざ一人で映画館には行かない。

こういった映画館へのハードルは、映画好きの人や映画館へ行き慣れている人なら、やすやすとクリアしてしまう。慣れていないだけだと言えば、それまでだ。数えたら、今年は16本映画を見ているんだけど、映画館で見たのはわずか2本。「1917」と「家族を想うとき」だけ。去年は43本中、映画館で見たのが4本。映画館で見るという体験を特別視しすぎているせいか、ハズレ(楽しめない映画)を引くことを異様に恐れている。だから余計に足が引ける。アタリである確率が高いと踏んだ映画しか、映画館で見なくなっている。

子供の頃は、もっと気軽に映画館へ通っていた。アクション大作があると、だいたい親に連れて行ってもらっていたから、駄作であるとかどうとか考えたことなかった。だからけっこう駄作も映画館で見ていたと思う。今もそれぐらいの心持ちで映画館へ行けばいいんだけど、なんだか気後れしてしまう。初めて映画館で映画を見たのは、4歳ぐらいだろうか。人形劇みたいな西遊記だった。親が映画ファンだったから、その後も何度となく親に連れて行ってもらった。好きだった映画館はスカラ座で、今はもうない。「ターミネーター2」を見に行ったときは、行列に並んだ。「フォレスト・ガンプ」も映画館で見た。

中学生になると、友人だけで映画館へ行くようになった。「トイ・ストーリー」「ラッシュアワー」などを見に行った。「シックス・センス」も映画館で見た。高校ぐらいから、映画館には全然行かなくなったように思う。記憶にない。高校のときの記憶がないだけかもしれない。大学生の頃は、二条の映画館に彼女と何度も足を運んだ。「イルマーレ」などを見た。僕の趣味ではない。映画が終わったあとに別のフロアのゲーセンで遊んで、その後また別のフロアのレストランに入って食事をしていた。バイクで行っていたからお酒は飲まなかった。

ときどき父と見に行ったこともあった。「硫黄島の手紙」など。あまりいい映画ではなかった。会社員のときなんて、本当に全然映画館に行ってない。大阪と名古屋に住んでいたが、どちらの映画館にも行ったことがない。どこにあるのかも知らない。トロントにいたときは、映画が安くて日本人の間でも映画館に行くのが流行っていたけれど、僕は一度も行かなかった。字幕無しで全部聴き取れるほど英語がわからないから、見てももったいないと思った。今思うと、わからないなりに見ていてもよかったかもしれない。

中学の頃から映画好きの友人がいて、ときどき一緒に映画を見に行ってたんだけど、今はもう連絡がとれなくなった。彼と最後に見たのは「この世界の片隅に」。僕にとって映画館は、人と一緒に行く場所で、そういう付き合いがないと全然行かなくなる。映画館に行かなくても映画はずっと見ていたから、映画好きの人と知り合ったり、話すことはできた。ここ数年で知り合った人と、ときどきまた映画館へ行くようになった。出町座、みなみ会館、京都シネマといったミニシアターの存在を知り、一緒に回った。

映画館は僕にをとって、ただ映画を見るだけの場所ではなかった。一緒に見に行く人との思い出の場所。見る時間と作品を共有するとっておきの場所だった。見に行く相手さえいれば、映画館のハードルなんて簡単に下がる。

タンクトップは涼しい

奥さんにお題を募集したら「タンクトップ」と言われた。タンクトップ??はい、タンクトップはよく着ています。いつ頃からだろう?大学生の頃には着ていた。それ以前は覚えていない。なぜタンクトップを着るのか、それはもちろん暑いから。夏の暑い日にしか着ない。Tシャツとタンクトップだけでもけっこう違う。開放感が違う。

古い記憶では、ヴィレッジヴァンガード北山店の地下で二着購入したのを覚えている。グレーとオレンジのボーダー。もう一着は忘れた。これはいつ頃着ていたっけな、昔の写真がないからわからん。その後ドメスティックブランドの、牛柄を反転したタンクトップを着ていた。これは会社員の頃。そしてついに、ユニクロのタンクトップに行き着く。当時は3枚入りで1,000円しなかった。しかも綿100%だった。その後ポリエステルが含まれるようになり、買わなくなった。今着ているのも当時のユニクロタンクトップと、GAPのタンクトップ。黒とカーキ。無地です。

変わり種としては、ミハエル・シューマッハとアイルトン・セナが描かれたタンクトップを持っていた。今も持っているが、全く着ていない。気に入っていたのは、アメリカ西海岸で買ったBig sur と書かれたタンクトップ。薄い黄色の生地がベースで、波の絵も描いてある。まさにBig surで買ったもので、Big surとは地名。ビートニクが好きな人は知っている。着れなくなるまで着倒した。

その当時ちょうど、ビートにはまっていたのだった。でもジャック・ケルアックの路上はわけわかんなくて、映画もちゃんと見なかった。「死にたいほどの夜」という映画はDVDを買って見た。ビートのことはいまだよくわかっていない。サンフランシスコでそういうムーブメントがあったということぐらいしか。

タンクトップを買うときに注意しないといけないのは、サイズ。大きめがいいと思って買うと、紐が長いタイプは昔のレスリングタイツのように、乳首がはみ出してしまう。首元があまり開いていないタイプであれば、大きめでも問題ない。

タンクトップにファッション性は求めていない。主張もスタイルもない。ただ涼しければいい。タンクトップを着るときは、だいたい短パンを穿いている。暑いからだ。暑い国を旅行する際にも、だいたいタンクトップだった。旅行するときはめちゃくちゃ便利です。リュックに3枚詰めても生地が少ないから全然荷物にならない。洗っても干しておいたらすぐ乾く。旅行者はみんなタンクトップ着るんじゃないかなー。欧米人もだいたい着ている印象。

大阪に住んでいたとき、クラブに入ろうとしたら「タンクトップでは入場できません」と言われた。ドレスコードらしい。しかたがないから近くのコンビニでTシャツを買って入った。このルールって全国的なの?全然知らなかった。クラブには数えるほどしか行ったことがない。カナダにいるときに一番行った。他にやることなくて。カナダはさすがに寒いから、タンクトップではなかったような気がする。

奥さんは僕のタンクトップ姿が好ましくないようで、理由を聞くと「ショタっぽいから」と言われた。よくわからない。膝上のショートパンツもよく穿いていたんだけど、それはやめてと言われ、結婚してからは穿いていない。涼しいんだけどなー。

インスタント麺は何が好きか

おとついから始めた、どうでもいいテーマで書くどうでもいいコラム。今回のテーマは「インスタント麺」。テーマを募集したところ、奥さんより提示された。

なぜインスタント麺なのかというと、おそらく本人が好きだからだろう。コンビニやスーパーで、季節限定の珍しいものがあると買ってくる。もう二度と再販されないであろう、一発企画モノインスタント麺があると必ず買ってくる。珍しい味を試したいようだ。僕にそんな趣味はない。

僕がインスタント麺を食べる理由は「安いから」と「めんどくさいから」に尽きる。コンビニブランドだと100円ぐらいから買えるものもあり、お湯を注ぐだけ。カップラーメンや焼きそばをよく食べていたのはいつだっただろう?中高生の頃も、昼食でよく食べていた記憶がある。あまりに昔過ぎてはっきりとは覚えていない。会社員の頃は昼食でよく食べていた。カナダやオーストラリアにいたときは、カップではなく袋に入った即席麺を食べていた。ガーナにもインドミーというインドネシアの即席麺があった。けっこう常に食べているな。

僕が食べていたそれは、奥さんのような遊びではなく、いつでもどこでもれっきとした食事であった。インスタント食品は健康に悪いと言われていたから、なるべくサラダやおにぎりを併せていた。ただ、エースコックの社長は自社の春雨ヌードルを自ら毎日食べていると言っていたので、害はないのだろうと多少信用していたところがある。

インスタント麺の何が好きかと聞かれたら、即座に答えられるだろうか?僕の場合は、よくよく考えたところで答えられない。そんなにこだわりがない。カップヌードルだったらなんだろう、プレーンな味はあまり買わないかもしれない。シーフードとカレーを行ったり来たり、塩とか味噌は味の記憶がない。チリトマトはあんまり。トムヤムクンも覚えていない。欧風カレーチーズはおいしかった。クリーミーシーフードもあれば買っていた。じゃあカップヌードルのお気に入りはクリーミーシーフードということにする。挙げていけば答えられるもんだ。

焼きそばはUFOかペヤング派かで分かれる。それ以外に一平ちゃんとかあったっけ。松村邦洋は今何やってるのだろう。ペヤングは大盛りしかなくて、食べづらかった。UFOはソースがあんまり。でも実家に住んでいたとき買い置きがあって、家でよく食べていた気がする。UFOを買って会社で食べようとしていたときに一度、お湯を抜こうとして麺ごとドバっと流しにこぼしてしまったことがあった。それを同じ会社のおっさんに見られて「それほんまにやるやついるんや!笑」とめちゃくちゃ笑われた。

辛ラーメンはカナダでもガーナでも日本人や韓国人に流行っていた。僕は特別好きではない。おいしいとは思うけど。オーストラリアにはインスタントのミーゴレンが何種類もあり、いろいろ買って食べていた。めちゃくちゃ辛いけれど、飽きない。袋麺だから具なし。栄養バランスなんてあったもんじゃない。ガーナで売っていたインドミーは、日本でもカルディ等で買えます。そんなにおいしくないけれど、ガーナにいた頃は他に即席麺がないから仕方なく食べていた。

理想のカップ麺の食べ方は、友人数人と深夜のコンビニへ出向き、その場でお湯を入れて駐車場で食べる食べ方。田舎のヤンキースタイル。インスタント食品を含むコンビニ飯は、仲間内で集まって食べるのが若かりし頃の思い出であった。今の子供もそんなことするのだろうか。

うなぎの話

今年に入ってから、何年かぶりにうなぎを食べた気がする。何度か食べる機会があった。うなぎなんて長い間食べていなかったような、まあ僕のそういう記憶はあいまいだから気のせいかもしれない。でもうなぎはめったに食べない。自ら進んでうなぎ屋に入ったことがない。うなぎを食べに行こうと誰かを誘って行ったこともない。昔働いていた大阪のオフィスの近くにうなぎ屋があって、前を通るたびにタレの匂いが漂っていたが、結局一度も入ることはなかった。うなぎが嫌いなわけではないけれど、機会に恵まれなければずっと食べないでいるだろう。僕にとってのうなぎとは、そういう食事だ。

2年ほど前、うなぎ絶滅のニュースがあり、値段が高騰していたことを覚えている。だから僕はてっきり、うなぎは絶滅したものだとばかり思っていた。だけど今年は普通に売っていて、普通に食べられた。普通の値段で。うなぎはいつの間に復活したのか。養殖しているはずだから、天然物は絶滅して養殖だけになったのか。そもそも絶滅なんてなかったのか。うなぎのいなくなった世の中になっても困りはしないが、やや残念ではある。その程度にうなぎは嫌いではない。

まずいうなぎもあるのだろうか。中国産がどうとか言われていたが、今のところ中国産のうなぎは食べたことがない。そこまでしてうなぎを食べたいと思わない。牛丼屋にも一時期うな丼のメニューがあった。多分安いと思う。しかし、わざわざ牛丼屋で安いうな丼を食べようと思ったことがなかった。そこまでしてどうしても食べたいほどうなぎが好きではない。でもやはり、安いうなぎはまずいのだろうか。それは気になる。食べようとは思わないが。

うなぎを自ら食べに行かない理由の一つとして「高いから」というのは大きい。魚のどんぶりがなぜ3,000円とか4,000円とかするのだろう。希少価値なのか、調理が難しいのか、うなぎそのものが高いとしたら希少価値なのだろう。僕が一番うなぎを食べていたのは、名古屋に転勤していた頃だった。3年ばかり名古屋で過ごしていたんだけど、その3年の間に何度もひつまぶしを食べることになった。うなぎなんて1年に1回食べればいいほうで、それもない年はいくらでもあったのに、名古屋にいたときだけ年に数回ひつまぶしを食べていた。飽きなかった。

特別に好きなわけではいうなぎを、名古屋にいたからって、なぜそんな頻繁に食べることになったか。それは仕事で東京からお客さんを迎えることが多かったから。東京から人が来ると、名古屋のご当地メニューでもてなすことになっていた。そのときにうってつけだったのが、ひつまぶしだ。うなぎを嫌いな人は少ない。それに、他の名古屋名物って、味噌カツにしても名古屋コーチンにしてもB級グルメばかりで、お客さんをもてなすには物足りない。だから必然的に毎回うなぎが選ばれるのであった。仕事だから割といい店ばかり。

こういうとき、地元京都だったらどこにお客さんを連れて行くのだろう?僕は地元で働いたことがないから見当がつかない。わかりやすい京料理の店なんてあるのか?あるんだろうけど、行ったことがない。そういう堅苦しい付き合いが今後あるとは思えないから、あまり考えなくていいのかもしれない。友人が市外から来たら、京料理などではない近所の店に連れて行くと思う。