1995年とCANDY GIRL

先日ラジオから聞こえてきた女性の声が「私たちの世代は渋谷でCANDY GIRL踊ってたんだよ」と言っていた。そんな言葉だった気がする。気のせいかもしれない。CANDY GIRLとは小室哲哉作曲、hitomiという女性歌手が歌い、作詞もしていた曲だ。発表されたのは1995年。

CANDY GIRL

この曲は当時大ヒットを飛ばしたというほどではないが(オリコン15位)、時代のアイコンのような曲だった。僕自身は特別好きだった曲というわけではなく、特に思い入れがある曲でもない。1995年当時、僕はまだ小学生だった頃に、この曲が街で流れていたことを覚えている。hitomiが歌っている姿をテレビで見たことも覚えている。プロデューサーの小室哲哉は当時、一世を風靡していた。trfや安室奈美恵など、小室哲哉プロデュースのグループやシンガーは小室ファミリーと呼ばれ、日本の音楽シーンを文字通り席巻していた。

当時hitomiは18歳だか19歳だったと思う。CANDY GIRLの詞を書いたのは17歳の頃だそうだ。小室哲哉はhitomiを「森高千里と尾崎豊をミックスして2で割った感じ」と評していた。さて、その歌詞とは、曲はどんなものか。小室サウンドがもっとも輝いてる曲の一つとも言われる、hitomiの「CANDY GIRL」お聞きください。

音はともかく、歌詞はパッと聞いただけであまり意味がわからない。この曲は、音だけでなくその歌詞も雰囲気も含め、1995年という世相をよく表していると言われている。

1995年

1995年がどういう年だったか。まずはWikipediaで見てみよう。

1995年の日本 - Wikipedia

太平洋戦争終戦から50年。まず、年初に阪神淡路大震災があった。春には地下鉄サリン事件があった。歌手のテレサ・テンが亡くなり、ドラゴンボールの連載が終了し、Windows95が発売された。フランスは核実験を行った。前年までルワンダ内戦があり、ボスニア紛争は続いていた。流行った映画は「マディソン郡の橋」「トイ・ストーリー」「セブン」。セガサターンとプレイステーションが発売された。K-1グランプリが流行っていた。

1995年のオリコンシングルTop1位はドリームズカムトゥルーの「LOVE LOVE LOVE」、2位が小室哲哉と浜田雅功の「WOW WAR TONIGHT」。CANDY GIRLは年間チャートの50位以内にも入っていない。それでも時代を象徴する曲だと言われており、その感じはやはり、曲を聞けば納得する。ミュージックビデオを見れば実感する。歌詞からもなんとなくにじみ出ているような気がする。当時を生きた人にしかわからないかもしれない。なんだったら、もう一度聞いてみよう。

思うところありましたでしょうか。それでは再び、1995年とはどういう年だったのか。

1995年、世の中は滅びの様相を呈していた。有効求人倍率1以下の就職氷河期に入ったばかり。超円高で、円が 1ドル=79.75円を記録した。女子高生が肌を焼き、制服にミニスカート、ルーズソックスといういでたちでコギャルと呼ばれた。援助交際という名で売春が行われた。世の中には厭世観が漂っていたんじゃないだろうか。

1995年とCANDY GIRL

しかし同時にこの曲である。CANDY GIRLは厭世的とは程遠い歌詞とメロディー。世の中の暗さなんて他人事と言わんばかりの、若い女性の鋭角なエネルギーが踊っている。呼びかけているようであり、時代を満喫しているようであり、不満を投げかけているようでもある。

私は世界中でたった一人前向きだよ もっと楽に生きていきたい

17歳。自分はなんでもできると感じる。同時に、世の中のことは右も左もわからない。街はきらびやかで、退屈で、華やかで、薄汚れていて、気分次第でどうにでもなり、自分次第でどちらにも転ぶ。舞台がある、チャンスがある、自信もある、でも自分と世の中をどう結びつけていいのかわからない。だから、

Do you want Do what you want CANDY GIRL! さあ声かけてね

都会的な若い人の心理って、今も昔も変わらないと思うんだけど、生まれた時代そのものは全然違う。この歌は決して1995年を励ます歌ではなく、そんな世の中の空気を感じながらも、自分なりのエネルギーと可能性を全面に街に出かけていく東京の女子を彷彿とさせるような感じがする。時代に対する当時の若い人の反応を乗せているような、そんな歌。

hitomi推しとかでは全くないんだが、hitomiももう40オーバーだ。若い頃よりも小室フィーバーが終わった後の2000年代に活躍し、その後最近の活動は全然知らないが、今でも十分に輝いているのだろう。しかし、CANDY GIRLだったあの頃のhitomiとあの時代は、今思い返しても格別にマッチしていた。なつかしい…ただあの頃がなつかしい。

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このジャケットも格別に良い

この曲はSUNNYっていう映画にも出てくる。見てないんだけど見たい。

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当時僕は何をしていたか。小学生だったんで、音楽とか聞いていた。J-POPは盛り上がっていた。中学受験のために勉強とかしていた。世の中の暗いムードなどはあまり感じていなかった。というか、それが当たり前だと思っていた。景気のことなんてまだ何も知らなかった。失われた20年も始まって5年、世は終末ムードとお祭り騒ぎが同列に進んでいた。今はそういったお祭りの元気すらなくなり、いよいよどうにもならない雰囲気が漂っている。

ワイヤレスイヤフォン素人が最近知ったあれこれ

アトロクでワイヤレスイヤフォン特集を聞いて以来、少し調べている。知識ゼロからのスタート。eイヤホンが配信している初心者向け動画みたいなのを見たが、これがやっとわかるようになった程度。この内容は全くの初心者には難しかった。

  • 充電時間とワイヤレスのジレンマ
  • 連続再生9時間も登場
  • 連続再生時間は気にする必要あるのか?
  • ただ音楽を聴くだけじゃなく
  • 知らないブランドだらけ
  • デザイン性の問題
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ワイヤレスイヤフォン最新情報(アトロク)を聞いた

アトロクでBluetoothのワイヤレスイヤフォン特集をしていた。中野ブロードウェイのオーディオショップ「フジヤエービック」の根本圭さんを迎えてとのことだ。

冒頭でパーソナリティのライムスター宇多丸も山本アナウンサーも同じBOSEのSoundSportを使用していると話していたが、今回ここで紹介されたのはそんな有名機種ではなかった。

ラジオを聞いていてそれらの商品の見た目も含め、詳細が知りたくなったから調べてみた。

  • ゼンハイザー MOMENTUM True Wireless
  • Master & Dynamic MW07
  • Bang & Olufsen Earset
  • (補足)AirPods売れてますね…
  • (追記)もうちょっと詳しく調べた
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手帳が続かない人へ、トラベラーズノートの使い方

1月に入り手帳買い替えシーズンは既に終わっている。そんなあなたに!まだ買えていないというあなたに!僕は紙の手帳というのをずっとやめていたんだけど、去年からトラベラーズノートを使い始めた。これは手帳ではない。ただのノートだ。最近アトロクでも言われていたが、スケジューリングなど具体的な予定管理はGoogleカレンダーのほうが楽だ。曖昧模糊としたアイデアや予定は紙の手帳に記入するほうがまだ使いやすいそうだ。

  • 手帳が続けられない人向け
  • 半年以上経過
  • 使い方は自由
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村上春樹の文章はなぜこんなに読みやすいのか

今、新潮文庫の村上春樹「雑文集」を読んでいる。つねづね思ってきたことだけど、村上春樹の文章は読みやすい。非常に読みやすい。なぜこんなにも読みやすいのだろう?村上春樹の文章は、食べ物で例えるとうどんだろうか。味が濃すぎるわけでも飲み込みづらいわけでもない。体調が悪いときだってツルッと完食できる。ダシがきいていて体に優しい。いつなんどき食べても喉を通る。村上春樹のエッセイは、小説よりもさらにその傾向が強い。精神的に余裕がないとき、難しい本とか映画とか摂取する気力がないときでも、村上春樹のエッセイなら気軽に手を出せる。咀嚼して、抵抗なく飲み込むことができる。これが他の本だとなかなかそうはいかない。ドストエフスキーなんて1ページももたず投げ出してしまう。ヘヘッ!!(フョードル・カラマーゾフ風)

その違いはなんだろうか。ドストエフスキーは翻訳だから、元の言語から変換されている分不自然な言葉遣いになっているということはあるだろう。時代背景も違う。文化的差異もある。そいうのを差し引いても、村上春樹の文章は読みやすい。同じ年代の日本語作家と比べたって読みやすいはずだ。おそらく。言葉遣いなのだろうか?村上春樹はときどき全然知らない言葉を使うから、簡単な言葉ばかり使っているということでもない。文章量だろうか?村上春樹は決して文章が短く簡潔というわけではない。長編に至っては上下巻あることも珍しくない。しかし、それでも物語がするすると前に進んでいく。長さを感じさせない。1Q84はさすがに長かったが。村上春樹の文章は軽快である。軽いのだ。粘着性がない。重みを感じない。大変なことを語っていても、下手すれば素通りする。しかしその軽さが、さくさく読み進めることができる理由だろう。

村上春樹は難しい言葉を使うこともあるけれど、文章そのものは平坦で引っかかりが少ない。飲み込みやすいとは、引っかかりが少なくすんなり飲み込んで消化できることを意味する。それが栄養分として吸収できるかどうかはともかく。村上春樹の文章に引っかかりが少ないのは、悪い言い方をすればまわりくどいからだろうか。いい言い方をすれば丁寧なのかもしれない。あたりを広く見渡して、情景をしっかりと描写する。それが回りくどいと感じる人だっているんじゃないか。しかしそんなものはサラッと読み進めることができ、わかりやすい情景だけが頭に残る。だから文章量が多くとも長くは感じない。読むことに体力を使わないのだ。

今読んでいる村上春樹の「雑文集」は、死んだ作家であれば書簡集になるような、人の本のあとがきだったりそういうものを集めた本だ。こんな本をわざわざ買うのは村上春樹ファンぐらいだろうか。そうでもない。どんなときだってお腹に優しい文章としてすんなり飲み込める村上春樹の本は、さながら病院食、おかゆのようである。旅行が好きでなくても旅物エッセイを読めばおもしろいだろう。「雨天炎天」とか。小説は好き嫌いがあると思う。「ノルウェイの森」とか。ファンだったらやっぱり「村上さんのところ」あたりも押さえているのか。僕が感想を書いている小説以外の村上春樹は、対談集は「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」ぐらい。

本題の、「村上春樹の文章はなぜこんなに読みやすいのか」答えがある人は教えてください。

KAWAZOI - 読書メーター

iPhoneでみんな書いてるのか

iPhoneで入力するとなると手打ちよりも音声入力が楽かなぁと思って音声入力で書いてみるテスト。しかし音声入力で書くとなると場所を選ぶ。電車内などは当然無理だろうし、屋外はやっぱり厳しいかなという認識がある。デバイスはiPhoneを用いているけれど直接入力するよりもGoogleドキュメントの方が精度が高いと言われているから、はてなブログに直接書くよりは一度Googleドキュメントに落としたほうがいいのかなとも思っている。ただしGoogleドキュメントはオンラインのサービスだからその都度ウェブに接続しないといけない。ウェブ環境がイマイチのためGoogleドキュメントがどれほど使えるのかわからない。

Google時メント

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ここからGoogleドキュメント。どうやらオフラインでも使用できるようだ。iPhoneアプリのGoogleドキュメントを使っている。Googleドキュメントと言っても、時メントと書かれてしまう。はてなブログに直接音声入力するのと 誤字において特に差はなかった。音声入力をうまく活用するtipsがあるのだろうか。そもそも音声で文字入力する位なら初めから音声をアップロードすればいいじゃないかというのが自分の主張だった。音声を聴くというのもメリットがありデメリットがある。イヤホンがなければ外では聞けないし時間が縛られるということもある。

入力する側としては手軽なのかそうでもないのか、今のところまだ慣れないからよくわからない。自分はどちらかと言うとあらかじめ書くことを考えてと言うよりは、書きながら考えることの方が多いからキーボードを叩きながらあれこれ考えていたことを音声入力にシフトするとなるとだいぶ勝手が変わってしまう。

音声入力は実際どの程度利用されているのだろう。文章を見ただけで入力との違いを感じるのだろうか。とにかく自宅でないとこの作業はできないなぁというのが実感として強い。しかし僕がカナダに滞在してた頃は、イヤホンマイクに向かって話しかける人と言うのは珍しくなかった。現在では日本でもありふれた光景のように思える。特に入力となると画面を見ながらの作業になるため、イヤホンマイクで通話するほど見た目としても違和感ないかもしれない。もしくはそんなことを気にしなければいいだけで。しかし今使っているのはイヤホンマイクでもなく、iPhoneに直接話しかけているイヤホンの方が音は正確に拾うのだろうか。句読点などは皆どうしているのだろう。。とかいちいち言うと入力してくれるが、違和感ある。例えば・などはなんて言えばいいのだろう。点と言えば、が入力されるしその辺は手入力で修正するしかないのだろうな。

果たしてこれからも音声入力を使うのか?

今は首都にいるのだけれど、この辺りはやたらと蚊が多くトイレにいてもリビングにても蚊に刺される。そんなこんなで特に中身のない日記となってしまった。今日Kindleの音声読み上げを利用してみたが、カーナビのような音声で聞く気になれなかった。カーナビといっても現代では通じないのだろうか。Googleマップと言った方が通じるのか。さて、アプリのはてなブログで音声入力しているわけだが、普段手入力ではMarkdownを用いている。iPhoneアプリではMarkdown になるのだろうか。デフォルトの設定はMarkdownにしていたはずだけど。今Macで開いてみたら、見たままモードであった。音声入力が快適だと思えるまでにはまだまだ壁が厚そうだ。Mac上では確かにGoogleドキュメントなのかもしれい。iPhoneのようにキーボード画面にマイクボタンがあるわけでもなく、いつどのタイミングで音声入力が動作するのかわからない。音声入力は、メモ書きや下書きにいいのかもしれない。

年の瀬サクサク日記

去年の今頃は何をやっていただろうか。年末になって日記を書くとき毎回思うのは、去年の今頃のことだ。おととしは、その前の年は、毎年その時期をどう過ごしているのか。去年は映画ばかり見ていたから、映画にまつわる日記をたくさん書いていた。今年は去年ほど見ていない。

正月ではあるが、関係性について振り返ったりしていた。

  • 勝間和代が趣味路線に走っている
  • Spotifyプレミアムを契約した
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今年見た映画(2018)

本に引き続き、映画も今年は前半しか見れなかった。後半は気持ちの余裕がなくて。今年からFilmarksで記録してたおかげで、ふりかえりは楽になっている。今年見た映画は41作品。去年の48作品からそこまで減ってはいないが、本と同様感想を書くことは減った。気持ちの余裕がなくて。重く真面目な映画を見る気力がなく、軽いエンタメ映画ばかり見ていた。Netflixで映画を見るようになったが、今年の前半には映画館にもよく足を運んでいた。途中から日本を出たため行かなくなった。

  • 特に印象的だった映画
    • エンドレス・ポエトリー
  • 今年見た映画
    • 洋画
    • ドキュメンタリー
    • アニメ
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「行商人に憧れて、ロバとモロッコを1000km歩いた男の冒険」感想・書評

まとめサイトから出版された本。旅行の気分を盛り上げるために買った旅モノで、一人の男性が冒険旅行に目覚める経緯と、その冒険譚を書き記したもの。少し前に話題になった。冒険とは言うが、体験に近い。何か具体的な目的があるわけでなく、この本でメインとなるのはモロッコを1000km移動することそのものを目的としている。何かものすごい場所に行くわけではなく、ものすごい物事を発見するわけでもなく、ただロバにリアカーを引かせて長距離歩くことがやりたかったらしい。こういうのを冒険と言うのか。自分の旅行者カテゴリでも冒険者に該当する。

  • そのやる気はどっから湧いてくるのだろう?
  • 生活の一部なのか
  • 「ペット好き」+「旅好き」には天国
  • web版は無料で読める
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今年読んだ本(2018)

端的に言って、本を読まない年だった。たった21冊。去年が45冊、一昨年が35冊であることを考えると極端に減っている。月一冊以上の計算にはなるが、序盤に集中しており後半はほとんど読んでいない。感想は6冊のみ。なぜこんなに本が読めなくなったのかというと、忙しくなって余裕がなくなったから。時間の余裕というよりは気持ちの余裕が。4月頃から著しくペースダウンした。そんな数少ない読んだ本の中から、一応今年も読んだ本をまとめよう。

  • 特に印象的だった本
    • ディアスポラ
  • 今年読んだ本
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Netflixで何見ていいかわからない人へ【2018冬】

急に思い立ってNetflixばかり立て続けに見ていた。最近の作品から少し前のものまで、気軽に見れるようなものを。今外国にいるため、日本にいたときよりも見られる番組が限られている。

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    • アメイジング・スパイダーマン
    • メン・イン・ブラック3
    • バスターのバラード
    • キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン
  • ドラマ
    • ラブ シーズン1
    • 私立探偵ダークジェントリー シーズン1
    • マスター・オブ・ゼロ シーズン1
  • アニメ
    • 僕だけがいない街
    • シドニアの騎士 シーズン1
  • 見たいもの
  • 過去に見たもの
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2018年11月のふりかえり

もう12月も一週間が過ぎた。忘れていた11月のまとめ。このまとめを続ける意味あんのかと思いつつ。11月の更新は9回、うち1回が写真回ということで先月とほぼ同じ更新回数だ。ブログの更新回数が低迷しだしたのは4月ぐらいからで、4月の更新は9回。その前の3月が19回だったから半減している。原因は研修が始まり忙しくなったことから。そこから今月に至るまでずっと低迷中。月間のふりかえりはもともと見た映画とか読んだ本を振り返る機会だったにもかかわらず、本や映画の感想自体を書かなくなった。だって本読めてないし映画見れてないから。

  • 読書
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  • ドラマ
  • その他
  • 過去のふりかえり
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これからのこととか

自分と相手とのことを定期的にここに書いているのは、ひとえに彼女がここを見てくれているからに過ぎない。他の方法で言葉を送ることだってできる。向こうは手紙を書いてくれており、僕が手書きで送り返してもいい。そのうちやるだろう。ただそれよりも、自分がより自分らしい手段で意思表示をする場として、ここを用いている。外に向けて発表したいからとかではない。たまたまこれを読んだ人からすれば、全く関係ない話が繰り広げられている。ただの個人的な事情。

けっこう真面目に、着々と話が進んでいる。帰国の暁には結婚となるように、子供を授かれるように準備を進めている。もともと自分が選ばれた基準として「結婚相手に向いているんじゃないか」という思いがあったそうだ。だから「初めに結婚ありき」で僕らの関係は始まった。付き合う前からそういう話をしていた。相手の人は、結婚というものを半ばあきらめていたところもあった。生涯独身で暮らす覚悟もあったようだ。しかし僕を知って「最適解かも」と思ってくれたらしい。

僕はというと、結婚というものが自分の人生に起こる出来事、生活形態としてリアリティを感じない。したいとかしたくないとか以前に、まともに考えたことがない。特に、結婚によって何かを背負うなんていうことは論外だった。自分に何かを求められるのは重荷でしかなかった。人間は生まれてから死ぬまで独りだと思っており、いつ死ぬかはタイミング次第だと思っている。

そんな自分のどこが結婚相手として最適なのか。一般的なことを言うと、まず僕は経済力がなく、定職もなく、年齢はそこそこ行っており、何か特別に秀でた部分があるわけではない。甲斐性がなく、結婚対象としてとても候補に挙がるようなスペックではない。そのような僕が彼女にとって「結婚相手に向いている」と思われた部分は以下のようなところだった。

  • 相手を大事にする
  • ストレスがない
  • 無欲

細かいことはもっとあるかもしれないが、大まかな部分でいうとこれぐらい。これらの要素が全て欠かせない、特筆すべき要素だったようだ。

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アフリカ黒人に何も思わなくなってきた

彼らのことを理解したわけではないし、知らないこともまだまだいくらでもある。ただ、「アフリカ黒人だいたいこんな感じ」というのは掴んできた気がする。つい2、3ヶ月前まではけっこう未知の存在だったけど、今となってはもう慣れてしまったところがある。アフリカ黒人の挙動に対して、もはや発見も驚きも違和感も覚えない。なんとも思わなくなった。日本で身近に住んでいたとしても「だいたいこういうやつ」って思って見てしまうだろう。

アフリカ黒人とは言えど、自分のいる国、地域の印象が強いため一概には言えないが、彼らは声がデカイ。デカイかと思えば、びっくりするぐらい小さな声で話すこともある。なぜかというと、メンタルに作用されるのだ。その精神状態で声のデカさが如実に変わる。怒鳴っているように聞こえても、ただ声がデカイだけのことも多い。彼らはやはり感情的であるように思える。日本人と比べてという話だが、陽気で人懐っこく、歌と踊りが好き。飯のことをやたらと聞いてくる。やたらと食う。

これらの要素はけっこうな人が備えている。勉強ができるエリートも、金持ちも、だいたいそういう要素を持ち合わせている。車を運転させたらぶっ飛ばすし、好きな曲が流ればすぐに踊りだす。日本なんかに来たら住みにくいだろうなーと思う。アメリカは差別さえなければ住みやすいんじゃないか。ヨーロッパはどうだろ、わからん。あと彼らの筋肉はすごい。特に筋トレも何もしていないのに、年寄りのおじいちゃんだってムキムキの体している。

彼らからは、計画性とか時間管理の概念を感じられない。その場で起こることを大切にしているように思う。話が長引いて、次の予定があったとしても決して話を切り上げたりしない。その場の流れや勢いを最も重視しているように思う。待ち合わせとかスケジューリングとか、彼らにはあまり意味がない。その時その時に眼の前にある物事を最重要視して行っているように思える。だから計画はコロコロ変わるし、予定は予定通りにいかない。予定通りに進めようという意思さえ見られない。

アフリカ社会はそういう人たちのつながりで成り立っているのだろうか。よくわからない。彼らは西洋化された現代文明とどのように向き合っているのだろうか。貨幣経済とはうまく向き合えているのだろうか。やたらとたかってくるけれど、金融の概念などはどうなっているのだろう。そのあたりにまで全く踏み込めていないが、アフリカ黒人が何やっていても驚かないし、違和感持たない自信はある。身近に感じられるようになった。

もともとアフリカ黒人に対して愛着があったり、偏見があったわけでもなかった。ただ黒人の友達がいなかったから、印象は少なかった。アフリカはやっぱり黒人にとっての天国であるように思える。なんたって、アフリカでは黒人がマジョリティで、黒人が当たり前で、黒人の天下だから、他の大陸よりは生きやすいだろう。日本人がアジアに戻ってくると安心する感じは彼らにも大いにあると思う。そこが安全であれば、あえてアフリカ大陸から出ることはない。貧しいかもしれないが、生きていけないことはない。先進国へ移って、物質文明に汚染されても何もいいことはない。

自分たちがどれほどの物を持っているだろう?金とか便利グッズとか、全然大したことない。バリエーションの豊富な食事とか、暇つぶし程度にしかならない。何も重要なことはない気がする。俺ら言うほど恵まれてもないぞ?

モバイルマネーをご存知ですか?

ケニアではMpesa(エムペサ)、タンザニアではWakala(ワカラ)というのが有名らしい。アフリカにいる人はみんな使っているモバイルマネー、聞いたことありますか?僕はなかった。

モバイルマネーとは、電話番号と連動したモバイルマネー口座にお金を預けたり送金したりできるサービスであり、電子マネーの一つの形だ。お財布ケータイのようなNFCや、wechatペイのようなQRコードが利用されているわけではなく、電話番号だけ。電話番号を用いた技術だから特別な装置を必要とせず、フィーチャーフォン(ガラケー)でも利用できる。

これ、本当にこっちの人みんな使ってる。

  • どうやって使うのか
  • 何が便利なのか
  • 僕の使い方
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