「わたしは、ダニエル・ブレイク」感想・評価

どうでもいいけど、ダニエル・ブレイクという名前はどこから取ったのだろう。007好きではないが、「ドラゴン・タトゥーの女」が好きな僕にとって一瞬ダニエル・クレイグがよぎってしまう。そんなどうでもいい話は置いといて。

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親との関係に問題を抱える人

多いんだなー。最近聞いた話が、みんな親との関係に問題を抱えている人ばかりで、20歳を過ぎてもずっと引きずっている。Twitterで見た話では、親子関係の不和って40を越えても50を越えてもずっと引きずるもんだとか言ってた。どうやらそういうもんらしい。

これまで他人の家庭について何も知らなかったが、周りにいる人たちの話を聞いたことで、自分の家であったり、親戚関係、親子関係がいかに順調なのか気付かされた。誰の話を聞いても、親戚どこか一軒は必ず揉めていたり疎遠になったりしている。絶縁していたり。自分は両親、祖父母、叔父叔母が全員京都で、近いため交流があるから親戚同士が仲いいのだと思っていた。そうでもないらしい。みんな親兄弟や親族でそんなケンカするもんなんだな。他人の家庭に口を出すもんじゃないが、正直大人気ない。でもそんな人たちが掃いて捨てるほどいる。人間なんてあまり大したことないみたいだ。

それも僕が問題を抱えていないから言えた話で、親族間、特に親との確執に頭を抱えている人は周りにたくさんいる。中でも幼少期における親からの愛情不足が、大人になっても自らを呪いのように縛り付けているケースが多い。それは本人に自覚があるとか、原因に心当たりがあるとかないとか関係なしに、背後霊のようにつきまとう問題のようだ。女性から聞くことが多いが、男性はそんな話を人にしたがらないからだろう。男性で言えば、ハラスメント型の人が典型じゃないかなあ。家族関係とは限らないが、わかりやすく何かしらの問題を抱えている。

親子関係がうまくいっていなかった人の呪いとは、どういう形で現れるのか。人間関係に現れることが多い。一例では恋愛やパートナー、家族関係に現れている。具体的に言うと、実親から得られなかった無償の愛を、パートナーや子供に求めてしまって相手に負担を強いたり、結果的に関係がこじれるパターンである。至極単純だ。相手に過剰な期待を寄せては、得られないと激怒したり悲しんだりする。相手は疲弊して離れていくか、引き込まれて病んでしまう。

彼ら彼女らは実親から十分な愛が与えられず、愛されるための努力をしたのだろう。しかし結果が得られなかった。もしくは愛されていたかもしれないけれど、うまく噛み合わなくて実感できなかった。そして恋愛対象やパートナーに対して同じことを求める。恋愛対象やパートナーに限らないかもしれない。近しい人、愛情が得られそうな人であれば誰からでも求めてしまうのだろうか。愛情飢餓って言葉があったから、そういう状態もあるのだろう。なぜか期待して当然、与えられて当然だと思っている。

このへんって学術的なまとめあるのかな。対策とかも。あまりにも似通った事例が多すぎて、一般化できそうな勢いだ。カウンセリングとかでそういう事例にぶち当たることも多いのだろう。アダルトチルドレンという言葉が昔流行ったが、あれに当てはまるのかな。機能不全の家庭で育った子供に見られる傾向ということで近いような気はするが、その昔何でもかんでもアダルトチルドレンで片付けられていたような気がするから、本当にそうなんだろうかという疑問も残る。

ただ身近な人に限って言えば、日常生活に支障をきたす程度ではない。健康な日々を営み、仕事もある程度うまくこなしている。親密な人間関係を築きにくい、同じ失敗を繰り返すという傾向があるだけ。これはアダルトチルドレン的な傾向があったとしても、カウンセリングや治癒が必要とまで言えないだろう。解決したほうがいい問題ではあるが、解決しないまま結婚なり家庭を築いている人も珍しくはなく、そのまま二次被害を引き起こしたり起こさなかったりしている。プライベートだけでなく仕事上でもあり、よくいるめんどくさい奴、困った人ぐらいにしか認識されていない。

いずれにせよこの手の悩みを抱えている人は多い。問題視も解決もされないまま事が運んでいくことも多いのが現状なのだと思う。この手の人たちは他人への期待が捨てきれなくて、無条件に褒めてほしかったり察してほしかったり認めてほしかったりする。パートナーはあなたの母親じゃないんですよ。そして、そういう人たちがこぞって言うのが、「認めてくれないんだったら、褒めてくれないんだったらパートナーなんていらない」という言葉。じゃあもう一生一人でいろよと思うが、そういう割り切りができれば万事解決。そうではなく、結局は都合のいい相手を強く求め続けている。

一般的に言う解決策は、自信を回復するとかインナーチャイルドを育てて大人にするとか。それをどうやるか具体的には一人ひとりに合わせた手段になるだろうから、一概には言えない。僕の場合は少し違った。僕、というのは、アダルトチルドレンだった自覚はないが、幼い頃に親に過剰な期待をしたこともあった。「なんでわかってくれないんだろう」とか。僕が人への愛情飢餓、過剰な期待から脱却した手段というのは、「あきらめる」ということだった。人をあきらめる。理解をあきらめる。期待を捨てる。

こういう話をするとよく、「あきらめたらもう絶望して生きていけない」と言われる。そこで死んでしまう人も本当にいるかもしれないから、安易には勧めないが、人をあきらめるということは、一人を自覚するということだ。自分が一人であるということ。それは紛れもない事実として眼前にある。しかし、彼ら彼女らはその事実が受け入れられず、存在しないものを期待して、あきらめきれずにいる。それを唯一の希望として生きている。それが感じられないと「寂しい」と言う。しかし現実は寂しいものだ。本人たちは現実の寂しさを実感しておきながらも、受け入れられない。現実逃避に走り、存在しない無償の愛かなんかを追い求め、人に期待して、要求して、関係を壊す。まるで中毒患者のように。

僕は他人(親兄弟を含む自分以外の人間)をあきらめてから、関係性にとらわれない一人の人間としての人生が始まった。だから僕が個人的に示す解決策は、自信を持つとかインナーチャイルドを育てるとかではなく、他人をあきらめる。自分とそれ以外の存在を、切り離して考えるところからスタートする。相手は私ではない。人間は孤独である。人生は一人で過ごすものだ。他人との関係は、たとえ相手が親であってもゼロから築き上げるもので、始めから期待したり、自ら期待に応えて、あたかも存在したかのように取り繕うものではない。寂しさ、絶望のその先にある現実を見据えよう。無償の愛という妄想に浸っていないで早く乗り越えてください。

※この文章が目に届く人のことは何も書いていないので、「私のこと書かれているかも!?」とは思わないでください。

何もしないで時間を過ごす

最近何もしないで時間を過ごすことが多い。本は全然読んでおらず、映画も見ていなければNetflixドラマも見ていない。ネットはほどほど、ソシャゲはまあまあ。写真も撮っていなければ、日記もあまり書けていない。少し前まで自分の活動と言えばコレ、というぐらい中心だった動きを、今は全く何もしていない。何をしているんだ一体。ラジオは聴いている。

宇多丸さんとかが多忙の中でも映画見まくっていたりライブツアー周りながら美術館寄って本も読んでドラマも見ているのはちょっと真似できないにしても、世の中には空いた時間を有効活用してコンテンツを確実に消化したり勉強したりしている人がいる。忙しさは言い訳にならない。というかそもそも忙しくない。じゃあ一体何しているんだ、やっぱり何もしていない。睡眠時間が長いかというと、そうでもない。7時間ぐらい。

暇っちゃあ暇なんだけど、時間はあっという間に過ぎていってしまう。夕食の間にドラマを見たりはする。最近見たのはAmazonプライムビデオのモダン・ラブで、今見ているのはザ・ボーイズ。それもまだ3話ぐらい。アイリッシュマンもマリッジストーリーも見ているから、追えている部分はある。ただそのあたりも本当に見ただけで、消化しきれていない。ダニエル・ブレイク見たい。家族を想うときを見に行こうとしている。

最近やっていることと言えば、去年レコードプレーヤーを買ってから毎日レコードばかり聴いている。レコード文化圏に入門したことになるが、なにせ自分は音楽に疎いため、あまり入り込めないだろうなーということは目に見えている。ことの発端は中古邦楽レコードが大量に手に入ったことで、数年前からシティ・ポップが流行っているから、この中にもお宝が埋もれているんじゃないか、と探し始めたのがきっかけ。

結局シティ・ポップは見当たらなかったが、1枚2万円ぐらいで売れたレコードもあった。転売ヤーではない。

何もしないで時間を過ごすのは、それはそれで良いと思えてきた。このまま年をとってしまってもいいだろう。その一方で、時間を目一杯使って文化を咀嚼吸収したり、活動に勤しんで視野を広げたり世の中を体感したり、メキメキ腕を磨いている人がいる。それも良いと思います。ただ自分は今そういうタイミングではないのだろう。

自分がない人

ときどき「川添さんは自分を持っているから〜」などと言われることがあって、自分を持っているってなんだ?と思う。いわゆる「自分を持っている」という言葉の意味として、自分の意見があるとか、自分の主義主張があるとか、自分なりのやり方があるとかそういうことなのは理解できる。「他人の意見に流されない人」とかそういう意味で言っているのだろう。

「自分の信念を持って行動する人」って言い方をするとなんか持ち上げられているような気もするが、「融通の効かない人」とか「人の意見を聞かない人」といったとらえ方もある。自分を持っていることが、一概に良いことだとは言えない。

じゃあ「自分を持っていない人」とはどんな人なのか。自分を持っていないとは、人の意見に流されやすく、自分の意見が乏しい人、ということになる。もしくは自分の意見があったとしても、裏付けに乏しく、コロコロ変わる人とか。確固たる思想体系がなく、首尾一貫していない人が、自分を持っていない人にあたるのかもしれない。良く言えば臨機応変。こだわらない人ってことになるのか。

僕自身はこだわらない人間であろうと努力しているつもりなんだけど、それが既にこだわっていることになるのかな。臨機応変は確かに苦手だ。柔軟性もなく、頭は固い。でも自分では影響受けやすい人間だと思っている。影響を受ける分野や方向性が限られているのかな。だったらやはり融通が効かないのか。

知り合いの「いいねいいねそれ採用」とよく言ってる人は、同時にこだわりも強い人であるように見えて、臨機応変かつ自分を持っていると言える。真逆のことを採用したりはしていないってことなのかな。意見を変えつつも、根拠がしっかりしていれば「自分がある」と言えるのかもしれない。

僕が個人的に思う、「自分を持っていない人」とは、自分が何を良しとするか、何が好きで嫌いなのか、自分はどうしたいのか、しっかり把握できていない人のことだと思う。自分のことは自分でわかっているはずなんだけど、整理が行き届いていないから、ときどき自分とは違う意見を取り込んだり、迎合したりすることもある。

自分の意志や好みがあるにはあるんだけど、それをクリアにしてこなかった、つまり、自分に向き合ってこなかったことが、「自分がない」と評価を受ける理由なのだろう。

そういう話を奥さんにしていたら「自分に向き合えない人も多い」という答えが返ってきた。「自分に向き合わないことで自我を保っている」という意味だそうだ。例えば、自己矛盾に向き合ったり、なぜ自分がそうなっているのか核心に触れてしまうと深く傷つくから、防衛的にあえて自分に向き合わないようにしているとか。

「自分がない」とは、言い換えれば「他人がある」ということだ。自分よりも他人を優先して、他人のために尽くせるんだったら、それは素晴らしいことなんじゃないか。

「自分って何だ」というよりは「自分はどう思うのか」なのだろう。子供の頃、先生や大人に怒られたときによく「自分はどう思うの?」と聞かれた。例えば、誰かとケンカして泣かせてしまったときとか、悪いことをしたときに反省の色を伺うために「君は今どう思っているのか?」というような質問をされる。

ここで正直に「うるせえなと思う」などと答えると、反省の色なしと判断されて余計に怒られてしまう。でもここで本当に「自分はどう思うのか」を答えられる人は「自分がある」人だ。もしくは、めんどくさいから反省しているフリをして「悪いと思っている」と答える人もちゃんと自分がある。本当に悪いと思っている人は、そもそも「君は今どう思っているのか?」なんて聞かれない。既に反省の色が出ているからだ。

じゃあ自分がない人はどう答えるのか。もちろん「悪いと思っている」と答える。同じ「悪いと思っている」と答えた、「めんどくさいから反省しているフリをしている人」とは何が違うのか。それは、動機が違う。反省しているフリをしている人は、「めんどくさい」が動機だ。しかし、自分がない人が「悪いと思っている」と答える動機とはなんなのか。それは、訊ねた人へのご機嫌取りである。「他人がある」のだ。自分の意志よりも、他人のご機嫌が尊重され、選択され、採用されるから、結果的に「自分がない」人になる。

では彼らがなぜそんな選択をするのか。それは他人に気に入られたいからだろう。「自分」よりも「他人」に気に入られたいため、「自分」よりも「他人」の意見を優先する。結果、「自分」は「他人の意見」によって塗り固められた存在になり、「自分の意見」がないがしろにされる。なぜそんなに他人に気に入られたいのか、その他人とは一体誰なのかは知らない。

僕が「自分を持っている」などと言われるのは、人の評価に疎いからなのだろう。「自分がない」と言われる人は、いろんな人から好かれやすいんじゃないかな。

結局成人式は昨日だったのか今日だったのか

朝から何度も振り袖の人を見かけた。昨日も見かけた。そういえば、成人の日は15日じゃなくなったんだっけ。成人式自体は昨日行われたのか、今日行われたのか、どっちなんだ。どっちでもいいけれど郵便局に用事があって、今日行こうと思ったらやってない。近くの郵便局は土日が空いてないから、月曜日に行く予定にしていたのに、わけもわからず月曜日に祝日持ってこられて毎回月曜日も休みになってしまい予定が狂うからめっちゃ困る。こういう無駄な三連休とかなくして、早く1ヶ月単位のバケーションを導入してください。みんなが一斉に休むのは土日と正月だけでいい。

しかたなく、土日祝もやっているちょっと遠くのでっかい郵便局まで行った。みんな僕と同じような事を考えていたのか、窓口は3つも空いているというのに行列ができていた。

他の郵便局が閉まっているから、ここに殺到しているのだろう。行列が少しずつ前に進んでいくと、窓口の一つがいつまで経っても入れ替わっていないことに気づいた。外国人がでっかいダンボールを持ってきており、郵便局員と意思疎通ができていない。どうやらタイ人のようで、自国に荷物を送ろうとしているが、局員はリチウムイオンバッテリーが送れないとかどうとかずっと言っている。

自分の番まで窓口が回ってきて、受付はあっという間に済んだが隣のタイ人はいまだに手続きが進んでいない。あまりに見かねて「手伝いましょうか」と間に入っていった。ここでタイ人が英語話者じゃなければ僕だって何もできないんだけど、さいわい英語を話す人で助かった。タイ人は自国へ荷物を送るための伝票を持ってきていたが、何をどう書いていいのかわからなかったようで全然埋まっていなかった。

必要な箇所を一つ一つ説明して、項目を埋めてもらった。航空便なのか、SALなのか、船便なのか、それぞれ料金はいくらなのか、どれぐらいで向こうに着くのか、荷物の中身はなんなのか、価格はいくらなのか、そんなやりとりをしては伝票を埋めてもらっていた。送るものはiMacで、リチウムイオンバッテリーなど入っていなかった。手続きはものの数分で終わった。郵便局員からはなんかお礼の品をもらい、タイ人からもお礼の言葉をもらった。

なんでこんな間に入ったかというと、カナダにいた頃に郵便関連で、カナダ人に助けられたことがあったからだった。当時日本から僕宛に送ってもらった荷物が、誤配されてしまった。カナダポストに電話するが、英語でなんて言っていいかわからず、英語で電話のやりとりも難しかったため、カナダ人の友人に内容を説明して、代わりに電話してくれないかと頼んだことがあった。彼女はすんなり了承してくれた。他にも外国で現地の人に助けられた経験は数え切れないほどある。

それら全て、そういった手助けは、一方的に受け取っているだけではよろしくない。僕が受け取ったなら、リレーのように繋いでいかないと途切れてしまう。僕はバトンを渡しただけ。今まで受け取ったいくつものバトンの一つを、今日の彼に一つ渡したに過ぎない。

ヒトコトへの回答⑮

このブログではGoogleフォームからご意見などを頂いております。スマートフォンでページを一番下までスクロールしてもらえば出てくるアレです。それをときどき拾って回答してたりします。ブログ自体を放置気味なのでアレですが、最近メッセージが一通来たので載せておきます。

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日本在住のオランダ人、クラベ・エスラさんの半生がすごい

最近ラジオでクラベ・エスラさんの存在を知った。RHYMESTER宇多丸のアフター6ジャンクション(通称:アトロク)で、シェンムー特集にゲストとして出演されていた。

ラジオを聴いていると、あまりの流暢な日本語。はじめ日本人だとばかり思っていた。クラベさんは来日されてから、なんと16年経っているとか。どおりで日本語が上手いはずだ。待てよ、16年ってことは、いったい今何歳なんだ。

クラベさんは今32歳だと言う。32歳で16年前ということは、わずか15歳前後で来日しているということになる。まあ、家庭の事情とかいろいろあるよな。などと思っていたら、

「シェンムーが好きすぎて単身15歳で来日した」

なんじゃそれ。どんな中学生だ。しかもそれから16年日本に住んでいるとか。シェンムーはドリームキャストで発売された一つのゲームだ。一つのゲームが一人の人生を変えてしまった、とでも言うのだろうか。いや、言ってる。ラジオでシェンムーについて熱く語っている。

  • クラベ・エスラさんとはどんな人なのか?
  • クラベさんの半生
  • シェンムー以降
  • ゲームライターになるまで
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そろそろ「今年買ってよかったもの」系エントリー2019

今年は去年よりもさらに買い物していない。去年は原資があったが、今年は自転車操業のため買い物する余裕がない。本も全然読めていないぐらい。映画はそこそこ。

そういうわけで、年末商戦を前にして全く参考にならない、毎年地味な今年買ってよかったもの系エントリーです。

  • ミニマル財布
  • Tevaサンダル
  • newera アドベンチャーハット
  • Technicsレコードプレーヤー
  • シェンムー1,2
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シェンムー1,2をクリアして雑感

発売から18年越しにシェンムー1と2を買ってプレイし、昨日2をクリアした。DC版です。PS4版が去年出ているので、PS4持っている人ならそっちでやったほうがいろいろと楽。ロード時間とか。

それで、次にやるゲームがないから今2周目をやろうかと検討しているところ。シェンムーをやることになったきっかけは既に書いているが、アトロクのシェンムー特集を聴いたからだった。

  • シェンムー3について
  • 1,2を終えたばかりの感想
  • 桂林行きたい
  • シェンムー2に登場する都合のいい女
  • 男性、およびジジイキャラについて
  • やり残したこと
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シェンムー日記

最近ずっとシェンムーをやっている。と言っても、最近出たシェンムー3ではなく、ドリームキャスト版の1と2だ。アトロクのシェンムー特集をきっかけに眠っていたドリームキャストを引っ張り出し、中古のシェンムーを買うに至った。現在は2のDisc2でビバリーヒルズワーフをウロウロしている。前回も一部書いたが今回はまるまるシェンムー日記。

  • どうでもいいキャラがブサイクすぎる
  • おつかいゲーム
  • QTEむずすぎ
  • バイクレース
  • 少年マンガ+香港映画
  • カンフーの達人は総じてかっこいい
  • 2の女性キャラ都合良すぎる
  • ボブズピザの音楽が頭から離れない
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シェンムーを買った

まだ届いていない。ドリームキャスト版の中古をメルカリで、1と2合わせて1,500円。去年新しく出たPS4版は、新品が3千円ぐらいで売ってる。

そう、購入したのはシェンムー3ではない。今月11月19日、シェンムー3が1,2の続編として18年ぶりに発売された。製作にあたり、アメリカのクラウドファンディングKickstarterで支援を募ったところ一瞬で達成。ゲーム部門の記録を塗り替え、ギネスにも登録されたそうだ。海外のファンには年収の1/3をクラウドファンディングに出資した人や、家を買うことをあきらめてその額をシェンムーに出資した人もいるらしい。

それから4年、満を持してシェンムー3が発売された。シェンムーファンは今大いに盛り上がっている。

シェンムーは僕が中学生の頃に発売された。当時テレビCMが繰り返しやっていたのを覚えている。僕はドリームキャストを持っていなかったし、周りでプレイしている人の話も聞いたことなかった。だから、シェンムーに注目したのは今が初めてだ。

ラジオではシェンムー好きのDJ RAM RIDERと、シェンムーが好きすぎて15歳で日本に来た、オランダ人のゲームライター、クラベ・エスラ氏が、シェンムーを初めて知る人にもわかりやすく、全てを肯定して熱く語っている。

これを全部聞いてもいまだに「どんなゲームなんだろう?」という思いが強い。ちまたではどうやらクソゲー扱いされているようだ。シェンムー1,2にはまって、3を買うことになるだろうか?今だとプレイ動画もあるから、どんなゲームかを知るには実況を見るのが手っ取り早い。