ふと思ったこと

とある本を読んでいて、誰かと誰かが一緒にドラッグをキメて以降親しくなった、という話があった。よくあることだと思う。僕も実際にあった。カナダでジェシーと仲良くなったきっかけはポットの共有だった。もっと一般的な話だと、お酒の席を共にしてから仲良くなったとか、喫煙ルームで一緒にタバコを吸うことで仲良くなるとかあると思う。さらにもっと一般的な話で、一緒に食事をすることで仲良くなるということなら、けっこう誰でも経験しているんじゃないか。

ドラッグでもお酒でもタバコでも、食事でも、やっていることは根本的に変わらない。参加者同士が互いに快感を共有する、という点でそれらの行為は共通している。フェスとかライブとか、一体感のある催しも同じ。より簡易で汎用性が高い手段が、食事やお酒となる。もっと言えば性交渉。これほど直結的に快感を共有する手段も他にない。

つまり、一緒に飲みに行きたいとか、一緒に食事したいと言って誘うのは、セックスしませんか?と誘うのと同義だと思うんですよね。ややライトなだけで、やっていることは根本的に変わらない、快楽の共有。違うのは段階だけ。ここまでだったら共有できるけど、この先はちょっと、となれば、食事はできるけどセックスはできないのは、付き合えるけど結婚はできないようなもの。程度の違いこそあれ、本質的には同じ。

普段は全く意識しないけれど、食事に誘うことは、飲みに誘うことは、セックスに誘っていることとあまり変わらない。手段は違えど、いずれも快楽の共有を提案している。飲み会の後で仲良くなるのは、セックスの後で仲良くなるのとどれだけ差があるのか。ジェシーは男性だったけれど、一緒にポットでstonedしてそれ以降仲良くなった。まあそういうことだろう。

僕はだいたいそういうのに抵抗がない人に好感をいだきやすい。つまり、快楽を得る刺激に対して抵抗のない人。だから飲酒、喫煙者大歓迎だった。飲酒喫煙の習慣がある人は、だいたいにおいて刺激快楽の摂取のハードルが低いと思っていた。好奇心が強く、刺激に対して前向きになれる人。ただまあ好き嫌いはあるから、お酒が苦手、タバコが苦手、セックスが苦手、それぞれあると思う。僕は食べることが苦手だから、太っている人や食べ放題が苦手だった。

反対に、無意味に保守的で消極的で抵抗の強い人は、めんどくさいと思っていた。ノリが悪いとかっていうのとはちょっと違う。なんかその、自らの足で踏み出す好奇心のない精神性とは、付き合うのがめんどくさい。きっと刺激や快楽に耐性がなく、その分恐怖心が強いのだろう。ビールが飲めなかったり、ブラックコーヒーが飲めなかったり、辛い食べ物が苦手だったり、刺激を楽しいと思えない人とは付き合いにくかった。

それも結局は程度や分野の違いで、エクストリームスポーツをやれと言われたら、あんまり乗り気になれない。バンジージャンプやスカイダイビングだって、機会があればきっと平気だけど、わざわざやろうとは思わない。SMとかも無理だし、音楽フェスも興味ない。海外バックパック旅行は平気。それが相性と呼ばれる部分なのか、きっと違う。

好き嫌い、苦手なことはそう主張すればいいだけで。僕の言う苦手な精神性というのは、ためらったり決断できなかったり、興味はあるけど踏み出せないような、好奇心に振り切れないじれったさにあるのだろう。いろんなファックをしてきたし、ファックと意識しないファックをしてきたんだと思う。断ればいいんだから。

ヒトコトへの回答㉔:同性

このブログではGoogleフォームからご意見などを頂いております。スマートフォンでページを一番下までスクロールしてもらえば出てくるアレです。それをときどき拾って回答してたりします。

70通目:同性

同性を恋愛対象としてみれますか?

恋愛対象として見れるのかはわからないけど、見たことはないです。そういう話をかつて人としたことがあって、恋愛うんぬん以前にまず男性に性的魅力を感じたことがなく、恋愛関係になるのは難しいのかなと思っています。

これまでのヒトコト、回答をまとめました。

2021年ベストバイ

そろそろ挙がっていますね、ベストバイ2021。他人のベストバイを見るのが結構好きです。特に使用感やエピソードなど、実感のこもったものを参考にして買うことも。スペック比較的なレビューよりそっちのほうが好みですね。

今年はたくさん物を買った年でした。主に本、レコードで、家電とかは全然買ってません。服もあまり。そんななかから個人的なベストバイをいくつか選んでみます。

  • ダナーフィールド
  • 関西赤貧古本道
  • The KLF - Chill Out
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しつこく、最近欲しい本(2021/12)

10月にたくさんまとめた続き。

このうちいくつかは買って、全然読めていない。読めていないうちから次々と欲しい本は出てくるもので、次から次へと本は増えていくばかり、一向に減らない。「積読こそが完全な読書術である」という本を最初の数ページだけ読んで積んでいる。

  • 謎とき 『失われた時を求めて』
  • 東京の生活史
  • 書きあぐねている人のための小説入門
  • 岡田睦作品集
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一人だと何もしないな

地元京都では今、「きょうと魅力再発見旅プロジェクト」というのが行われており、府民による府内の宿泊が割引される。

一人だったら絶対利用しなかっただろうな。地元でわざわざ外泊するなんて発想は、いくら割引があってもありえない。去年のGoToトラベルだって、一人だったらきっと利用していなかっただろう。特に行きたいところもなく、ずっと自宅で過ごしていたと思う。

一人旅行自体はよくするほうだった。でも僕の旅行は観光がメインで、国内に見たいところ、行きたいところはない。国内の友人を訪ねる旅行はあったものの、完全な一人国内旅行はしたことがないかもしれない。大学生の頃にバイクで名古屋まで行って、土砂降りになってリタイヤしたぐらい。

旅行に限らず、外食なども一人だとほとんどしない。せいぜいラーメンかカレーぐらいで、軽食と言える。外食のために出かけたり、予約して店に行ったりすることはまずなかった。

一人だと行きたくても行けなかった、というわけではない。行きたいところは一人で行っていた。ただ映画館でさえ、一人ではめんどくさくてほとんど行かなかった。美術展や写真展などは、一人でもときどき行っていた。友達とどっか行くこともあったけれど、予定を合わせるのがめんどくさくて、本当にたまにある程度だった。めんどくさい、が発動しやすかった。

一人だと、ほんと何もしないなと、つくづく思う。誰かと一緒に何かをしたいとか、どこかへ行きたいっていう願望もないから、相手を探してやるようなこともなかった。何もしないというのは、外で何もしないというだけであって、自宅で何かをしている。本を読んだりマンガ読んだり映画を見たりネットを見たり音楽を聞いたりゲームしたりしている。

それらは今もやっている。ただ自分は一人じゃなくなってから、行動範囲が拡がった。活発な人は一人でもいろいろやっていただろうけど、僕はそうではなかった。一人だと、自分の願望の外で何かするってことがない。それは当然のことで、やったからといって見合う何か得られたり、発見があるわけでもない。

世の中の、ありとあらゆるサービスや施策、施設、その他もろもろは、自分を対象としていなかった。だから多くの物事が、自分には関係ないと思っていた。でも一人じゃなくなったことで、行動範囲に含まれるようになった。

そういうことってあるよなーと思った。それだけです。一人だからこそやることもある。危ないこととか。

接客態度に文句を言うか、もしくは

面と向かって言う人もたまにいるけれど、後で愚痴をこぼす人が多い。接客態度。僕が今読んでいる本は、行く店行く店での接客態度のついての文句がよく書かれている。人からもときどき聞く。気持ちはわからんでもないと思うときもあれば、気にしすぎ、過剰に求めすぎ、期待値高すぎと思うこともある。

僕はあまり、接客態度を気にしないほうだと思う。実害を被る場合はその場でなんとかしてもらうけれど、ただの接客態度についてあれこれ文句を言った記憶はない。態度が悪いとか、そもそもあまり思う方ではない。「お客様に対してなんだその態度は!」「愛想が悪い!」などと思うようなことが、普段からあまりない。

ただそれでも不快に思うようなことはある。説明が何言ってるかわからなかったり聞き取れなかったり、長い時間待たされたり、違うものを出されたりして、もう無理かなと思ったらあきらめる。「あ、もういいです」と言って店を出る。そしてもう利用しない。よほどムカついたら★1をつけるかもしれない。やった記憶はない。

それは損切りに近い。早く切り捨てて忘れる。もともとサービスに金を払う方ではないし、必要以上、値段以上を求めることもない。期待値が高い方ではない。だから接客態度が悪かったとしても、わざわざ怒ったり愚痴ったりはしない。早々に現場から離脱して、リストから外すか、除外リストに入れるだけ。

ときどきいるのが、文句を言いながら利用する人。文句を言うなら利用しなければいいのに、それでも利用するなら文句言わなければいいのに、と思う。文句を言いつつも利用するという、その心理はなんなんだろう。代わりが効かないなら仕方がないけれど、大抵の物事は代わりが効く。ただ文句を言いたいだけなのだろうか?

僕だったら、文句を言いたくなるような相手とはもう関わりたくないと思うんだけど、繰り返し関わっては文句を言うのは、そのやりとりそのものが楽しいからだろうか。憂さ晴らし?

2011-2021 はてなブログとともに振り返る10年【変わったことと、変わらなかったこと】

はてなブログ10周年だそうです。おめでとうございます。βテストの頃から利用していたので、僕もまるまる10年利用しているユーザーということになります。ダイアリーの頃から数えると15年ぐらいになるのかな。その間に株式会社はてなも上場したことだし、株主優待ではてなブログProが利用できるようになれば株を購入します。Proを利用してから何年経っただろう、けっこう長いです。

  • 10年で変わったこと、だいたい全部
    • 住む場所が変わった
    • 旅行ばかりしていた
    • 体型、髪型が変わった
    • アウトプットが変わった
    • インプットも変わった
    • 結婚した
    • 禁煙を始めた
    • 歳をとった
  • 10年前と変わらないこと、あるのか?
    • Apple製品を使い続けている
    • 中身は全然変わっていない
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私がアンビエントにハマる10の理由

10個もあるのかな。音楽ジャンルのアンビエントです。2年ほど前から聞き始めた。もともと音楽に疎くて、全然くわしくないけど好きです。アンビエントって何?っていうぐらいの人向けの紹介も兼ねていると思うので、ぜひ聞いてみてください。

  • 1. まっさらな世界
  • 2. 何より、癒やし
  • 3. 意識を阻害しない
  • 4. 飽きない
  • 5. 使い勝手がいい
  • 6. 掘るのが楽しい
  • 7. 奥が深い
  • 8. ジャケットがかっこいい
  • 9. 自分の世界に浸れる
  • 10. 僕が好きなやつ
    • Omni Gardens - Moss King
    • The Humble Bee - A Miscellany for the Quiet Hours
    • 吉村弘 - Green
    • Federico Durand - Herbario
    • Green-House - Six Songs for Invisible Gardens
    • Loris S. Sarid - Music for Tomato Plants
    • picnic - picnic
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ここ数年で観た中から、好きな映画10選

フィルマークスを利用していまして、ここ数年は観た映画をだいたい記録しています。どのサービスで配信されているか確認できるのも便利です。

ここ数年以内に見た映画の中から、自分の好みを基準にざっと選んでみます。順番は新しく見た順。映画館で観ていないのも含む。

  • ベイビーわるきゅーれ(2021)
  • バーニング 劇場版(2019)
  • マティアス&マキシム(2020)
  • パターソン(2017)
  • ホドロフスキーのサイコマジック(2020)
  • わたしは、ダニエル・ブレイク(2017)
  • シング・ストリート 未来へのうた(2016)
  • ヴィクトリア(2016)
  • フランシス・ハ(2014)
  • エンドレス・ポエトリー(2017)
  • 傾向
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はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問」

はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問

ブログ名もしくはハンドルネームの由来は?

ブログ名はヌジャベスの曲名を地元に変更して!当時、確か地元に帰りたい気持ちがあった。ハンドルネームの由来は、川の近くに住んでいたから。

はてなブログを始めたきっかけは?

ダイアリーからの切り替え。ダイアリーはウェブ進化論きっかけだったかなー。はてなのサービスはアンテナを一番最初に使った。ばるぼらアンテナみたいなのがほしくて。

自分で書いたお気に入りの1記事はある?あるならどんな記事?

ないでーす。

ブログを書きたくなるのはどんなとき?

誰かの何かを読んだとき。

下書きに保存された記事は何記事? あるならどんなテーマの記事?

2。これまで読んだ本について、影響を受けたもの。

自分の記事を読み返すことはある?

最近はほとんどない。記憶のアーカイブなんで、昔考えたことや調べたことを掘り起こすときに検索する。

好きなはてなブロガーは?

今定期的に読んでいる人は、本人があまり人に知られたくない人だから言えない。

はてなブログに一言メッセージを伝えるなら?

今後どうなるのか心配です。

この10年を一言でまとめると?

よく続いた。

この10年を10文字でまとめると?

ただ好き勝手してきた

おもしろい人

おもしろい人ってなんだろうな、と思う。自分の好みでしかなく、他の人が言うところのおもしろい人と、自分にとってのおもしろい人は全然違うという前提で、それでも自分が、誰をどういう基準でおもしろい人認定をしているのか、はっきりしない。考えてみよう。

最近「この人おもしろいんじゃないか」と思った人は、note経由で見かけた人だった。フォロワーとか全然少ない人。このあたりはポイントかも知れない。おもしろい人はフォロワーが少ない(多くない)。メジャー認知度は低い、大衆受けしない。

その人はnoteひとつあたり2万とか3万字書いており、こんなの誰が読むんだよと思う。研究成果とか、論文に近い内容。無料だったり有料で公開している。どうやら本業は別にあり、趣味のようだ。かなり力が入っており、きっと膨大な時間が割かれている。これは楽しいのだろうか?おそらくこういう作業に慣れているのだろう。

僕はそういう文章を書くことに慣れていないから、2千字程度でひーひー言ってる。かつてはてなブログで頻繁に更新していた頃も、更新作業はとても大変な思いをして、時間をかけていた。楽しいかって言うと、大変なことのほうが多い。特に報われるわけでもない。他にやることがなかった。

だから意味もなく無益な文章を平然と2,3万字書かれているのを目の当たりにすると(それは実にしっかりした文章なのだ)、論文とかたくさん書いてきて慣れてるんだろうなーとか、もしくはこの人はいったい何をやっているんだろう?と軽く狂気じみたものも感じる。

「趣味が高じて」とか「好きの発露」とか「熱量」なんて全然感じない。淡々としている。よくまとまっている。しかしはっきり言うと、読んでいてもそんなにおもしろくない。エンターテインメントらしき痕跡はない。ただそれでも、この人はおもしろいんじゃないかという予感がする。まだ確度は低い。

単に、自分ができないことを平然とやってのける人に、憧れや関心を抱いているだけなのか。まあでも自分からすると、その人がどういう姿勢でそんなことをしているのか、興味がある。でも普段から言ってることが難しすぎるから、おそらく理解できない。

おもしろくない人

こんなことはわざわざ書かなくていいんだけど、対比としておもしろくない人。タイムラインを眺めていて、この人本当におもしろくないよなーと、つくづく思う人がいる。それは当の本人も自覚しているようで、もしかしたらそういう扱いにも慣れてるかもしれない。

言い訳するようだけど、その人は直接の知り合いで、5年来の付き合いになる。長らく会っていないが、お互いのタイムラインは見ていてときどきやりとりすることもある。仲が良ければいい人。ただ決定的におもしろくない。話していてもつまらない。

何がそんなにおもしろくないんだろうと考えてみたら、とにかく中身がない。表面的なことしか言わない。あとすぐに人の意見であったり、人の話が出てくる。自分の意見は?自分の頭で考えるということを知らないんじゃないかと思う。もしくは、考えた末に何も出てこないか。自分の意見を表明したり、言語化するのが苦手、というよりも、空っぽな感じがする。意見が元から何もない。

僕も全然興味がない分野の映画を見たりして、おもしろいつまらないどころか、なんにも感想が持てないことがある。なんだったのこれ、自分にはピンとこなかった、って僕なら言う。でもその人は「おもしろかった」などと言う。この人のおもしろいって言葉はなんなの、と思う。

その人は、好きなものが全然見えてこない。感動とか本当にするのかな?僕は何度か泣いている場面に遭遇したことがあるんだけど、なんていうか、他人がこういうふうに言うのは本当によくないと思うんだけど、涙が軽い。徳光和夫か、探偵ナイトスクープやってた頃の西田敏行かと思う。

その人は勉強ができて、仕事もできる。運動もできる。見た目もよく、友達も多い。けれど壊滅的につまらない。自分を肩書や属性で語ろうとする。何かそういうわかりやすい属性がついていると、自分のアピールになると思っているのかもしれない。でもよく話してみると、深みがない。その分野、本当に興味あるの?と思ってしまう。ノリと雰囲気しか感じない。もしくは箔がつくと思っていたのか。まさに箔でしかなかったようだ。

または、自らの能力を生かして、役割で自分を語ろうとする。僕なんかよりよほど有能で、得意不得意はあれど、どの現場でも何らかの形でだいたい重宝する。個人としての面白味には欠けるけれど、人脈もあって役に立つ人間だ。だから初対面なんかでは、この人はきっとプライベートでもユーモアがあって魅力的な人なんじゃないか、と勘違いされる。人の悪口が長くなってきた。

おもしろい人除外認定は、わりとはっきりしている。虚勢を張る人は、まず除外される。雰囲気だけの人とかも除外される。おそらく世の中には、実態や本質よりも「〜風」が重視される場があるのだろう。それは飽くまでおもしろ風でありおもしろい雰囲気であって、おもしろくはない。傾向として、何事もおもしろいおもしろい言う人ほど全然おもしろくない。

個性というか、本人性を感じない人も除外される。その人の要素を感じないということは、別の人、もしくはロボットのような物体と会話をしていることとそんなに変わりがない。世の中には薄味が好きな人もいるだろうし、だいたい人に対しておもしろさなんか求めていない、それこそ役割や能力重視っていう人だっているだろう。僕がそうじゃないというだけで。

思春期に好きだった、今思い返すと恥ずかしいもの

なんか人にはそういうものがあるらしい。いわゆる黒歴史になるようなもので、かつて好きだったことも今は言えないとか。自分もあるかなと思ったけれど、あまりない。ないというか、かつてあったかもしれない。今となっては全然ない。

例えば、尾崎豊、NIRVANA、太宰治。このあたりは10代の頃好きだった。それを一時期恥ずかしいと思ったことがあったような気がする。20代の頃だっただろうか、忘れた。今となっては、かつて好きだったことを恥ずかしいと思わない。なんなら今でも好きだと言える。

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通は回帰線

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レコードほしい

尾崎豊もNIRVANAも、よくカラオケで歌っていた。今でも歌えると思うけど、10代の頃は当事者のような気持ちで歌っていた。あの頃に知れたことが、今振り返っても良かったと思う。多分太宰治とか、今読んでもそんなに心を掴まれない。どうだろう、長らく読み返していない。

10代の頃は全集の存在を知らず、青空文庫も知らなかった。太宰治は新潮文庫を新品で全部集めた。ブックオフで買うこともしなかった。当時はやはり、「斜陽」「ヴィヨンの妻」「正義と微笑」あたりが好きだった。僕は今でもサリンジャーが好きであることを公言していて、多分それは一部の人からすると、恥ずかしいことなのだと思う。「ライ麦畑でつかまえて」は子供が読んで喜ぶものだと。

読むだけならタダです

映画はコミカルでした

これらの作品に共通しているのは、青臭さ。若者の悩み。太宰治は40手前まで小説を書いていたけれど、終生青臭さが抜けなかった。読者か弟子かに「どうやってこんな子供の心理を書けるのですか?」と聞かれて「精神が子供のままだから」とかなんとか答えたエピソードがあったような。

若い頃はそれこそ当事者として、それらに親しんでいた。今となっては、はっきり言って心の底から同意できない。しかしそこに、かつての自分の姿を見てしまう。それは恥の対象としてではなく、懐かしさや、失くしてしまったものを悔やむような、そういう気持ちのこもった目線で眺めている。

若い頃に好きだったと、公言できないもの。強いて言えば2chかなー。

夢で見る自分の姿

寝て見る方の夢です。人の夢の話を聞くのが何よりも嫌という人が世の中には一定数いて、これからその話をします。僕はよく、同じ夢を見る。内容が全く同じという意味ではなく、夢の中で、いつもの標準的な自分の姿を見る。夢の中の僕は、途方に暮れていて、貧しくて、一人で、明日をも知れない生活をしている。いつも同じ。

例えば昨日見た夢。僕は日本に帰国したばかりで、地元の駅にいた。年齢は30代、荷物はバックパックが全て。これからどこに泊まるか考えている。今さら実家にも帰れず、でもお金がないから最終的には帰るしかないのかと考えている。

とりあえずどこか泊まるところを探して、働き口を見つけ、その日暮らしにしても、生活費を手に入れないといけない。知り合いのつてを探している。誰に相談できるだろう。やりたい仕事とか、やりたくない仕事とか言ってられない。今手元にあるお金で何日もつだろう。夢の中で僕は、妹に連絡を入れていた。実家から何か自分の荷物を持ってきてもらっていた。

こういう生活が長かった。貯金を切り崩しながら、毎日最低限の出費で暮らす。なるべく家賃の安い部屋に住み、バイトをして、この次にどうするか考えながら今をやり過ごす。意味も目的も発展性もない時間。ただ暮らすだけ。飽きると場所を変えていた。同じことが続くだけなら、この先に展望などなくてもとりあえず行ってみるかと思って、次に進む。その繰り返し。

最初に、先がないというか、先に望むことが何もないなと思った。それから月2万5千円の部屋で、何もせず毎日ダラダラと暮らしていた。ときどき少しだけバイトをした。本当はもう少し続けるつもりだったけれど、このまま同じことを続けても退屈だと思い、半年で切り上げることにした。人生で一番自堕落な半年だった。

それから初めての土地に来た。ここからどうするか、いろいろ調べた。とりあえず安いところに寝泊まりして、バイトを探した。特殊技能があるわけではなく、どこも雇ってくれなかった。募集自体が少なかった。その間もっと安いところに引っ越した。2ヶ月ほどただバイトを探し続けた。

ネットで見つけた、寮付きの肉体労働のところへ行くことにした。今度は郊外へ引っ越し。そこでまた初めてのバイトをする。怒声を浴びせられ、うんざりされ、我慢しながら努力して仕事を覚えた。めちゃくちゃつらいわけではなかったけれど、やはり退屈な日々だった。心身と時間を摩耗していた。半年続けた。

次に何をするとか、あてもなくバイトを辞めて寮を出た。また別の街に引っ越した。バイトを探して、トライアルを受けるが全然できない。自分はもともとデスクワークしかやってこなかったから、手を動かしたり急がなければいけない仕事が何もできない。潰しが効かない。このままだと肉体労働で貯めた貯金を切り崩すだけになる。

別のことをやろうと思った。前々から少し考えていたけれど、引き伸ばしていた。もう他にやることがない。実家に帰り、次のことを始めるまでいさせてもらえるように頼んだ。説明会へ出向き、勉強して、面接を受けた。二次面接へ進み、落ちた。

とりあえず目の前の目標として掲げたものに届かず、でも他にやることがなく、もう一度受けることにした。今度は一次選考で落ちた。実家に居座って二度の選考期間が過ぎ、1年が経っていた。毎日酒ばかり飲んでいた。そろそろ働いてくれと言われ、バイトを探した。何もできない自分にもつとまる、居るだけでいいバイトが見つかった。一人で生活できるほどの給料は出ないため、実家から通った。

親からはもうあきらめろと言われたが、あきらめても他にやることがない。三度目を受けた。前回、前々回の傾向と対策を練った。その期は応募人数が少なかったおかげで通った。1年続けたバイトを辞め、2年居座った実家を出た。研修に入り、ひたすら勉強が始まった。

それは僕に向いているとか、やりたいとか、そういうことではなかった。とりあえずそちらに進んだからやるだけ。ただ目の前のことに取り組んだ。特に優れた成果は出なかった。あいかわらず意味や目的もない。その場しのぎ、続けられなくなったらまた次を探す。その繰り返し。これが3年前のことで、今はもうその現場にいない。

そういう生活をずっと続けてきた。思い返せば、子供の頃からずっとそうだったんじゃないか。僕にとって生きるということは、こういう無為な時間を過ごし、また繰り返していくことだった。その間作っては崩し、作っては崩し、何一つとして積み上げてこなかった。

知り合う人はその場限りの付き合いで、次の場に移れば連絡を取り合うこともない。すぐ疎遠になった。お互いがその存在を忘れていった。その場限りの意味や目的や人間関係は、その場限り以上のものにはならなかった。

会社員を辞めるとき、偉い人から「これからどうやって生きていくのか」と聞かれた。サラリーマンとして転職しないことを伝え、この先のことはわからないと言った。僕自身が本当にわからなかった。わからない、ではいけないのだろう。でも僕は彼らと違って、嫁も子供もおらず、責任はないと思っていた。

今は一旦落ち着いている。かろうじて生活できている。目先のことを考え、お金を貯めたりしている。いつまで続くかはわからない。今の落ち着いた状態がずっと続けばいいと思っている。それでも寝て夢の中で見るのは、馴染みのある毎日。僕は途方に暮れていて、貧しくて、一人で、明日をも知れない生活をしている。それが本来の自分の姿なのだと思う。

今読みたい本、気になる本を片っ端から挙げていく

本を読むのが遅い。読んでる最中にどんどん気になる本ばかり増えてきて、収拾つかない。最近はあんがいInstagramを見ていて読みたい本が出てくる。中身には何も触れられないんで、ほぼ装丁のみの判断だからなかなかその先には至らない。ちゃんと紹介したりはしない。ただ片っ端から挙げていくだけ。

  • 謎ときサリンジャー:「自殺」したのは誰なのか|竹内康浩・朴舜起
  • BRUTUS 村上春樹特集
  • 何もしない|ジェニー・オデル
  • 最後に残るのは本
  • 資本主義と闘った男―宇沢弘文と経済学の世界|佐々木 実
  • ユリシーズ|ジェイムズ・ジョイス
  • 完全な真空|スタニスワフ・レム
  • 愛についてのデッサン|野呂邦暢
  • 百年の孤独|ガルシア・マルケス
  • ケンタウロス|ジョン・アップダイク
  • ザ・ロード|コーマック・マッカーシー
  • ビルマの日々|ジョージ・オーウェル
  • 真夜中の子供たち|サルマン・ラシュディ
  • うろん紀行|わかしょ文庫
  • ことばの途上|岩瀬崇
  • 心臓を貫かれて|マイケル・ギルモア
  • THIS ONE SUMMER|マリコ・タマキ作/ジリアン・タマキ画
  • 地球の歩き方的! 世界なんでもランキング
  • 愛の台南|川島小鳥
  • 世界|佐藤健寿
  • 写真集の本 明治~2000年代までの日本の写真集 662
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