ブックカバーをつけるか問題

今年が結婚3周年ということで革婚式なるものに則り、僕はブックカバー、奥さんは革のポーチを使い始めた。

もともとブックカバーを使用する習慣はなかった。あまり用途がわからなかったというか、必要性を感じていなかった。ブックカバーはどういう目的で使うのか。きっと、「本をきれいに保ちたい」とか「本の表紙を見られたくない」とか「ブックカバーそのものを楽しみたい」といった目的があるのだろう。そのどれもを必要としていなかった。

100均や丸善で売っている透明ブックカバーはときどき使う。読んだら売る前提の本を読む間、きれいに保つために使用する。最近はあまり100均で売られなくなり、透明ブックカバーを手に入れるのが難しくなった。ネットで買えるんだろうけど、大量に注文でもしない限り送料の方が高い。

「本の表紙を見られたくない」っていう心理は、人に知られると恥ずかしい本を読んでいる人か、もしくは単純に自分が何を読んでいるか人に知られたくない人のどちらかだろう。僕はそのどちらでもない。恥ずかしい本は外で読まない。というかまあ、恥ずかしいのに読みたい本ってのがあまり思いつかない。

「ブックカバーそのものを楽しみたい」心理もあまりわからない。そもそも長い期間をかけて一冊の本を読むことが少ないため、しょっちゅう付け替える羽目になる。それはめんどくさい。今ブックカバーをかけている本は「失われた時を求めて」で14巻あり、一冊読み終えるごとにカバーをかけ替えている。今一冊あたり一ヶ月以上かかっているため、そんなにしょっちゅう替える必要がない。これぐらい長い本を読むときはめんどくさくない。

ブックカバーを使ってみようと思ったのは、革婚式と言われて他に思いつく物がなかったのと、ビブリオフィリックというところが本周りのグッズを展開しているということを知ったことがあって、なんとなしに選んだ。最初はサリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」にカバーをかけていたんだけど、普段読む本ではないからカバーをかけたままほったらかしになっていた。これではあまり意味がないと思い、もっと日常使いできるよう「失われた時を求めて」にかけ替えた。

ビブリオフィリックの革のブックカバーはポケット等がついていないシンプルな作りで、同じ文庫サイズでもあらゆる厚みの本に対応している。革の匂いとか手触りが好きな人は、いいと思います。

逆に、こんな人には向かないよパターンとしては、本を読むときにペンや付箋を使う人。収納する場所がない。クリップやテープ等で無理矢理収納することは出来ると思う。他に、今読んでいる本の表紙を見せつけたい人。透明ブックカバーなら見せつけることができるけど、それ以外だと何を読んでいるか見せつけることができない。でも見せつけたい本ってなんだろう?知り合いとかでない限り、人が読んでいる本を気にしたことがない。

見せつけたいという心理は、露出狂に近いのかもしれない。だからそういうひどい表紙の本だったり、何かのアピールが含まれている本、ファッション感覚で本を見せつけるということがありうる。電車に乗っていて、向かいに座っている人が何の本を読んでいたら、友達になりたいと思うか。非常に難しい。

自分が好きな本には特別な思い入れがあり、他の人とは意見が合わないだろうという思い込みがある。だから好きな本よりも「話したい本」を読んでいる人に、話しかけたい気持ちが芽生えるのではないか。「巨流アマゾンを遡れ」あたりを読んでいる人とは、話をしたいかもしれない。

「巨流アマゾンを遡れ」は2冊目の高野本で、「ソマリランド」ほどメジャーではなく、「アヘン王国」ほどとっつきやすくもなく、「イスラム飲酒紀行」ほど広い層をターゲットにしていない。電車の中で「巨流アマゾンを遡れ」を読んでいる人はきっと、かなり精通した人だろう。意見交換してみたいものだ。

今日の積読本⑦

積読が発生する原因は読む本がいっぱいあるからで、目についたものを次々買っていくと、読むスピードはとうてい追いつけない。今日の本「東京の生活史」は、積んでいい本だと思う。思いついたときに少しずつ読めばいい。ときどき読む。まさに積んでおく本。まとめて一気に読まなくてもいい。

どこから読んでもいいだろうし、なんなら読み終えなくてもいいと思う。そういう意味では純積読本ではないか。棚に置いておけばいい。あまりほったらかすとそのままになってしまうから、ときどき取り出して読む。

「東京の生活史」はインタビュー集のような本。アトロクでスタイリストの伊賀大介さんが勧めていて気になり購入した。それから、かなり経っている。全然読んでいない。読みたい気持ちはある。手軽に読める本でもある。読もう読もう。アトロクの「東京の生活史」回は本当に引き込まれるから、聞いたら買うと思います。

インタビューの形式がいいんだろうな。自分が生活史を書こうと思っても、何書いていいかわからず、何も思い浮かばない。よく家族のこととか、親の話が出てくる。自分は最近父親を亡くし、また「This is us」というホームドラマも続けて見ているから、例えば父について何か書こうと思っても、なかなかまとまらない。

村上春樹の「猫を棄てる」は、父親についてのエッセイだった。父の過去をよく調べていた。そこまでやりたいとは全然思わない。知りたいとも思わない。父との確執もない。自分が見た、思い出だけでも残しておいたほうがいいのかなとふと思う。プルーストの「失われた時を求めて」を読んでいると、なおさらそう思う。

今日の積読本⑤

積読になる経緯とは、目について購入したものの、今読んでいる本があるから後回しになり、そのらせんが連なり本のタワーと化す。その一端を担うのは、担いやすいジャンル、SF小説です。

なぜか。SF小説は手にとって読み始めるまでのハードルが高い。僕にとっては。なぜか。単純に頭を使うから。文章がすんなり頭に入ってこず、咀嚼して情景を思い浮かべるのに時間と労力がかかる。こういう手間というか苦労は、SFやファンタジーといった、現実から遠い作品ほど付随しやすい。

そしてグレッグ・イーガンです。僕は「ディアスポラ」しか読んだことがなく、めちゃくちゃ苦労した。中盤まで「は?何いってんの?は?」しか感想がなかった。書いてあることが全く頭に入ってこない。しかし読み進めるに従って次第にその世界に馴染み、なんとなくスラスラ読み進められるようになってくる。僕はこの現象を「物語の内側に入った」と呼ぶ。今思いついて初めて使った。

その内側に入るまでの道のりが遠いSF作品やファンタジー小説は、読みたいと思って買ってもなかなか手にとって開かない。これがアニメや映画だったら最初から映像が用意されていて目の中に飛び込んでくるからめちゃくちゃ楽。もうショーットカットはなはだしい。スターウォーズもブレードランナーも攻殻機動隊も好きで、本来そういう世界観は好きなはずなのだ。だからSF小説も、頭に入ってこればおもしろい。「ディアスポラ」に至っては、「これは絶対映像化できないやつ!」という感想をいだいた。小説でしか表現できないSFもある。

「祈りの海」について、予備知識ゼロです。どっかの古本屋で買った。古本屋でグレッグ・イーガンを見かけることは滅多になく、あればとりあえず買っている。

今日の積読本④

買った本は、買ったことを記録しておかないと、買ったことを忘れてしまったり、同じ本をまた買ったり、いつまでたっても読まなかったりしてしまう。買ったけれど読んでいない本(積読本)の記録は意外と重宝する。

前回「失われた時を求めて」を読んでいるという話をしたけれど、「失われた時を求めて」を読み終えてから読みたい本がいくつかある。この「収容所のプルースト」もその一つ。この本は翻訳が出た当時、ちょっとばかし話題になったみたいだ。僕が買ったのは今年だから、その機は完全に逃している。

僕がこの本を知ったのは、「プルーストを読む生活」を書いた人が「収容所のプルースト」を読んだことをきっかけに、「失われた時を求めて」を読み始めたと書いていたことがきっかけ。ややこしいな。

プルーストについて何も知らない人のために。20世紀初頭の作家、マルセル・プルースト、フランス人。この人の書いた長編小説が「失われた時を求めて」で、めちゃくちゃ長い。今僕が読んでいる岩波版で全14巻ある。光文社古典新訳でも出ているけれど、6巻が出てから3年止まっている。それまでは年1で続きが出ていたのに。

「収容所のプルースト」は、プルーストが収容されている話ではなく、ソ連の強制収容所でプルーストの著作「失われた時を求めて」が、どのように読まれたか書かれた本、だと思う。まだ読んでいないから。

「収容所のプルースト」を読んだ人の数は、近年ではきっとおそらく「失われた時を求めて」を読んだ人の数より多い。「失われた時を求めて」を読まなくても読める本だと思う。でも僕はとりあえず全部読み終えてから読むつもりで、まだまだ読み始めることができない。「失われた時を求めて」はきっと今年中には読み終わるから、「収容所のプルースト」を読むのは早くても来年になるだろう。

今日の積読本③

買った本は、買ったことを記録しておかないと、買ったことを忘れてしまったり、同じ本をまた買ったり、いつまでたっても読まなかったりしてしまう。買ったけれど読んでいない本(積読本)の記録は意外と重宝する。

今回はフォークナーの「響きと怒り」。僕はこのタイトルをずっと「嘆きと怒り」だと思っていた。20世紀最大の作家として、カフカ、プルースト、ジョイスに並びフォークナーの名前も挙がる。どうでもいいけど「20世紀最大の作家」ってどこから出てきたんだろう。僕はカフカの解説か何かで初めてその文字を見た。

さて、フォークナー。フォークナーについて知っていることは、他に映画「バーニング」で主人公がやたらフォークナーとつぶやいていたことぐらい。フォークナーに憧れて小説を書く主人公だったと思う。村上春樹の原作「納屋を焼く」にもフォークナーの記述は出てきた。小説家を目指すとかそういうくだりは原作にはなかった。

フォークナーの作風も、作品も全然知らない。他にどんな本を書いているのか、読んだことがない。いつか読みたいと思いつつ、手元にあってもまだ手が出ていない。それはフォークナーに限ったことでなく、フォークナーでさえ手が出ていないといったところ。今年初めてガルシア=マルケスの「百年の孤独」を読んだぐらい。

「響きと怒り」は、まだ当分読むことはない。なぜなら今ちょうど「失われた時を求めて」マラソンの最中で、海外古典名作を同時期に読み進めるのはなかなか難しい。「失われた時を求めて」はきっと今年中に終わるから、「響きと怒り」を読むとしても来年になるだろう。そのときにはまたきっと、他にも読みたい本があふれている。来年中には読みたいです。

今日の積読本②

買った本は、買ったことを記録しておかないと、買ったことを忘れてしまったり、同じ本をまた買ったり、いつまでたっても読まなかったりしてしまう。買ったけれど読んでいない本(積読本)の記録は意外と重宝する。

「ジャック・ロンドン放浪記」をどこで知ったのか。ジョージ・オーウェルの「パリ・ロンドン放浪記」の文脈だったような気がする。どこで紹介されていたのか。村上春樹がジャック・ロンドンを紹介していたような気もする。ソロー「森の生活」とか、そういう流れだったような気もする。要するに、買ったきっかけを覚えていない、忘れた。

というのも「ジャック・ロンドン放浪記」を買おうとしたのはけっこう前のことで、いつだったか、1年以上前だと思う。そのときどんな流れで欲しい物リストに入れたのか。実際買ったのは今年に入ってから。絶版になっており、中古市場で安く出回るのをずっと待っていた。結局普通の値段で買ったと思う。それも覚えていない。

とにかく僕はその「放浪記」とかなんとかついたら惹かれる。麻雀放浪記はさすがに麻雀の話だから読んでいないけれど、ジョージ・オーウェルの「パリ・ロンドン放浪記」に至っては、読んだはいいものの放浪の旅をするような内容ではなかった。どちらかというと浮浪。それはそれで満足した。「ジャック・ロンドン放浪記」がどんな内容なのか、まだ全く読んでいないから知らない。

もともとが古い本で、ジャック・ロンドンが昔の人で、今急いでどうしても読まないといけない本ではない。いつ読んだっていい。いつか読みたい本。でも買っておかないと、きっと読まない。

今日の積読本①

買った本は、買ったことを記録しておかないと、買ったことを忘れてしまったり、同じ本をまた買ったり、いつまでたっても読まなかったりしてしまう。買ったけれど読んでいない本(積読本)の記録は意外と重宝する。

「彼女の思い出/逆さまの森」は、最近買った本。サリンジャーの新しい本なんだけど、サリンジャーは当然死んでいる。新作ではない。未発表原稿が出版されるという噂もあったが、それは一体いつになることやら。

「彼女の思い出/逆さまの森」に収められている短編は、過去に雑誌などに掲載され、アメリカ本国では本として出版されなかったもの。日本では「サリンジャー選集」という全集もどきにかつて収められていたはず。今回の単行本は、翻訳者の金原瑞人という人が新しく訳している。「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/ハプワース16、1924年」と同じく、新潮モダン・クラシックスのシリーズとして出版された。

「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/ハプワース16、1924年」を今年に買って読んで、予想以上によかった。2018年に出た本で、僕が買ったのは4刷だった。きっと「彼女の思い出/逆さまの森」も期待できる。この本が出たこと自体、サリンジャーファンのあいだでは朗報に違いない。

いつか読む。冒頭の何行かは読んだ。おそらく、そのうち全部読むだろう。今のところ積読。いつでも読みたい。

今週のお題「SFといえば」:SF小説入門

あれもこれもSF

今週のお題は「SFといえば」です。

『ドラえもん』から『ガンダム』『新世紀エヴァンゲリオン』に『スター・ウォーズ』『ニューロマンサー』『スノウ・クラッシュ』など、SFと呼ばれる作品はさまざまなメディアを介し世界中で楽しまれています。そこで今回は「SFって面白いんだ! と実感した作品」や「私にとってのSFは”すこしふしぎ”」「気づいていなかったけどあの作品もSFといえるかも」など、SF作品の感想やSFにまつわるエピソードやを募集します。ぜひ、記事を書いて投稿してみませんか? ご応募をお待ちしております。

SFデビューは、日曜洋画劇場で見たスターウォーズだった。小学校に入る前に見た、動物の顔をした人や宇宙人と会話する人たち、光る剣のチャンバラ、宇宙空間の航空戦、それがSFの一番古い記憶。それからも映画、マンガ、アニメでSFに親しんできた。時代はSFだった。

SFは幅広くてどっからどこまでがSFかって言うと難しいけど、時間遡行物(バック・トゥ・ザ・フューチャー)もSFだし、近未来物(攻殻機動隊)も宇宙物(カウボーイビバップ)もSFで、それぞれ毛色がぜんぜん違う。

SF小説デビューは「星を継ぐもの」だったかなー。高校生の頃。続編の「ガニメデの優しい巨人」も読んだ。それからいくつかSF小説を読んできた。安部公房を入れていいのかわからないけれど、

このあたり。普通はもうちょっと一人の作家を追いかけるもんだけど、王道SF文学をつまみ食いしている。一番ハマったのはスタニスワフ・レムかな。「星を継ぐもの」シリーズだって「銀河ヒッチハイク・ガイド」シリーズだって続きを読みたいのはやまやまだけど、めんどくさくて読めていない。安部公房はいっぱい読んでる中でSFらしいのが第四間氷期ぐらい。

いつか読むだろうと思って買って積ん読になっているのもいくつかある。T.S.エリオット「渚にて」とか、コードウェイナー・スミス「アルファ・ラルファ大通り」、グレッグ・イーガン「ひとりっ子」「プランク・ダイヴ」など。SF小説の特徴としては、読み始めるまでが非常に億劫だということ。ファンタジーもそうかもしれない。用語がたくさんあり、設定を飲み込むまで、世界観を頭の中に整理するまで時間がかかる。だから読むのがめんどくさくて、なかなか手が出ない。

そういう意味では、小説よりも映像作品のほうがまだとっつきやすい。ただディアスポラみたいにどう頑張っても映像化できないだろっていう作品もあるから、小説でしかできない表現もある。僕が読んだものは定番だから、映像化されているものも多い(スローターハウス5、パプリカ、ソラリス、高い城の男、銀河ヒッチハイク・ガイド)。めんどくさい人はスター・ウォーズ感覚でとりあえず映像から入ったほうがいいんじゃないか。

ライトな作品を読んでとっつきやすいと思ってハマるか、物足りないと思うかは好みです。読みやすさで言うと「星を継ぐもの」「息吹」「プロジェクトヘイルメアリー」あたりはまだ簡単に頭に入ってくる。

僕が一番好きなのは「泰平ヨンの未来学会議」あたりかもしれない。内容あまり覚えてないけど。

本棚に置きたい本:今週のお題「本棚の中身」

自分はあまり家に人を招いてどうこうってことがなかったから、いわゆる「見せ本」というのは本棚になかった。本棚に置きたい本は、ときどき開きたいか、再び読み返したいか、もしくはあることを認識したい本になる。他に未読の本や読んで置きっぱなしの本もあるけれど、置いておきたい本となるとその三種類かなあ。

僕はあまりたくさん読む方ではないけれど、買った本や一度読んだ本、さらにその内容まで忘れてしまうことが多い。読み終えてしまうと、本によっては、存在そのものが記憶から抹消されるように、初めからなかったようにすっかり消えてしまう。たとえ本棚にあっても「こんなのあったっけ」「これ読んだっけ」となる。なんて甲斐のない読書だろう。

本棚に置きたい本は、そうじゃない本にあたる。または、そうなってほしくない本。自分の中にとどめておきたくて、せめて本棚に置いておく。存在を忘れたくない、思い立ったら手に取りたい、手が届く場所に置いておきたい本が本棚入りする。「積読こそが完全な読書術である」という本で、本棚は自分の外部記憶だとかそのようなことが書かれていた。積読はともかく、読み終えた本はそれに近い。

読み終えて「この本には大事なことが書かれている…!」とか思っても、再び読み返すことはあまりない。どうせ読むなら全く新しい体験がしたいと思って、読んでいない本に手を出す。特にノンフィクションとか新書とか知識、情報、教養にあたる本を読み返すことはめったに無い。再読するのはだいたい小説、それもよほど好きなものに限られる。もしくは写真、イラスト、絵本など、初めから繰り返し読むことが前提となっている本。これらは本棚に残りやすい。

つまり、本棚に置きたい本というのはあまりない。実際に本棚に置かれている本は、ほとんどそれ以外の未整理の本。

今週のお題「本棚の中身」

久しぶりにサリンジャーを読んだらどうしようもなく好きだった

サリンジャーの何が好きか、どういうところがいいのか、それを説明しょうとすると難しくて、今回は触れていません。

「謎とき サリンジャー」という本が去年話題になり、気になっていた。

長らくサリンジャーを読んでいなかった。「謎とき サリンジャー」を読むなら、「ライ麦畑」や「ナイン・ストーリーズ」をいっそ読み返すかと思った。本屋に行くと「謎とき サリンジャー」の隣に「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年」が並んでいた。

「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年」は、サリンジャーの短編集というか、選集のようなもの。新潮モダンクラシックスというシリーズから、2018年に刊行されている。

サリンジャーは1965年に現役を退き、以降新作を出していない。なのに2018年に、旧作をまとめただけの本が出た。このタイミングでなぜだろう?出た当時から気にはなっていたものの、買っていなかった。収録されている短編はどれも読んだことがない。「謎とき サリンジャー」を読むにあたって、という口実もでき、併せて買った。

  • このサンドイッチ・ハプワース
  • 謎とき サリンジャー
  • 何度も読む
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しつこく、最近欲しい本(2021/12)

10月にたくさんまとめた続き。

このうちいくつかは買って、全然読めていない。読めていないうちから次々と欲しい本は出てくるもので、次から次へと本は増えていくばかり、一向に減らない。「積読こそが完全な読書術である」という本を最初の数ページだけ読んで積んでいる。

  • 謎とき 『失われた時を求めて』
  • 東京の生活史
  • 書きあぐねている人のための小説入門
  • 岡田睦作品集
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今読みたい本、気になる本を片っ端から挙げていく

本を読むのが遅い。読んでる最中にどんどん気になる本ばかり増えてきて、収拾つかない。最近はあんがいInstagramを見ていて読みたい本が出てくる。中身には何も触れられないんで、ほぼ装丁のみの判断だからなかなかその先には至らない。ちゃんと紹介したりはしない。ただ片っ端から挙げていくだけ。

  • 謎ときサリンジャー:「自殺」したのは誰なのか|竹内康浩・朴舜起
  • BRUTUS 村上春樹特集
  • 何もしない|ジェニー・オデル
  • 最後に残るのは本
  • 資本主義と闘った男―宇沢弘文と経済学の世界|佐々木 実
  • ユリシーズ|ジェイムズ・ジョイス
  • 完全な真空|スタニスワフ・レム
  • 愛についてのデッサン|野呂邦暢
  • 百年の孤独|ガルシア・マルケス
  • ケンタウロス|ジョン・アップダイク
  • ザ・ロード|コーマック・マッカーシー
  • ビルマの日々|ジョージ・オーウェル
  • 真夜中の子供たち|サルマン・ラシュディ
  • うろん紀行|わかしょ文庫
  • ことばの途上|岩瀬崇
  • 心臓を貫かれて|マイケル・ギルモア
  • THIS ONE SUMMER|マリコ・タマキ作/ジリアン・タマキ画
  • 地球の歩き方的! 世界なんでもランキング
  • 愛の台南|川島小鳥
  • 世界|佐藤健寿
  • 写真集の本 明治~2000年代までの日本の写真集 662
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小説をあまり読んでいない

どれぐらい読んでいないかというと、最近指標になるなーと思ったのが、保坂和志を読んだことない。本好きの人はけっこうみんな読んでいる印象、保坂和志。

流行りの本や文学賞受賞本も全然読んでいない。一番最近に読んだ芥川賞受賞の小説は「されどわれらが日々」で、なぜ今?と自分でも思うような学生運動にまつわる内容だった。その前に読んだのは「コンビニ人間」。

映画「花束みたいな恋をした」は本好き、東京カルチャーにどっぷり浸かった若者の映画だった。そこに出てきた本は何一つ読んだことがなかった。アキラの単行本とか、アキ・カウリスマキの「希望のかなた」はわかる。本になるとついてけない。

映画.comより、「花束みたいな恋をした」にまつわるリスト。

【麦と絹の好きな作家】
穂村弘
長嶋有
いしいしんじ
堀江敏幸
柴崎友香
小山田浩子
今村夏子
小川洋子
多和田葉子
舞城王太郎
佐藤亜紀
野田サトル
ほしよりこ
市川春子
滝口悠生
小川哲
近藤聡乃
西村ツチカ

【ふたりの蔵書(ごく一部)】
朝井リョウ「何者」
阿佐田哲也「麻雀放浪記」
荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険」
梅佳代「じいちゃんさま」(写真集)
奥田英朗「イン・ザ・プール」
カート・ヴォネガット・ジュニア「タイタンの妖女」
角田光代「空中庭園」
川島小鳥「未来ちゃん」(写真集)
ジョージ朝倉「溺れるナイフ」
杉浦日向子「東のエデン」
手塚治虫「アドルフに告ぐ」
中野正貴「TOKYO NOBODY」(写真集)
花沢健吾「アイアムアヒーロー」
フィリップ・K・ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか ?」
藤子・F・不二雄「異色短編集 ミノタウロスの皿」
松本大洋「青い春」
三浦しをん「まほろ駅前多田便利軒」
宮沢賢治「童話集 銀河鉄道の夜 他十四篇」
村上春樹「海辺のカフカ」
旅行ガイドブック「地球の歩き方」

映画のパンフレットにこのリストが載っているらしいんだけど、二人の好きな作家については、なんと一冊も読んだことない。 下手すると聞いたこともない人が多い。二人の蔵書ならさすがに知っていたり読んだこともある。「何者」「タイタンの妖女」「海辺のカフカ」あたりか。ジョジョとかマンガも触れている。歩き方はガイドブックだし。

花束指標がどれだけあてになるのか知らないけれど、これがかすりもしないのであれば、世の一般的な本好きが読む小説って全然読めていないんじゃないか。

では一体自分は何を読んできたのか。ここ数年分であれば、読書メーターに記録してきた。

小説にあたるのは、海外文学とSFが多い。ただそのへんにしたってたくさん読んでいるわけではなく、たくさん読まれているものを読んでいるわけでもない。古典か、少し前の本が多い。著者で言うとカズオ・イシグロが4冊で一番多い。それでも最新作「クララとおひさま」は読んでいない。

小説以外の方が多い。村上春樹のエッセイも多いし、自分は旅行が好きだったから旅行記だったり、旅行にまつわる本だとか。少し前は本にまつわる本、本屋本をよく読んでいた。メタ本とでも言うのか。ここ最近は日記本ばかり読んでいる。要するにどこに分類していいのかわからない本が多い。

雑多に濫読している。もう少し小説も読みたいなと思う。特に流行り物じゃなくてもいい。古いものでも、買って読んでいないものがたくさんある。小説はなぜか再読に偏ってしまって、なかなか新規が読めていない。最近やっと「騎士団長殺し」を読んだところ。手元にあるのに読めていなくて、読みたいのが以下。

世の一般的な本好きが読む小説っぽいの一冊もないですね。

『騎士団長殺し』の物足りなさ

2017年に出た本で、発売当時は出版イベントなども行われ、NHKクロ現プラスでハルキストも特集され話題になった。2019年に文庫化され、2020年には電子化もされた。「そろそろ読んでおかねば」と思い、重い腰を上げ『騎士団長殺し』を読んだ。ハードカバーだと2冊、文庫だと4冊分ある。分量が多い。だいたい一週間で読んだ。すらすら読める。

感想は、鬼気迫る物語ではなかったし、なかなかコミカルだったとさえ言える。これまでの作品と比べたら特にそう。暗い部分とか、悲痛な展開とかは全然ない。物語は穏やかで落ち着いている。山の上の小屋に住む、画家の生活がよかった。あれはけっこう憧れるんじゃないか。そして、雨田具彦の物語だったら、もっと感動激動スペクタクルだったんじゃないか。ユズはありえない。

村上春樹作品は読みやすいんだけど、直近だと『猫を棄てる』(エッセイ)の方がおもしろかった。著者の態度も本の中身も真に迫るものがあり、それに比べて『騎士団長殺し』はのんびりしていた。物語の舞台となる範囲も非常に狭い。『1Q84』や『多崎つくる』は冒険活劇だった。『ノルウェイの森』は別として、自分の中では『ねじまき鳥』越えはしていない。昭和生まれの平成育ちだからそう思うのだろうか。『海辺のカフカ』はあまりよくわからなくて、『ハードボイルドワンダーランド』はまあこんなもんかと思う。どちらも間を空けて二度読んでいる。

『騎士団長殺し』は以前にも増して、読者へゆだねる部分が多かったように思う。状況がどうなっているのか、よくわからない。主人公もよくわかっていない。検証はするが、説明はない。本当にない。読者は置いてけぼりを食らうか、主人公と一緒になって翻弄される。設定が本当にあるのかさえ疑わしい。「ココ思いつきで書いたんじゃないか?」という部分が散見される。補足が言い訳がましい。

『騎士団長殺し』の主人公は、まるでベルトコンベアのように運ばれていく。作家の色は存分に出ているんだけど、物語に対して主人公の意志であったり、エゴがあまり感じられなかった。あまりにも状況に翻弄されている。今回は「やれやれ」すらない。もうちょっとこう、主人公や作家の意志や判断がある作品の方が好きだった。

落ち着いてしまったのだろうか?そういう時代、世相だろうか。反抗とか反発とか、怒り暴力一切ない。あまりにも核心に迫らないから、人間味がうすいと感じた。ドストエフスキーみたいな激情ほとばしる物語が苦手だという人にはいいかもしれない。手近な範囲のファンタジーとして、終始落ち着いた心境で読み進めることができる。ハラハラドキドキは、うまく肩透かししてくれる。

これを評価する人はどう評価するんだろう?読んでいるときは楽しい。常に続きが気になる手法は、手練のそれと言える。ただ、読み終わると物足りない。もったいぶった割に、落ちは何も言ってないに等しい。最後まで読んで、腑に落ちた感覚はまったくない。最後まで解き明かされなかった謎に、思いを巡らせることもない。僕はやはり、『海辺のカフカ』以降はあまり乗れないなー。展開に乗れない。『国境の南、太陽の西』とかは好きです。

村上春樹小説の特徴として、理想的な環境を追体験する楽しさがあると思う。それさえも今回は落ち着いている。老成している。物語の序盤で携帯(スマートフォンとかiPhoneとは言わない)を捨て、山奥でアナログ回帰も甚だしいアナログ生活を送る。山ごもりブームのさきがけ、予感をしていたのか。

まあそれでも、新作が出たらいずれ読むだろう。一通りチェックする。『一人称単数』はまだ読んでいなくて、そのうち読むと思う。そういう層に支えられている。とりあえず読んでから、あれこれ思う。

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